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泪橋~回向(4)

「図書亮」
 袖を引いて、図書亮を引き止める者がいた。思わず、溜息が出る。
「藤兵衛か」
 図書亮を引き止めたのは、幼馴染の藤兵衛だった。彼もあの惨状を目にした一人であり、図書亮と同じ様に妻のはなを連れてきていた。はなも、三千代姫付きの女衆の一人だったからだろう。
「黙って帰ろうとするとは、水臭いではないか」
 図書亮は、りくと顔を見合わせた。りくも困惑している。図書亮に対する心無い噂をはなが持ち込んできて以来、図書亮らの方から意図的に距離を置いていたのだった。幼馴染の図書亮らへの気遣いも、理解できたからである。
「箭部屋敷に、娘を預けてきていますから」
 りくはそう告げて、逃げようとした。
「りく様。お辛かったでしょう」
 はなの言葉に、踵を返そうとしたりくが立ち止まる。
「済まぬ」
 傍らで藤兵衛も、頭を下げている。どうやら、図書亮夫妻が苦境に立たされているにも関わらず、自分たちは何もできなかったことを苦にしているらしかった。それに気付くと、さすがに責める気にはならない。
「何がだ。お主らが私に対して何かしたわけでもなかろう」
 図書亮は、素知らぬ体で惚けてみせた。首を伸ばして祭壇の方へ視線を向けると、祭壇のすぐ前では、月窓導師と為氏、そして美濃守が何やら話し込んでいるのが見えた。為氏の顔はというと、久しぶりに穏やかな表情をしている。
「でも……」
 はなが何か言い淀んでいる。思い切ったように、藤兵衛が顔を上げた。
「少し前から、お主のところに鎌倉からの使者が出入りしていたろう。あれは、佐野殿だよな?」
 幼馴染である藤兵衛は、佐野のことも知っている。佐野は目立たないように気を使ってくれていたが、たまたま藤兵衛に見つかったらしい。
「それは、他の者には言わないでほしい。口の端に上らせれば、御屋形にご迷惑が及びかねん」
 図書亮のやや強い口調に、藤兵衛が押し黙る。この男とは長い付き合いだ。図書亮の身の上に起ころうとしていることを、察しているのかもしれない。そこへ、もう一人の男が近づいてきた。
「一色殿。伯父上らのあの沙汰は、私も不公平だと思う。梶原の首級を挙げたのに、その見返りが取木村だけではおかしい。もう一度、領地の差配について掛け合われたらどうだ?私もお主の武功を証言する」
 歩み寄ってきたのは、箭部紀伊守だった。りくの従兄弟であり、須賀川城攻防戦では共に戦った仲でもある。箭部一族の彼がそのようなことを言い出すのは、意外でもあった。
「好かれておりますね、図書亮さま」
 側で、りくが笑い声を立てた。この数ヶ月、育児に専念していたとは言え、夫にまつわる悪評に密かに胸を痛めていたのだろう。
「当たり前だ。図書亮殿は、源五郎の命の恩人だぞ」
 思わず図書亮の名前を口にしたところを見ると、紀伊守は少し怒っている様子である。今までそのような親しみを見せたことのない紀伊守だったが、図書亮は、紀伊守が自分のために怒ってくれたことが嬉しかった。そういえば、無我夢中で忘れていたが、図書亮は箭部一族の者を助けていた。紀伊守はあのときの図書亮の行動に、余程恩義を感じているのだろう。
「いいのです、紀伊守殿。戦場で同族を助けるのは、当然ですから」
 図書亮は、明るい笑みを浮かべた。あまり余計な事を言うと、この善意の二人をまた新たな騒動に巻き込みかねない。
「だがなあ……。御屋形と三千代姫様の婚儀は、皆で賛成したことだろう。三千代姫様の怨霊が御屋形を悩ませ奉っていたのは確かだが、それを図書亮のせいにするのは筋違いだろう」
 藤兵衛は、まだ怒りが収まらないらしい。
「そうですわ。それに、芳姫さまもそのような形で持ち上げられても、嬉しくないでしょうに」
 忍夫妻の言葉に、傍らにいる紀伊守も強く頷いている。確かにそうだ。例の噂もあり、図書亮が芳姫と語り合う機会には恵まれていない。だが、三千代姫についてのあれこれを面白可笑しく聞かされる芳姫も、このままでは困惑するばかりだろう。
 再び、図書亮はりくと顔を見合わせた。はなの言葉で、決心がついた気がする。
「今まで、世話になった」
 図書亮の言葉に、忍夫妻や紀伊守が瞠目した。
「お主……」
 言葉を続けようとする藤兵衛を、図書亮は押し留めた。
「見送りは不要だからな」
 噂の渦中の人物と話しているのが、気になるのだろう。周りから、ちらちらと視線が投げかけられているのを肌で感じる。
 あまり引き止めておくと、彼らの為にならない。軽く手を上げて挨拶すると、図書亮はりくを誘って彼らに背を向けた。
 
 箭部屋敷にさとを預けていた礼を述べて帰宅すると、家の前には僧侶が待ち構えていた。例の明沢である。
「またお主か」
 図書亮は、軽く睨みつけた。図書亮の傍らにいたりくも、もうそれほど明沢に驚かない。りくには、鎌倉との関係を説明する兼ね合いもあり、明沢が忍びの者であることや、この男が美濃守の配下らしいことを明かしてあった。
「またはないだろう、または」
 図書亮の嫌味に応じる明沢も、慣れたものである。だが、これからはこの男とも縁を深めていくことになる。人目についてはまずいこともあり、図書亮は明沢を家の中へ招き入れた。
「お主のことだ。あの月窓導師も、お主と同じような者なのだろう?」
 明沢は笑みを浮かべただけだったが、おおよその見当はついた。法号にはどちらも「明」の文字が使われており、子弟関係であると推察された。この明沢という男は月窓の弟子の一人でありながら美濃守の間諜を務めているが、それは月窓和尚の意向でもあるのかもしれない。
「お主を悪く言う者がいる中で、お主を信じる朋輩もいたではないか。それでも後悔しないな?」
 明沢が、念を押した。人の話を盗み聞くとは、つくづく悪趣味だと思う。だが、この明沢とはある種の絆が生まれ始めていた。
「このまま私がこの地に留まっていれば、御屋形のお悩みを増やすだけだ」
 図書亮の言葉に、腕の中にさとを抱いてあやしていたりくも頷く。昼間の法会で図書亮がわざわざ端の席を選んだことから、改めて図書亮に対する風当たりの強さを感じたようだった。
「よくぞ、ご決心された」
 明沢が、笑顔を開いた。
 明沢によると、鎌倉では、既に佐野が屋敷や人員を手配済みだとのことだ。相模さがみの富田郷では、一色家の若様が生きていたと知り、馳せ参じたいと希望する者が続々と集まっているという。須賀川では今一つ立身には至らなかったが、鎌倉ではどうやら人員の懸念は少なさそうである。
「いつになる」
「御屋形らのご同意が得られればすぐに鎌倉に向かうと、成氏公にお伝え願いたい」
「わかった」
 既にりくの同意も得ている。もっとも、箭部一族の長である安房守は、りくやさとを須賀川から出すことに難色を示すかもしれないが……。
 残された時間は、そう多くはない。明沢はその日も当たり前のように、一色家の夕餉の相伴に預かりながら、細々とした打ち合わせを重ねたのだった――。

©k.maru027.2023

>「鎌倉へ(1)へ続く

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