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「落書き」のように書きたい

ものをつくるっていうことについて

少し考えた。

自分に照らし合わせて考えると
それはたぶん仕事とかさなる。
設計図を描くこと。
図面がないと工事が出来ないから作図して何かをつくる。

そしてそれは、依頼主の思いや希望を実現するための作業
かたちにするために、価値を作り出すために絵を描く。

純粋な想像や創作とスコッチ違う。

つまりは、代行者。翻訳的な役割りをしているの。

施主の思いを工事施工者へ指示する、思いをパスする。
そのときにまったく機械的にことを進める場合も人も居れば、
個人の嗜好やアイデアをこめる場合もある。

そんな仕事に対して

ここで勝手気ままに話したり、落書きを描いたりできる。
誰のためでもない自分のための行為になる。

さらに、こんな駄文も、語りかける相手や対象がある場合と
自戒をこめて自分に向かって語り掛けるような場合がある。

そこで気づいたことに、
はたして自分は自分自身のことを吐き出したことがあるのかと。

スケッチと言う「落書き」は、何かを描いている。
自分の中のなにかを取り出していることは明らかだ。

それに対してテキストは、いつももう一人の自分がどこか客観的な態度で言葉を書き連ねているんじゃないかと思った。

だから、つまらないモノにしかならないんだと思った。

お話をつくりだすことや、文章をつくりだすこと。
自分の中から何かを取り出して言葉にするとこと。
自分のなかから染み出してくるなにかを言葉に定着させることとは何か違う。

純粋には、職業病なのかもしれないと。
自分を殺してつくるのが生業であるから
自由に出来るときもなにかリミッターがはたらくのかもしれない。

無心で手の赴くまま「落書き」を行うように、テキストも「落書き」出来ればいいのにと思ったりした。

そんなことを思った日だったな。


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