「家出のすすめ」

この日記を書いているのは3月28日の午前3時頃。
寺山修司の「家出のすすめ」を片手に、今生きている環境、即ち、私の感覚・感性を通して見える世界を心で見つめていました。

今、
充電器のシュー、というモスキートーンのような音、車がコンクリートの上を走る、軽くて明るい音、自分の心臓の鼓動、心臓に付いた気持ち悪い虫がなく声、などがきこえてきます。

車が通る音はなんて心地よい。
私は都会と言いきれない、微妙な町に住んでいるのですが、この時間にも活動する人がいる事がとても嬉しいです。心強い。
でもなぜか、同じ仲間だと思えない。

東京に行った時もそうだった。

夜の新宿は、平日だというのに人でごった返していて、カプセルホテルもなかなかの人数が使っていた(女性ルームしか見てないけれど)。
こんなにも人間が集まって、同じことをしているのに、私は1人。心ここに在らず。独りぽっちに思った。
従来の私なら、「こんな夜遅くに動いてる人たちはきっと私とおんなじようなヤツらなんだろう!仲間はきっと多いはずだ!」と、群れを作れて嬉しかったはず。

人生とは経験しないと分からないことが多いんだね。
高校生になってやっと実感した。
私は夜に住む側じゃないのだろう。
真っ暗な世界を蛍光灯とブルーライトで照らすより、月明かりの下でゆっくり、そつがなく、好きな人のことを考えて、絵とか歌とか文章を創造する方がとても幸せだ。

「家出のすすめ」の KISSOROGY という章にはこんな文章が。

"はじめてのキッスには……(というより、キッスというものは、つねに「はじめての」ような新鮮な感動をともなうものですが)、自分たちだけのおもい出として印象づけ得る場所を選ぶべきです。"

"恋人たちよ、群れるなかれ。
そして、それは恋愛だけの問題だけではなく、「家」の問題から就職の問題、思想の問題まで、すべてのアンガジェにつながってくる、ということを考えてみてください。"

私の、ここに居るべきではないという東京への新鮮な思いは、高校生ほどの年頃野郎が持ちがちな「都会への憧れ」に反するもので、客観的にみると孤立しているけど、群れに従うのではなく、自分の、「新鮮な感動」「おもい出として印象づけ得る場所」即ち、人屑の中にいるのに独りぽっちなんだ、という寂しくも意外な発見、そして、憧れている"東京"という街を、心で大切にするべきだなと思った。自分の気持ちを肯定できた。

寺山修司の「家出のすすめ」を、全国のうじうじしていてかつ弄れている少年少女たちに、私と同じようにオススメしたい。

"家出のすすめ""悪徳のすすめ""反俗のすすめ""自立のすすめ"の四章から成っており、私たちの青春の教科書を担ってくれると思うのだ!

反俗こそ私たちの生き方、文化であり、怒りこそが明日を生きるエネルギーになる。悪徳の何がいけないことか?倫理的に、法律的に、もっともっと考えるべきだ。
家出をした先の場所で、きっとこの本を手放すことになると思うけど、その場所でこそ、教科書として培ってきた知識とか思想とかを活かすべきであって…、ウム。

それはそうと、いつまでこの反抗期は続くのだ!
こんな本を読んで強くなった気でいられるのはいつまでなのか。
1つ分かっているのは、こんなことを考えるのに午前3時の空気と睡眠薬は最適だということ。

本の続きを読みます。おやすみなさい!

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