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vol.142 シェイクスピア「ハムレット」を読んで(福田恆存訳)

「ハムレット」を楽しむ。
420年以上前に描かれ、世界中で上演されていたシェイクスピアの全5幕からなる戯曲。1600年ごろ。舞台はデンマークの城。死んだ父の亡霊から復讐を命ぜられる。理性と感情のはざまで悩むデンマーク王子「ハムレット」の復讐劇。

ハムレットのジレンマを凝縮した名ゼリフ「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(第三幕第一場)この有名な哲学的な問いに、一歩も近づけないまま、読み終えた気がする。

それでもさすがに魅力的な作品だと思う。そう思わせるのは「ハムレット」の詩的な言葉だ。全力で人生を見つめている。「人はなぜ生きるのか、いかに生きていくべきなのか」そこだけをずっと考えている。

簡単なあらすじ
父親である先代のハムレット王の亡霊らか、叔父のクローディアス現王から殺されたことを告げられ、王子ハムレットは現王への復讐を誓う。復讐の機会を伺うためハムレットは狂気を装う。クローディアス王の家臣ポローニアスは、ハムレットが気が狂っているのは娘オフィーリアへの恋煩こいわずらいだと勘違いする。一方、ハムレットは、母であり現王の妻になったガートルードに、父の恩を忘れたかと責め立てる。

人物相関図

ある日、ハムレットは間違えてポローニアスを殺してしまう。その娘のオフィーリアも溺死する。兄のレアーティーズは、ハムレットを許さない。

最終幕、王と画策したレアティーズはハムレットと剣の試合をし、毒を塗った剣で王子を殺そうとする。その剣を取り間違えたレアティーズが死ぬ。念のため王が用意した毒入りの盃をきさきが飲んでしまい死ぬ。王も剣に刺され毒を飲まされ死ぬ。復讐を遂げたハムレットも毒刃に倒れ死ぬ。(あらすじおわり)

第五幕 第二場

なんとも悲惨な最終幕。やられたらやり返すの結果は、やはり虚しくなる。

その虚しさを包むのが、ハムレットの一つひとつの意味深いセリフだ。「人間とは何だ?ただ食って寝るだけで人生のほとんどを費やすとしたら?獣と変わりはしない。神は我らに、前を見通し、うしろを見返す大きな思考力を授けたもうた」

こんなふうにどこか物事の道理をわきまえた言い回しが、全場面に広がる。絶妙な比喩表現。激しい感情の揺れ動きの描写も、つじつまの合わない奇抜な展開も、全てこの作品の魅力に思えた。

1600年ごろの今とは違うアイデンティティにも興味がいく。中世と近代のはざ間の時代。日本では徳川家康のころ。

中世、自分がどうしたいかを考える時、神さまや仏さまにどこかでお伺いを立てていた。神仏や自然といった絶対的な他者が自分の心の中を見張っていた。ある意味、感情が生き方を左右していた。

近代になるころ、「自分はどうしたいのか」は、絶対的な他者よりも自我を意識しだした。理性的に物事を捉えるようになった。

そういった時代背景の中で描かれた。

ウィリアム・シェイクスピア 1564年ー1616年

父の亡霊の言葉を信じながらも、自分はどうしたいのか、迷っているようにも見える。復讐に全精神を注ぐとしながらも、復讐のチャンス到来に踏みとどまっている。美しいオフィーリアに好意を持ちながらも「尼寺に行け」と突き放してしまう。迷いがある。揺れ動いている。神の教えが行ったり来たりしている。そして、悲劇的な最後を迎える。

「人はなぜ生きるのか、いかに生きていくべきなのか」。時々こういった詩的表現の哲学的な問いに触れたくなる。揺れ動く「ハムレット」を読みながら、そう自覚した。

おわり


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