【掌編小説】 秋にまつりはするけれど。

 秋のお祭りには、特別な思い出がある。

 お祭りなんて考えてみれば年中やっているので、それほど特別なものではないのかもしれない。

 人がたくさん集まって、飲み食いして、夜中まで騒いで。

 毎年その時期が来たら開催されているからなんとなく参加するだけで、もともとなんのお祭りか把握していない人も少なくない。


 子供の頃、学校からの帰り道にある小さな祠によく立ちよっていた。

 近所のお婆さんがたまに掃除をしたり、お花を変えたりしているようだったけれど、拝みに来る人なんて見たことがない。

 こんな小さな家で、神様はどうやって暮らしているのだろう。

 ここで暮らせるくらいの手のひらに収まるような小さな神様なのだろうか。
 実は、中は別のとても広いところに繋がっていて、人が見ていない時にこっそりあの小さな扉から出入りしているのだろうか。

 よく、そんなことを空想していた。

 秋には、その祠から少し離れたところにある大きな神社からわけてもらった火を入れた提灯を持って、子供たちが地域の家を回る行事がある。

 火は大人たちがもらってきてくれるので、子供は祠に集合し、その辺りの家を回ったら、また祠に帰ってくる。

 初めてこの行事に参加したのは、いつだったか。
 小学校、低学年の頃だったと思う。

 地域を一周して帰ってくるとお菓子がもらえると聞いていたので、それを楽しみにしていた。

 低学年は、「あぶないから」といわれて提灯を持たせてもらえない。

 高学年になると提灯を持たせてもらえるのだが、その頃には「お菓子がもらえる」という誘い文句は全く魅力的ではないし、駄々をこねる小さな子たちのお守りをしながら地域を一周するのは、はっきりいってめんどくさい。

 提灯を持たせてもらえるようになって知ったことがある。

 提灯に灯っている火は、大きな神社からもらってきた特別な火なのだと聞かされていた。

 大昔から一度も消えたことのない火で、顔も知らないご先祖もこの火を見て同じようにお祭りをしてきたのだと、幼い頃は信じて疑わなかった。

「高学年の子、提灯持ってこっちきて」

 当日、受け取った提灯を持って、大人たちのところに行くとその手にはライターが握られていた。

「気をつけてね」

 そういいながら当然のように、ライターで蝋燭に火を灯していく。

 意味がわからない。

「神社にもらいに行かなくていいんですか?」
「あぁ、ちっちゃい子には内緒ね」

 内緒、ね。


 夜になると地域の子どもたちが行列を作って家を回る。

 基本的には、家の庭に入れてもらって「まわれ、まわれ」と歌いながら何周か円を描き、「この家繁盛せ、この家繁盛せ」と締めくくる。

 お年寄りの家に行くと家の中に上がるように促され、靴を脱ぎ、床の間にまで上がり込んで同様のことをする。

 そして、有難がられる。

 子供たちは、「繁盛」の意味などわかっていないから、大人にいわれた通り「はんじょーせ」というだけ。

 提灯の火は神社からいただいたものではなく、百均で売られているライターで灯した火。


 お菓子が欲しいだけの子供。
 真実を知ってしまった子供。

 恒例行事を麁雑に移す大人。
 慣習を有難がるだけの老人。


 小学校卒業後は、あの行事には参加しない。

 次に参加することがあるとすれば、この地域で子供を産んで育てることになった時だろう。

 高校生になってから、あの祠の近くを通ったことがある。

 中学生の時は、少し遠回りになることを承知で祠を避けるように道を選んでいたので、しばらく見ていなかった。

 いつも綺麗な花がさしてあった花瓶には、枯れ枝がささっていた。
 屋根には苔が生え、木は黒ずんでいる。 

 たった数年で、一気に寂れたようだ。

 それにしても、こんなに短期間でここまで朽ちるとは。

 手入れをしていたお婆さんは亡くなってしまったのだろうか。
 その後、お婆さんに代わって手入れをする人はいなかったのだろうか。


 少しして、低学年の子が提灯で火傷したことをきっかけに、提灯には火を入れず、代わりに蝋燭の形をしたLEDが使われるようになった。

 集合場所も、祠ではなく公園になった。

 祠は道路に面していて危ないからという話だったが、誰も手入れをしなくなった祠の外見は大人が見ても不気味なものになっていたのもまた事実である。


 あそこにはまだ、神様がいるのだろうか。


 今年もまた、あの時期がやってきた。
 子供たちは、提灯を持って地域の家を回る。

 私は、怖くて仕方がない。

 これはいったい、なんのおまつりなのだろう。

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