高齢化社会と親・ココロ資本主義

あいかわらず、わけのわからぬことを書いて恐縮です。

生産者・創造者として評価されにくい高齢者。けれども、経済は回っていく・・・。高齢者に経済果実のほとんどを食べられてしまうと、もう、次に収穫は望めない。

だとすれば、高齢者を生産者として位置付ける「なにか」が必要という事でしょう。それは、「心(ココロ)」。

「でたぁー! 精神論で経済廻す気か?」・・・。否、ココロが通貨になる仕組みと仕掛けを作るのです。

需要と供給をココロでつなぐ。

「お前、なんかの新興宗教か?」・・・。否、科学で解決できるココロがあります。それは、計測するテクノロジー。ココロを計測するテクノロジーがあれば、なんにでも交換できる通貨として存在しうるのです。

「満足・不満足」「貢献したい・退きたい」「感動・無視」「好き・嫌い」「喜怒哀楽」・・・。人間の感情には「差」があります。この「差」を科学するのです。

これが普遍的な水準・指標となれば、何かと等価交換する媒体となります。プラスに作用する感情は、価値を上げることになり、マイナスに作用する感情は、価値を下げます。ですが、下がれば、やがて価値が上がる可能性がありますから、マイナス感情を起こしたモノ・コトは、変化を遂げながら、再び、市場で活躍するのです。プラス感情を起こしたモノ・コトも同様です。

現在でも、「欲しい・必要」に対して供給が発生し、欲するモノ・コトに対して評価され「感情」が生まれます。本投稿の「親・ココロ資本主義」では、テクノロジーによる感情計測から通貨・ココロが作られ、「後払い」清算・決済となります。

ですが、後払いでは滞りが起こる可能性が高い。そこで、ココロ・ベーシックインカムの導入を行います。何にでも交換できるココロ通貨。これをあらかじめ公平平等に人々(場合によっては、人間には欠かせないゲノム編集生物やロボット・人工知能など)に分配します。こうすれば、必要最低限のセーフティネットが張られていますから、通わないココロだとしても、復活できるのです。

ココロ・ベーシックインカムは、いわゆる喜捨で成り立ちます。価値として流通するココロを多くの人からいただいたら、その何割かをベーシックインカムへ納めるのです。

まだまだ、書き足りませんが、ここまでが大概略:親・ココロ資本主義の仕組みと仕掛けです。いままでは、高齢者までの世代のお話。ここから、高齢者のお話。

病気になったり、何らかのアクシデントに見舞われたりして、通常の社会生活を送ることが困難な状況でも、ココロ通貨が流通する社会であれば、平等に暮らすことができます。高齢者も機能減退などでおもわしくない状況でも、同様に心おきなく暮らすことができます。

積極的なベッドの起き上がりでヘルパーの仕事を軽減させたり、「いつも、世話になってありがとね」という感謝の言葉でも、ココロ通貨は発行できます。そう、感動がココロを豊かにできるのです。

親・ココロ資本主義、全世代の社会保障としてありうる仕組みだと勝手に考えています(笑)。中国が社会主義、アメリカが資本主義。こんな分け方から、ボチボチ、離脱したほうがよさそうです。人工知能の判断に委ねた社会。なにかの証明がなければ、自己実現も承認欲求も満たされない世の中。それは、「人間らしさ」を失う世の中でもあります。そうなる前に、新しい人間中心の社会を構築しなければ、世界が終わってしまう予感がしてなりません。今ある社会主義や資本主義と並走しながら存在できる親・ココロ資本主義。やがて、これが主流の社会構造となれれば、安堵の1000年がやってくるのかもしれません。

ゲームなどの感動が、周り廻って人を助けることになるかもしれない、親・ココロ資本主義。VR/AR/MRなどで、ココロが流通する社会。いまの通貨制度では賄い切れない経済ができつつあるのです。


「全世代型社会保障の論点(上)財源負担への納得感醸成を」日経新聞 下記リンク参照




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