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『賢者の石、売ります』が、タイトルとカバーを新しくして文庫化されます

似非科学をテーマに連載をしませんか、という提案を文芸誌『別冊文藝春秋』の編集者からいただいたのは、深海探査をテーマにした『海に降る』がWOWOWでドラマ化されることが決まった頃だったように思います。科学オタクの作家だから似非科学にも詳しいと思っていただいたのでしょうが、私は迷いました。

世の中には、マイナスイオンや、パワーストーンや、水素水のような似非科学商品がたくさん売られています。有名企業の商品ラインナップにもけっこうな数ひそんでいます。売る側が似非科学商品だという自覚なく開発や販売に関わる場合も多く、サラリーマンだった頃の私もその一人でした。今話題の「血液クレンジング」のように命に関わるような商品ではありませんでしたが、「似非科学をテーマに」と言われた時、正義の側には立つ資格はないと思いました。

また当時は、理化学研究所の研究者たちが発表したSTAP細胞に関する論文に疑義が生じたばかりでした。記者会見への対応などのリスクマネジメントも一般企業のそれから十年から二十年は遅れており、科学への信頼が揺らいでいる時でもありました。

これから書く小説の主人公は、どんな人にしたらいいのだろう。
いっそ、科学から遠いところにいる人にしたらいいのではないか、と思っているうちに、「文系で、成果主義」というかつての自分と同じ会社員の設定が浮かびました。だからこそ、短期的な成果を求めない科学への憧れとリスペクトを持っているという人物ではどうだろう。
さらに彼の勤務先の大手電器メーカーでは似非科学商品を製造していて、彼はその部署に異動になってしまします。加えて、実家にいる美人の姉も似非科学を信じやすいタイプです。

そんなアウェイな状況で、彼はどうやって戦えばいいのか。
「それは似非科学だ!」と正面から指摘できるのはネット上くらいで、リアル社会でそんなことをしたら周囲から煙たがられるのが常です。
……だったら思い切って、そういう面倒なタイプに振り切ったらどうだろう。似非科学と戦うたびに孤独になっていく主人公というのも面白いのではないか。その彼が最後、たった一人だけでも、大事な人を守れたとしたら。そして、自分の勤める会社も、ついでに科学の世界も少しだけ変えることができたなら……。

そうやって、『賢者の石、売ります』という単行本ができました。賢者の石はどんな傷も病もたちどころに癒すアイテムとして知られていますが、現実にはそんなものはありません。もし売られていたとしたら、それは似非科学なのです。でも、どこかに万能なものがあればいいなと思ってしまうのが人間。

この物語は発売と同時にたくさんの科学ファンの方に読んでいただきました。以下の記事は単行本発売時のインタビューです。

「マイナスイオンは存在しない!」科学マニアが美容家電開発で大暴れ

一般企業に勤務される方からは「自分ごとすぎる」と言われたりもしました。同じく科学ファンで、会社員でもいらっしゃる塩田春香さんにはHonzで熱いご感想をいただきました。(今回、解説をお願いしています)

2016年 今年の一冊 HONZメンバーが、今年最高の一冊を決める!

文庫化にあたり、今度は科学好きではない人にも届けたいという話になりました。そこで、単行本に引き続き挿画を引き受けてくださった、げみさんに会社で働いている賢児を描いていただきました。ワイシャツの着こなしは職種ごとに違うため、大手電器メーカーの社員のかっこよさを追求していただきました。

挿画ができあがったタイミングで「タイトルもわかりやすく変えませんか」と提案され、焦りつつも必死に考えたのが以下のタイトルです。

『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』(文春文庫)
↑上記サイトからネット書店にも飛べます。試し読みもできます。

どうすれば自分が信じるものを売って、かつ利益を出すことができるのか。クライマックスで賢児は葛藤します。彼がどんな結論を出すのか、お見届けいただけましたら幸いです。

ちなみに賢児が科学オタクとして推している分野は宇宙。地学寄りです。ロケット打ち上げのニコ生や、科学シンポジウムが好きで、オタク仲間の本名は知らない。オタクグッズは買うけど着たりはしないタイプです。科学オタクの会社員ってどんな日常を送ってるの? という興味がある人にもおすすめです。

ぜひぜひ、読んでみてください。11月7日発売です。