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ウィーンという町の憂鬱

一人旅をするとき、私は必ず街で迷うことにしている。そうすることで、その街を自分の足で踏み固め、その街の生活を見ながら、そこに生きる人々を感じることができるからだ。
しかし、時代は便利になり、地図アプリを使えば迷うことさえできなくなった。便利は時間を有効活用させてくれるが、「見えない何か」、それも数えきれないほどある「見えない何か」と「私」をつなぐ機会を喪失させてしまう。

ウィーンに移り住んで半年。
いつもよりも時間がかかったが、この街の「見えない何か」が少しずつ見えてきた気がする。そして、この街と私の関係性も少しずつ築かれてきたように思う。

どんな街にもその街独特の「憂い」があると私は思っている。
トルコ人ノーベル賞作家のオルハン・パムクは、故郷のイスタンブールをヒュズン(憂愁)の街と表現した。地政学的にも歴史的にも重要な位置にあるイスタンブールの歴史と現実を受け止めなければならない人々の苦悩がヒュズン(憂愁)となってイスタンブールにあふれている。私も1年の滞在中に幾度となくイスタンブールで迷い、なんとなくそれを感じることができた。

東京の憂いは憂悶だと思う。
江戸時代が終わって130年余り。一体どれくらいの建物が作られ、壊されただろうか。何度、街の風景が一変しただろうか。でもこの街はさらに変化しようと悶えている。
驚異的なスピードをもって物理的な発展をしたとしても、精神的な分野も同様に発展するかは甚だ疑問だという話は本当だと思う。
東京の街を彷徨ってみても、そこで生活する人々は画一的で、無機質な空気をまとっているように私は感じるからだ。
活気がないとはまた違った諦めのような無機質。東京はそんな無機質に裏打ちされた憂悶を持っている。

ウィーンの憂いは憂鬱である。
ハプスブルグ家の都、音楽の都、観光都市。歴史的建造物やドナウ運河。この町には輝かしい歴史と文化がつまっているのは間違いない。
しかし、そこで生きる人々は、歴史と文化を感じる生活を必ずしもしていない。それは、どこの観光都市もそうだ。
けれど、ウィーンの街の路地裏は、特に寂しく感じる。暗い、お店がない、人がいない、ということではない。なんだかすべてが隠されているように感じるのだ。

移民、道端のごみ、人々の息吹。
そういったものが見えない何かに隠されている。
それは、主義主張や宗教などの精神的ななにかや、物理的ななにかで強制的に隠されているわけではない。
その隠れ蓑の正体は「憂鬱」であると私は思う。
華々しい歴史と文化。そのすぐ横にある街の生活者としての憂鬱。
美しい建造物と景観。それを美しいままに守ることを運命づけられた人々の使命感に垣間見える憂鬱。

それが、この街の生活を見えなくさせている。

ウィーンの憂鬱。
ちょっとだけ見えてきたこの街の「見えない何か」。

たぶん、もっとある。だからこそ、この街で生活し、感じ、見えないなにかとつながっていきたい。

きっと、そうすることで私とこの街との関係も深くなり、ひいては自分の輪郭もはっきりしてくるだろうから。


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