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ママ友は必要か?


ママ友はいるのか、いらないのか。定期的に話題に上がります。

ママ友は必要なのかどうか。

私はいないよりは、絶対にいたほうがいいと思っています。

でも、"必ず"できるものではありません。

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長女が生まれたころ、私自身には子供を産んだ友達は何人かいましたが、子どもを中心にしたママ友はいませんでした。

長女が生まれてから1年くらいは疲れもあり、のんびりとした日々で充分でしたが、つたい歩きをしだしたりと活発に動きだすと、徐々に焦ってきます。

「この子にとって、親族から与えられる刺激だけでいいんだろうか...」
「この子が大きくなったときに、他の子と差がつくんじゃないか」と心配していました。

それからは、どこに行くにも「ママ友、できるかな」「この子の刺激になるような交流をしなくては」と頭の片隅にありながら、過ごしました。

ですが、残念ながら子供を通して仲良くなれたママ友はできません。

我が家は年子です。長女が1歳半くらいの時には次女も生まれ、合わせてコロナ禍に突入します。ますます人との交流ができず、願っていてもママ友はできませんでした。

唯一関わりが持てていたのは、少しでも長女の刺激になればと始めた音楽系の習い事の場。
でも、皆、目的は習い事です。世間話をしに来ているわけではないこともあり、2年半通ってもママ友はできませんでした。

その後も数時間滞在する児童館や図書館などで、一生懸命関わりを持とうとしましたが思うように行かず、「ママ友なんていなくても全然平気だし」と思い始めていました。

同い年の友達との関わりが少ないことが原因かどうかはわかりませんが、長女は人見知りがすごく、友達が遊んでいる姿を遠くからじっと見つめている子に育ちました。

じっと見つめ、目で追っている姿を見るたびに「友達に興味があり、なかよくなりたい。でも話しかけるのは怖い」。そんな風に見えていました。

「ああ。大丈夫かしら。心配だな」

そんな風に見つめて、どこか物足りなさを感じながら日々追われる育児や家事で気持ちを誤魔化して過ごしました。

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転機がおきたのは、幼稚園です。

「引っこみ思案な長女は風通しがいい園を」と考え、校庭が広いマンモス園に入園させます。

バス停にも3人のお友達が乗り合わせます。気のいいお母さん方です。

明るく、恥ずかしがって挨拶をしない長女にも毎朝声をかけてくれます。

”一緒に遊びたいのにどうしたらいいのかわからない”私たち親子の雰囲気を感じ取ってくれたのか、恥ずかしがって誰とも話さない長女が傍にいても気にせず、皆は遊んでいます。決して長女を除け者にせず、あくまで”気にしず”遊んでくれました。

長女がバス停のみんなと始めて話しかけたのは、幼稚園に通い出して半年たった時です。それまで何十回も遊びに誘ってもらっていたにも関わらず、長女は一言も話していませんでした。

ずっとずっと”気にしない”で遊んでくれていたのが、長女にとっても私にとってもよかったのです。

「一緒に遊ばなきゃいけない」

「楽しそうにしなくては次に誘ってもらえないかもしれない」

そんなプレッシャーを感じさせず、ニコニコといつも話かけてくれていたのです。

一人の親子は、去年幼稚園を卒業して小学校に上がりました。でも、今でも家族ぐるみで仲良くしてもらっています。

イベントがあれば「あのイベント行く?」と。お互いの趣味を分け合い、誘い合っています。園へ上がるまで刺激がある日々は与えてあげられなかったかもしれない。でもその分、今は、私だけでは与えられない出来事を子供達に経験させてあげられていると感じています。

ママ友は欲しいときに必ずできるわけではないですが、絶対にいたほうがいいと思っています。

私自身も子供たちもそのお友達も、前向きで明るい方向へ繋がっていくきっかけになります。

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ただ、中にも仲良くなれないママ友も。
建前上、取り繕っていたとしても流れる空気で感じ取れます。今後、場面が変われば、そんなママ友に囲まれるかもしれません。

それなら仕方ないのです。

園のママ友に恵まれた私も隣の家のママ友とは、一線を超えられません。どこかぎこちない付き合いです。それでも仕方ないのです。

ママ友は必ずできるわけではないから。

「ママ友とうまく付き合えない」「ママ友が欲しいけどできない」「子供のためにママ友は必要なのかも」と過去の私のように感じているママがいたら、覚えていてほしい。

ママ友は、良い経験をさせてくれます。でもできなくても仕方ないのです。子供のために一生懸命なあなたにはいつかいい出会いが訪れるはずです。

最後まで読んで頂きありがとうございます!