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ローカルタウンの可能性

8月22日(土)に世田谷区の羽根木というエリア(最寄駅でいうと京王井の頭線の新代田駅)で開催された「羽根木マルシェ」というマルシェに出店者として参加させていただいた。普段はこういった企画を仕掛ける側だったり、どこかの書店と組んでポップアップを開催したりしているので、実は5年ほどa quiet dayの活動してきた中でこういった外部のイベントに出店することは実は初めてだったりする。「ファッション」、「インテリア」、「花」、「コーヒー」など暮らしにまつわるあらゆるジャンルのお店が集まる場を長らく企画していた側としては、自分だけの準備に集中できる時間はなんとも不思議でとても贅沢な感覚だった。(自分が企画していたマーケットの時も、仲間の理解もあり自分のお店の準備をする時間をもらっていたけれど、なんだかんだで、集中はいつも出来ていなかった。)

今回は妻が主宰するオンラインブックショップ「west mountain books」と一緒の出店だったので昨日の晩に妻と夕食を食べながら振り返った内容を、自分が企画していたマーケットと照らし合わせながら備忘的に残しておきたいと思う。


・ローカルサイズについて

羽根木というエリアは、世田谷区に位置しているものの、お世辞にも東京の中心と言えるような場所ではなく、明治から戦前くらいまでの時代は、「羽根木」という場所の名称を聞くと少し田舎に小旅行をするような心理的な距離感があったそう。

自分も今回のイベントを主宰してくださった花屋の「malta」さんとお知り合いになる前までは、東京に30年以上住んでいるのにも関わらず実は一度も来たことがない場所だった。けれど、このエリアの地主さんたちが景観の保全などに努めたこともあり、区内らしからぬ古さと新しさ(モダンさ)が混ざった自然の風が吹いているそんな魅力溢れる場所だった。企画前の段階でそういうマルシェをやろうと考えているという話が出た時に、この場所で出店出来るのであればと直感的に出店したいとお願いしたことを覚えている。

一方で数年間に渡り、自分がマーケットを企画していた時はどうだっただろうか。いわゆる都心のど真ん中で全国各地から出店者さんたちに集まっていただき、都会の人口密度を頼り、そこに目掛けたプロモーションや販売のビジネスモデルありきだったので、回を重ねるごとに企画側も出店者側もビジネス色が出ていたように思い起こされる。

このような世情になった昨今、以前までの大規模のマーケットなどのイベント事は少し開催が難しく、やり方だったりそもそもの目的を考え直す必要がある中で、今回の「羽根木マルシェ」は、特定の場所に多くの人を集めるのではなく、エリア内に点在した常設の個人店の店舗内に複数の出店者が出店するスタイルだったので、お客さんがエリアを巡回する仕掛けになっていることも奏して、1箇所に人が集まり過ぎることもなく、お客さん自身がエリアの魅力を発見したりできる仕組みだったように思う。

今後はこういったtownベースの魅力や街の再解釈、そしてそこで面白いことを企画していくことも増えていくのだろう。


・好きをどう表現し、デザインしていくか。

ではどういう人が出店していたかというと、簡単に言うとその常設の個人店の「知り合い」。けれどただの知っている人というよりは、しっかりと「個」(自分がどういう手札を持っているのかというのを自分自身が明確ではっきりしている方々)を持っていて、そういった「個」と「個」が繋がりあっている感覚だ。同志と言ったらいいのだろうか。手札は違うが理解や共感しあえる方々が多くいらっしゃったように思う。各々が自分の好きな手札で出店していることもあって、そのエネルギーがある種の熱気を生み出していたし、そもそもの出店者さんたちの出店動機も誘ってれたお店が好きだったり、店主が好きだったり、このエリアが好きだったからという「好き」というベクトルが飛んでいったからなのだと思う。

さて、目線を自分たちの出店ブースに落としてみる。今回はいつものポップアップなどの時よりもグッと商品数を減らし、自分が本気で語れるもの(好きなもの)を中心にセレクトしてみたりもした。その甲斐もあり、自分のマガジンa quiet dayとsindromsの最新号はその日の手持ち分は完売という結果に繋がった。


・打席に立たせてもらうということ。

最近、見た目の良さが先か、ストーリーテリングが先かの議論をよくすることがある。いくら素晴らしいストーリーを持っているモノでも最初の見た目が残念なモノだとその素晴らしいストーリーを聴こうという姿勢がお客さん側として取りにくいという話だ。

今回妻の「west mountain books」は花屋での出店ということもあり、植物や花などの古本をセレクトしていて、中には単価の高いビジュアルブックも揃えていたのだが、実際に売れた順番を振り返ると装丁の美しい単価の高い本からどんどん売れていった。

モノとして手にした人の感覚を揺さぶるということを考えてみると、改めてデザイン性ということを考え直してみるタイミングなのかもしれない。そうしないと打席(話を聞いてもらうこと)にすら辿り着けないという状況に陥ってしまうからだ。

何を美しいと思い、その美しさをどうデザインして伝えていけるか。これからは美意識をより考えていくことになるだろう。

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