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本の帯どうするか問題

長年私を悩ませている問題がある。
そう、本の帯をどうするか問題である。
もともと几帳面な性格もあり、本の帯が捨てられない。
ただ、その几帳面な性格ゆえに読んでいるときは帯が手に当たって気になる。
かといって、本から外して取っておくと、本棚の上に謎の本の帯がワシャワシャしているコーナーが出来上がる。
本の帯はけっきょくどうするのが正解なのか、いいかげんこの問題に結論を出したい。

まず、どうして本の帯を捨てられないのか。
それは、なにかもったいない感じがするからである。
本の帯があった方が新品っぽいし、売るときに高く売れるかもしれない。
つまり、帯もその本の一部と考えてしまうから捨てられないのだ。

これについて書店員としての立場としてならどう見るか。
実は、帯は商品扱いしておらず、帯が傷んでいる場合は捨ててもいいことになっている(あくまで私が勤めている書店の場合)
というのも、帯が破れていると他の本に引っかかってその本が破けたり、触った人がケガをしたりするかもしれないからである。
だから、棚を整理する際、帯が破れていたら積極的に捨てていくし、それも仕事の一つなのである。

そんな感覚に慣れていくと、自分が買った本の帯でも捨てれるようになってきた。
今までは捨てれなかったものをバンバン捨てれるようになる、この爽快感たるや。
ただ、そんな私でも捨てるかどうかを悩む帯が出てきた。
それが、「凝っている帯」である。

帯はもともと宣伝効果を狙うものであり、読んだ人の推薦コメントやその本の受賞歴・売上部数などが書いてあるものが多い。
それらの情報は買うときには参考になるかもしれないが、買ったあとには不要だし、正直言うと品がないように感じるので、自分が買った本に付いていたらバンバン捨ててしまう。

ただ、中にはその帯がカバーデザインの一部なんじゃないかと思うほど装飾の凝った帯があり、それについては捨てるかどうかをしばらく悩み、けっきょく本棚の上にそっと乗せるという行動を取ってしまう。

たとえば最近買った本だと、夏葉社の『神様のいる街』。
夏葉社は装丁がきれいなことで有名だが、それは帯においても例外ではない。
まっ白い本に付けられた淡いピンクの帯。緑のきれいなフォントで「いつも晴れていた。」という一文があしらわれている。
もはや、なんの宣伝もしておらず、ただただかっこいい。

他にも左右社の『ヒューマン・ライツ』という詩集は、表紙が黄色、ピンク、灰色という3色のグラデーションになっているのだが、実はピンクと灰色の部分は帯で、それを取り外すと黄色一色の表紙が出てくる仕掛けになっている。
ここまでいくと見事なもので、帯が明らかに表紙の一部を担っている。

けっきょく、帯を捨てるかどうかは「その帯にこだわりを感じられるか」が重要なのかもしれない。
宣伝のための帯は、どこか安っぽく別に捨ててもいいと思える。
ただ、その本のデザインをより良くするために付けられた帯は、装丁した人の仕事が感じられ、捨てるのが忍びない。
つまり、捨てたい帯は捨てればいいし、取っておきたい帯は取っておけばいいのだ。

「そんな当たり前のことを結論づけないとやっていけないなんて」とおかしく思いながら本棚の上に目をやると、本の抜け殻のような帯がいくつも横たわっている。
凝っている帯を取っておいても、本を読んだあとに付け直す作業がどうしてもできないでいる。
次は、どうすれば本を読んだあとに帯を付け直せるかを考えなければいけないようだ。

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