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教師と「空気」とは その3

教師と「空気」とは その1 その2 の続きです。ちなみにこれは先日、世間学会で発表したものの抜粋です。

空気と世間に関心のある人は皆さんご存知、鴻上尚史さんの「空気」と「世間」。この本の画期的なところは、世間を空気が生まれる場所として指摘した点にあります。

教師も「雰囲気に左右されやす」く、「再起的な暗黙知」が支配する中で、教師のコミュニティ中に世間が存在しないとする方が難しいでしょう。ちなみに「学級」単位では世間の存在がほぼ確認できていると言えます。(これは後日に別の記事「日本のエスノペダゴジー:学級=感情共同体で書く予定なのでしばらくお待ちください)

では、どのような点で教師間に世間が存在し、ゆえに教師の間に「空気」が存在するといえるのか。鴻上さんが指摘した5つの世間の基本ルール (鴻上,2009) がわかりやすいのでそれにに当てはめてみましょう。

①贈与・互酬の関係:ものをあげたりお返ししたりという慣習は日本全体に見られますがこれは目に見えないコミュニケーションも含みます。日本の学校では特にお互いの役割分担が重複している(つまり個別化していない)ので授業や分掌を含め頼らなければやっていけないシステムの中にすでにいます。例えばアメリカでは授業を急に休むときでも代理の教師が外部派遣できたり同じ学校の教員に手当が出るシステムなどありますが、日本ではこのようなシステムがない分、心理的に贈与・互酬の関係がさらに作用すると思われます。

②長幼の序:こちらも言わずもがなですが、先輩後輩から管理職など既にヒエラルキーの概念は学校内に存在しています。個人的に実施した聞き取りでは各学年ごとに「空気」があり、それが学年主任によって変わる指摘はよく出てきたトピックでした。

③共通の時間意識:職員室があることでこれもクリア。特に、管理職や学年主任が生み出す空気についての指摘は文献もあります。(例えば Ahn, 2018)
アメリカでは一日他の教員に会わずに教え終わることもできることを考えれば職員室は日本独特の空間。

④差別的で排他的:「学級王国」としての差別化 (柳,2005;工藤&苫野, 2021) や海外帰国教員の周辺化(芝野, 2021) など教師の間でお互いが差別的・排他的になる研究もあり。

⑤神秘性:儀式的な会議や号令、式典など(柳,2005, 冷泉, 2012)

鴻上氏も指摘するように伝統的な世間が崩れる中で、どうして教師の間ではこのようにしっかりとした世間の様子をいまだに呈しているのかということに私は興味を持っています。

久富(1995)が指摘するように狭い教師の社会活動範囲は理由の一つかもしれません。例えば日本の教師は半数以上が教師同士の婚姻関係があり、そして交友関係も大学(これも教育関係が多い)や前任校や部活関係の教師同士などと狭くなりがちです。ちなみに、これについては最近の若い世代が学校外に所属先やつながりを求めるようになっている指摘もありますので変化が見られます。

さて、次はこのような教師間の「世間」の問題点について解説します。

教師と「空気」とは その4 に続く!


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