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縫製工場に40年の歳月を捧げた、耳が不自由な男の話




彼の名前は安井明光。

熊本県は天草出身、昭和35年5月31日生まれで今年還暦を迎える、くまモン好きの笑顔がナイスな男である。


彼は幼少期より耳が殆ど聞こえないので、中学卒業後に南熊本にある障害者の訓練校に入り、2年間時計の組み立てや洋裁の手作業を習い、洋裁の道に進むことを決めたらしい。

弊社の関連工場であるファクトリーモードアンナ(以下アンナ)は創業30年を超えるのだが、それ以前から他の関連工場で働いてくれていたので、アンナの唯一の創業メンバーであり、勤務歴としても40年と、社員として1番長く働いてくれていることになる。


最初は裁断(洋服を縫う前の一番最初の重要な作業で、生地をパターンの紙に合わせて切る事)を習い、ミシンの技術もしっかりと叩き込まれ、早朝から夜遅くまで、とにかく毎日長時間技術の習得に励んでいたと聞いている。

耳が聞こえないからなのか、非常に勘が鋭く頭も良い。また細かい作業に大変優れており、尚且つ細かいところにすぐ気が付くので、まさに職人気質であり、この仕事は天職なのだろうと傍から見ていても思う。(職人特有の面倒な頑固さもしっかり持ち合わせている)


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もちろん若い頃は恋もしたようで、当時アンナで一緒に働いていた森さんという女性に惚れ、当時の工場長(写真左)に、結婚するにはどうしたら良いかを尋ねたところ「結婚するには指輪を渡すとよ」と教えてもらい、指輪を買って渡そうとしたそうだが、残念ながらその恋は実らなかったらしい。




少し話は変わるが、私が22歳の頃、社長(父)から強制的にアンナで働かせられたコトがあり、当時は縫製どころか洋服の仕事なんかに全く興味が無かったので、いかにサボるかに脳みそをフル回転させていたという黒歴史がある。

時間にルーズな私は時間ギリギリで出勤する日々を送っていて、たまに2~3分過ぎると、細かい性格の安井さんは毎回それに気づく。そして遅刻したことをねちねちと指摘してきて、ぶっちゃけうざいなぁと思っていた。(ごめんね)

別に仲が悪かったわけではなかったので、一度私から誘って二人で安い居酒屋に飲みに行ったことがあったが、共通の会話が殆ど無いうえに、耳が聞こえない人とのコミュニケーションは正直とても難しく、文字を書いたりして頑張ってはみたものの次第に退屈になり、その日は早々に切上げたのを記憶している。(当時は私の精神レベルが低すぎたので)



しかし、安井さんも負けじと精神年齢は低い。

2年ほど前に工場の立て直しのため、私自身が熊本に引っ越して半年ほど工場勤務をした時期がある。立て直しのためにあーでもないこーでもないと、現工場長(女性)と日々話し合いをしていた。

ある日話しが一向に終わらず、工場長と帰る方向が同じだったので、二人で話しを継続しながら帰った日があった。それを見ていた安井さんは、次の日からほぼ毎日、

「今日も一緒に帰るとか?」とニヤニヤしながら、ボディーランゲージ※で冷やかしてくるようになった。さすがの私もビビった。彼の精神年齢は中2だったのだ。

※ちなみに耳が不自由な割に、肝心の手話が出来ないところは心から尊敬している




そんな安井さんはいつ工場に行っても、1Fでひとり真剣な顔して裁断をしているか、商品にプレス(アイロン)をかけている。そして私が来たことに気付くと、必ず上の写真のような満面の笑みで迎え入れてくれる。

休みの日も彼は工場に来て、外の草むしりや掃除をしたり、DIYが得意なので、仕事の効率化に必要な創意工夫を凝らした機能的なアイテムを作ったり、壊れた機械やおかしくなってる配線を自発的に修理してくれている。


とにかく少年っぽいところも含めて、たくさんの愛すべき、尊敬すべきポイントを持つ男なのである。




そしてもう既に分かるように、彼は誰よりも長くこの工場に通い、誰よりもこの場所を愛し大切にしている人なのである。


仮にこの場所が無くなったとして、一番悲しむのは間違いなく彼だろう。


そしてこの道40年の彼にとって、縫製という仕事が、アンナが無くなったら、その後どう生きていくのか。


リアルに考えると、私もゾッとする。




私は、自分の器のサイズを知っているつもりだ。

長い間苦戦を強いられてる、日本中のたくさんの縫製工場を守ることは出来ないが、関わってくださっているいくつかの工場を守る事は、もしかしたら出来るかもしれない。

何より縫製工場に恩返しがしたい。アンナだけに特化して書くと、私がここまで成長出来たのは、彼や工場のみんなが私の知らないところで働いてくれて、私の生活を支えてくれたからだ。

なので、私も彼らが知らないところでアイディアを出して努力をし、この縫製工場を長きに渡り継続させ、彼らの居場所を守りたいと心底思っている。


日本製が素晴らしいとか、名ばかりのJapanクオリティとか、そういった表面的な事やキレイ事はもはやどうでも良い。

そうではなく、熊本県にファクトリーモードアンナという素晴らしい縫製工場があって、そこには長い歴史と培ってきた技術があり、それを若い世代に継承して更に進化させ継続していきたい。

その確かな技術を持っている安井さんは、日本の縫製業の宝だというコトを、そして日本にある各縫製工場にはそれぞれ必ず彼のような、縫製工場に人生を捧げてこられた人財が、少なくても数名、多ければ何名もいらっしゃるということを少しでも知っていただければと思い、今回記載させていただきました。




安井さんは今、2年前に入社してくれた今年20歳になったばかりの西富君に、彼が培ってきた技術を「安井さんってこんなに喋るったい!」とびっくりするくらい、安井語で一生懸命伝え教えています。そして何より、今が一番楽しそうです!

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40年後、安井さんが西富君に継承した技術を、西富君が若手に継承している姿が見れるように、みんなで力を合わせてファクトリーモードアンナを継続させていこう!!!

(その頃ワイ80歳涙)








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