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L子

中学二年生 クリスマスまで

まる一年と少しの間、家族だった人たちがいた。
今何をしているかは、全く知らない。

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信じるものが違うというのは、結局、すごく居心地が悪かった。

父も母も年の離れた妹も、食事の前に目を瞑って祈る。私はそのあいだ、じっとしていた。

日曜日に教会へ行くと、同い年の子達が話しかけてくれる。仲良くなりたいと思うけれど、私だけ、仲間はずれな気がした。
彼らがギターを弾きながら楽しそうに歌う賛美歌を、私は知らない。

彼らが、と言うよりも私が先に、過剰に線を引いた。

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「終わり良ければ全てよし」
と言うが、またその逆も然り、であると思う。

私がその家族での暮らしを終えた時、気分は最悪であったから、楽しかったはずの記憶があまり思い出せない。家族みんなでテニスやパークゴルフを楽しんでいたはずなのに。

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忘れてしまったものは話せないから、最後の部分を残しておく。

最後はかなり、限界だった。

会話は極力最低限。
顔を合わせないように、休日は遅く起きてから、外に出かける。
学校と友達だけは好きだったので、それらを失わないよう努力する。

そして疲れる。



全ては、タイミングだった。
今ならそう思える。
けれどあの時はそう思えなかったから、全てが自分のせいだと思い込んで、塞ぎ込む一方だった。

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「家族の関係を終わりにしよう。」という話になる前、久しぶりに私は親とちゃんと話をした。
そこには、当時その家に居候していたカホさんも一緒だった。当時私の苦しさを受け止めてくれたのは、カホさんだった。

親と私、お互いに違和感を感じているのは明らかだったので、その違和感を言葉にしていく作業。

私は震えていた。

カホさんが私の手を強く握ってくれていなかったら、いよいよ形を保てずに崩れていたかもしれない。
いま思えば、あの時カホさんも一緒に震えていたのではないだろうか。
血が止まるほど強く握られた手の感覚を、私は今でも思い出すことが出来る。


話し合いは夜遅くまでつづいた。
けれどそれは新しいものを何も生まず、ただただ、終わりを確認しただけのようだった。

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それでも彼らが確かに私の "親" であるという気持ちがするのは、最後に残された言葉のせいである。

「いつになっても良いから、あなたが幸せになった時は手紙をよこしてほしい。会いに来てもらってもいい。とにかく、幸せになったら、教えて欲しい。」

当時私は心が涸れていたから、「最後だけ、やけに綺麗なことを言うものだな。」と思ってしまったが、あれは確かに親の情だったのではないかと思うのである。
幸せな勘違いかもしれないけれど。

私は彼らに手紙を出す時が来るのだろうか。


生活の中に幸せを見つける度、「今なら手紙を出せるかもしれない」といちいち思う。

けれど未だに手紙を出したことは無い。


結局、こわいのだ。

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あの頃に戻れたら教えてあげたい。

「育ちを見守ってくれる家族もできる。」
「死ぬ時まで隣にいたい、家族と呼びたい人もできる。」
「あなたは普通の女の子にもなれるし、特別な女の子にもなれる、自由な存在だよ。」

そう教えてあげたい。
私は、あの頃の自分を抱きしめてあげたい。

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二度目のクリスマスを迎えることは無かった。
プレゼントにリクエストした、SALONIAのピンクのヘアアイロンを受け取ることも無かった。

半日で引越し準備をして、家族に見送られながら、私は家を出た。

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霧のかかった現実味のない記憶。
これは L子 の話。

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