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夜明けの街で

朝の4時30分。
10月の末にもなってくると、まだ外は暗闇の中。フェアの設営のために早朝に家を出て目的地までの移動の道中は、日中には人で溢れている道もまだこの時間だと人気もほとんど無く、一人で歩いていると、この地球上に自分一人取り残されてしまった世界に迷い込んだかのように思う。



同じような感覚は旅の中でよく感じる。特にデンマークのボーンホルム島に滞在する時などはそうだ。人間よりも動物や野鳥の方が多いのでは?と勘違いするほどの場所なのだけれど、時差ぼけで朝早く起きてしまった時に街のメインストリートを歩いていると、遠くの方で海岸に波打つ音や野鳥の声、そこらじゅうで放飼されている馬の気配などを感じつつも、たった一人地上に降り立った宇宙人のようにその景色が新鮮に感じ、心に刻み込まれる。



ニューノーマル、新しい生活様式、移動の制限。この2020年は様々な場面で制約に出くわした人がほとんどだろう。人間というのは柔軟な生き物で、それも半年もすると段々と慣れてきてしまうもので、去年までの行動範囲や活動は遠い昔のように思えてしまうものだ。リアルな行動が制限されればされるほど、ネットやSNSに接する時間が長くなり、本当の意味で“孤独”になる時間は少なくなったように感じる。互いの近況を言語やヴィジュアルを通して語り合うというポジティブな効果に反して、見たものを真実だと過信し在らぬ方向へと妄想なども広がり良かれと思ってやったことで誰かを傷つけてしまったりして凹んでしまうこともあるかもしれない。昔から「知らぬが仏、言わぬが花」という言葉があるように、何でも知り得てしまう世の中もどうかと思う。



振り返ると、去年までの自分は、繋がりを一時的に断ち、“孤独”やマイノリティーを感じる時間が「旅」だったのかもしれない。昔は「旅」の風景や出来事をタイムリーに投稿などをしていた時期もあったけれど、そんな情報は時間が経ってしまえば人の心に残らないものだ。そんな投稿に勤しむよりも、ディスプレイの中の日常的なあれやこれやを考えずに今現実に起こっていることだけに目を向け、心を寄り添わせ、感じ取る。そんな時間が日常にとってどれだけの効果があるのだろうかと思う。それが自分にとっては“孤独”な時間だけれど、一番自分自身と対話出来る時間だったのかもしれない。日常の中の非日常。世の中の変化は激しいのに、自分の変化は何故だか乏しい理由はその比重にあるのかもしれない。



日常の中の非日常は、自分自身と向き合う時間を作ることで生み出せていくのかもしれない。そんなことを夜明けの東京の街を歩きながら考えたのだった。

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