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日本の先生の厳しさの本質

日本の教員はこの春に退職したものの、ありがたいことにアメリカではまだ小学生を教える機会をいただいています。そして、その度にやっぱり教師って最高の仕事だなと教師の楽しさを実感しています。

さて、その中で、「アメリカと日本の教師の違いってなんだろう」という私の大きな問いのひとつの答えを見つけました。

アメリカの先生は生徒を自由にさせる。日本の先生は厳しい。

とよく言いますが、別にアメリカの先生は放任で、日本の先生がいつも怒鳴り散らすわけではないのです。(そういう教師もいるが)

ではその「自由」や「厳しさ」とは、具体的にどういうことか。

手短に言うと、こうなると思います。

厳しさの本質は「(暗黙の価値観を徹底する)執拗さ」
良いように言うと「一貫した指導(?)」そしてその逆が自由。

例えば、小学校などでは、児童が席についていること、先生の話を聞いていること、他のことをせずに前(話している人)をみていること、ノートを書くこと、など全員が同じことができることを期待しています。その場合(ここが味噌ですが)できるまで何度も注意して、必ずさせようとします。できなければ注意して時、には叱るし、保護者にも連絡する。
そいうい厳しさなんです。

アメリカにも日本的な指導をする先生が小学校でいないわけではないと思います。なんせ多様な国ですから色んな先生がいます。でもそれはその先生の特性であって共通理解ではない。
大抵の場合が日本のようにそこまで徹底してすることに意味を見出すことは少ないだろうと思います。だから他の生徒が話をしていても、教師が気にせずに指示を出したり、違うことをしていてもできるまで待ったり、やめさせたりはしません。
それが自由。

なんか、これ細かすぎてわかりにくいモノマネ選手権並みに伝わりにくいかもしれないですが、とても大事な点です。
教育現場でこの「厳しさ」訓練が高校まで続くことを思うと、それが生徒だけでなく、社会全体にとって大きな差につながっていることもわかると思います。

ただし、これは良い悪いではなく、違いと捉えることがまず大事だと思います。アメリカは自由かもしれないけれど、ゆえに道徳観や倫理観の育成が難しいと私は考えています。アメリカの生徒指導について考えたときも同じことを感じました(こちら)。日本は何度も注意されて厳しいと感じるかもしれないけれど、やっぱりアメリカから見ると一定の社会秩序を生み出すのに成功しているのは教育の成果とも言えます。

日本の教師の「厳しさ」あなたはどう考えますか。


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