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ベトナム人労働者が日本の職場に適合しやすい理由

今年に入り、東城さんが考える「ベトナム人労働者が日本の職場に適合しやすい理由」をできるだけ、教えてくださいと質問を受けていました。
(私が、ベトナム人との仕事での関りが、深いからだと思います。)

ベトナム人労働者が、日本の職場に適合しやすい理由を挙げてみます。
・努力家
・忍耐力
・穏やかな明るい性格
・文化的な教養や郷土愛を尊重
・信頼する人との約束をする姿勢
・手先が器用
・家族が一番大事
・集団や団結を好む
・一年間の中での、祝日などその日の意味を強く意識・感謝の心・愛・友好
・勉強に対する意識の強さ
・おもてなしの心
などが挙げてみました。

〇物腰が柔らかいおとなしい中の芯の強さ

26歳で日本に入国した女性ベトナム人Hさんは、TOEICでの最高水準に近い英語力を持ちながら、財務処理、会計データーの処理担当での入社でした。

柔らかいゆっくりした日本語でした。初めての日本での聴き取りは苦労しましたが、入社時から会社のみんなから可愛いらしく愛される優しい人でした。

日本の漫画やコミックを愛しています。私たちが通訳事業を行うきっかけになったのも、このHさんの活躍でした。当時は、珍しかったベトナム人実習生を入れた会社が困って、夜や深夜に、噂を聞きつけて、電話が私に入って、当時は、私と一緒にボランティアで、日本語でのコミュニケーションに困っている人たちを助けてきました。Hさんは、困っている人たちを助け大活躍しました。

手先の器用さは、面接での私の想像をはるかに超えていました。資料のスキャニングや読み取りの速さ、パソコン操作などの指や目や頭の動きは、私には、驚くほどで、、器用さの凄さを目のあたりにしました。そして、休憩を取ってと、頼んでも、休まずにずっと、業務に打ち込む姿は、私たちに感動を呼んでいました。

本人は、当たり前ですと可愛らしく言う毎日。結局、彼女、特有のデスクワークのハードさから、ヘルニアを発症して、帰国しなけらばならなくなりました。

お別れの帰国のその日の朝、朝礼のお別れの挨拶で、悲しみをずっとこらえていた会社の全員が、一斉に、泣きじゃくって、彼女が空港へ向かう車を見送った。もう11年が経過しようとしていますが、昨日のような出来事に感じます。空港のフェンス越しに涙で霞む目は、空港での晴天が曇りとなり、彼女が乗っている飛行機が、上空で見えなくなるまで、私は、彼女の名前を呼び続けていました。

〇不断の信念の人

日本人が、まだまだ、ベトナム人を遠く感じている頃。ベトナム戦争の印象が強く、ベトナムの民族の人たちが、恐ろしく感じてしまう、そして遠い存在にしか感じない日本や北海道の人たち。
もう11年も前になります。外国人採用や雇用で中国人がほとんどだという頃です。私は、北海道の冬の厳しい気候、しかも、広大な面積の場所に、ベトナム人就労者たちが、点在することを知ってから、外国人就労者の相談支援業務の先端者、通訳社員を探し続けていました。

当時からも、ベトナムでは、日本へのあこがれや尊敬する日本人のひとたちをとても身近に感じていて、夢は、日本で働きたい。幼少期から両親の仕事を手伝い、豆腐を売ったり、赤玉ねぎやニンニクを売ったり、家族のために頑張ることは、当たり前のことです。

Eさんは、返還の要らない奨学金生となることが出来て、ベトナムの大学の日本語学科に進学します。ベトナム人が、一生懸命に勉強して、大学に進学しても、ベトナム国内で、その専攻の仕事で就職できる確率は、当時、5%ぐらいしかいないと言われる時代でした。そして、低賃金の労働です。一方、日本では、優良な求人数が少ない。それから、約12年間、日系の製造業の会社に長く務めたのちに、Eさんは、私と出会い、来日して、入社しました。

ベトナムと、ベトナム人をもっと知ってほしい、そして、もっと、採用してほしい。彼女の不断の信念は、不断のものです。
相談支援業務も怠りません。求人を求めて、活発に企業訪問を欠かさない人です。

早朝から移動して、企業訪問、新規問い合わせがある会社、昼は牧場への訪問、午後は一般企業へ、夕方は、業務が終わる牧場へ。求人を求める活動は、深夜22時、23時にも及ぶ日々もありました。不断の信念の人です。
そして、今は、通訳社員たちのキャプテンになっています。

ベトナム人、ベトナムを身近に感じて頂けたなら、と思います。

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