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子の頑張りを無条件に認めること

私はみーちゃん用のアルバムを作っている。 
最初のページにはみーちゃんの名前の由来を書いてある。
それから1歳ごとに2ページずつ、
その歳に撮った写真のなかから、特に未来のみーちゃんに見せたいと思ったものを貼り、コメントを添えている。

3歳の今年、みーちゃんははじめての運動会を経験した。
緊張しながら頑張って走れましたー
そうコメントを書いていたら、
そういえばこういうコメントを書けるのって、親という立場のいいとこだよなと思った。

頑張って走った。という事実と、
一等賞ではない。という事実があって。
学校の先生や会社の上司だったら、
どうしたって後者に留意せざるをえない。次はもっと頑張ろうね、みたいな、能力の引き上げをねらってくるのは、立場からしたら自然なこと。

でも親は、前者に心を砕いてもなんらおかしくない。
結果なんてくそくらえ、この子が頑張ってるのはわたしがよく知っている。
朝晩を年がら年中ともにして、良いときも悪いときも横で見ているから。

私は去年、適応障害で休職した。仕事ができないほど体を壊してしまったと自分を責める気持ちがちくちくと襲ってきて、療養するのも大変だった。
そんなどん底な時を抜け出せたのも、「社会人としての結果」を求めない、家族がいたから。

みーちゃんは充分に頑張ってる。
からあげくんとポテトばかり食べるけど、舌の感覚が敏感なんだろうと思う。
保育園行きたくなと泣くのは、それだけ豊かな感性で、私との日曜日を楽しんでいるから。

ありのまま生きてるだけで満点。
そう、親たる私くらいは思っていていいんじゃないか。
そんな眼差しを向け続けていたら、
みーちゃんは転んでもまた起き上がって、なりたいようになれるんじゃないかなと思っている。


あ、でも、時には厳しい世間に旅に出すことも大事ですね。
社会への適応と、自尊心とのバランスをとりながら。