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許すものは被害を語ってはならない

神の言う敵を許すとはその敵に復讐しない事だけではない。敵から受けた被害を後世に語り継がない事である。

自分たちが被害者である事を語りつけばそれは後世の子孫たちに復讐させる機会を与える事になる。

許す事は忘れる事であり、忘却のない許しは存在しない。忘却のない許しが存在しない以上、自分たちが受けた被害を語り継ぎ続けることは子孫に復讐を託しているのだからやはりそれも復讐してる事になるのだ。

でないと復讐者はかつての加害者の無関係な子孫を血祭りにあげてしまう。

我々は歴史を正確に知る必要があるかも知れないが歴史とはそこに激情的な感情を起こすものであってはならない。

個人や民族の痛みとあなたの痛みは別であるのだ。一個人として忘れがたい苦しみであってもそれは飲み込む努力をしなければならない。

そしてそれを恨みとして継承せず、自分の代だけで終わらせねばならない。それができないなら自分の代で復讐を果たす方がましである。

血縁者が受けた痛みは時として自分が受けた攻撃よりも怒りをもたらすだろう。しかしそうであってもそうであるが故に許さねばならない。

それを神が望んでいるからである。


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