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晴でも雨でもなく雲を愛せるか


0か100かの答えばかりになって物事が進めない。

成長を受け入れるために不完全な関係で継続してく人間関係。

あれもこれも嫌だな。

晴でもなく雨でもない0か100かの世界以外では

不安を持ったまま適応しなきゃいけないんだから。

それについて私はできないんだから。

でも、

できないことを"できるようにする"から、

時間がかかるものだと思ってる。

じゃあ、その雲を愛するためにはどうすればいい?

なんとなくだけど晴れとか雨って、

旅でいうと、目的地の状況のように思える。

いわゆる結果、いわゆるゴール...。 

 それに比べて雲は旅の目的地の天候とかじゃなくて、

旅の中にある心の動きを掬い取っていて、

まさにその雲を抱えることだけが、

旅の本質になってる。

そんな気がした。

いわゆる理由、いわゆるプロセス...。 

 価値あるものってゴールじゃなくてプロセスだし、

旅行ってのは目的地に行くことが目的じゃなく、

プロセスを楽しむことが目的なのかなって。

雲を楽しむためなら、

この不快感はゴールがないと考えること。

そしたら、ゴールがないから、

我慢よりシフトチェンジしてプロセスを楽しめる。

また、雲(不快感や不安)になったらなったで、

それで本当に私は何か失うというのか?とか、

傷つけられたところでカビが入ったチーズをかじり続けることに価値はあるか?

新しいチーズを探すだけではないのか?

などと思えてしまうものだ。

私は今、雲に直面した。

正直不快感と不安でいっぱいだ。

だから、遊園地みたいな楽しさの落下速度とか、

わざと落ちるジェットコースターの優越感とか、

それを知れるチャンスが巡ってきたのだと思って、

絶望に勝てたら自信もつくし、

この痛みは末期じゃなくて成長痛なんだし、

苦しいなら楽しいを無理やり作らなきゃいけないから、

楽しいのレシピをたくさん開発できると思うと、

自己啓発本が今から実体験をもとに出来上がるのだから

感謝してこの痛み、この雲を、抱えて撃とう。 

 私は絶対運命にも

人生にも

苦痛にも


負けたくないんだ。

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