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再掲載:短編小説「満月制作」



「ナオユキ先生、これすごいよ、ねえ、これ全部月にしない?」
 

 アサミ先生の声は、この資料室にある私より年配の教材、それらを包み込むほこり臭い空気と比べ、唯一澄んでいるもののように感じられた。生徒たちの下校時間はとうに過ぎ、教室ほどの広さがある資料室のカーテンは閉め切っている。秋口特有の曇り空がカーテンを透過して二人しかいない資料室の仄暗さを加速させていた。


 アサミ先生に背を向け、床に膝をつき改定前の教科書をビニール紐で縛っていた私は聞こえていないふりをした。理由は簡単で、生徒の前や職員室で話すアサミ先生の口調と若干違ったからだ。具体的にいうと、二人っきりで過ごすプライベートの時の口調だった。


「ねえ、ナオユキ先生、聞こえてないんですか?これ見てください」
「アサミ先生声が大きいですよ、どれですか?」
 

 私はしぶしぶ立ち上がりアサミ先生へ体を向けた。上下ピンクのラインが入った紺のジャージ、作業がしやすいように長い髪をヘアゴムで一本に縛っているアサミ先生は額にうっすらと汗をかいていた。

「これ、何なのかはわからないけど、きっと昔の学習発表会のやつだと思う。私たちの学年の小道具の月の上に貼ればクレーターみたいになると思わない?」
 

 アサミ先生は両手に車のホイール位に切りそろえたダンボールを三枚、扇子のように広げて私に見せた。私の方に向けた段ボール面は白い画用紙が貼ってあり、その上から蓄光性の夜光塗料が塗ってあった。私たちの作業時間ずっと蛍光灯の光を受けていたのだろう、久しぶりの仕事に張り切りぼんやりと光っていた。

「クレーターにするのはいいんじゃないですか。でもそれを作ったのは、そんな昔じゃありません。去年の学習発表会のトチの木に飾るために私が作ったんです。でも結局使う機会はなくここに仕舞っておいたんです」
 

 去年の本校の学習発表会は中止となった。生徒の保護者に中止とい連絡をする頃には劇の練習は始まっており、私のような計画的な教職員は小道具の準備を進めていた。学習発表会が中止となっても、もしかしたらいつか使えるかもと思い資料室にしまいこんだ。そんな〝もしかしたら〟を待ち望んでいる教材がこの資料室にはあふれている。



「そっか、ナオユキ先生が作ったやつなら主任や教頭先生への確認もいらないね。私これ持ってプレイルームで小道具の月に貼って来るから、残りの掃除が終わったら教頭先生に報告よろしく」
 

 そういうとアサミ先生は手に三つのダンボールを持ち、業務の優先順位を無視して資料室から逃げ出した。楽しくなりそうなことを見つけると、居ても立っても居られなくなるその姿はよく知っている。資料室からアサミ先生の靴音が結構な速さで遠ざかる。今はきっと、小学生の頃と変わることのないにやけ顔を作っているのだろうと思うと、気は進まないが残りの業務を私一人で終わらせることにした。


 教職員は他人の目を気にする。言動や行動がすぐ噂になり、学校中に広まるからだ。兄弟で町中を少し歩いているだけで、翌日には学校で「昨日の男の人はだれですか」なんて聞かれることはよくある。だからこそ、校内での言葉遣いは徹底しなければいけない。


 私とアサミ先生の気兼ねない会話を聞き変な噂が流れてはいけない。私は資料室の雑務を終えアサミ先生の進捗状況を確認するため、プレイルームへ行く道すがらそんなことを考えていた。
 


 プレイルームの扉を開け、中に入るとそには満足げな表情のアサミ先生とその横にはベランダ側の窓に立てかけられた満月があった。プレイルームの窓からは曇りによる暗がりがすぐそこまできている。満月が暗がりに映えていた。黒板の半分ほどある満月は、ダンボールと黄色い厚紙で構成され、二つのクレーター部分は厚紙と違った淡さをかすかに持ち息づく光を放っていた。

 

 アサミ先生は満月を捕まえていた。


「これすごくない?去年のナオちゃんに感謝だね」
満月が完成した興奮からだろうか、口調がプライベート用にシフトされていた。満月の横で話すアサミ先生を前にし、ここまで来る道すがら私が大切にしていた世間体は飛散し満月の横にいる暗がりに飲み込まれた。


「すごいよ、まるで本物の満月をアサミが捕まえたみたいだ。今日みたいな曇り空の時はこれを見ながらお月見できるな」
私の言葉を受けてアサミはまた楽しいことを見つけた表情をした。

「いいね、なら今日は余ったこれをも持ち帰って私の家で月見酒をしよう」
そういうとアサミは床に置いてあったものを拾った。去年私が作ったトチの木の装飾部分――いや、アサミの拾ったものもまぎれもなく小さな満月だった。そうと決まれば早く帰ろう。とアサミは張り切ってプレイルームの片づけを始めた。


 私はもう一度壁にかかっている満月を見て、
「月が奇麗だ」アサミに聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。


 しかし、アサミは耳聡く私のつぶやきを捉えていたようで、片付けていた手を止め笑いながら、
「それ私に言ってるの?」
 と私の背中に聞いてきた。私はアサミに顔を向けず、満月を見ながら答えた。


「馬鹿、誰が義姉さんにそんなこというかよ」


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