noteの毎日更新50日達成と、今抱えている迷いの話

昨日で、noteの毎日更新が50日をむかえた。
自分でもびっくりである。そんなに続けられるとは思ってもみなかった。

同時に、毎日noteを更新しているけれど、今のこのままの書き方でいいのかなぁ、という迷いも生まれていた。

noteの毎日更新をはじめた頃、私はただ書きたい、という気持ちだけで書いていた。その日の出来事や考えていること、感じていることなんかを、つらつらと書き連ねていた。
毎日続けて書く、というところに重点を置いていたので、書く内容へのハードルはできるだけ下げていた。

けれど今、このままでいいのかなぁ、というぼんやりとした不安が、胸を渦巻いている。

毎日ひたすらnoteを書いていて、思ったのだ。
「もっと、いろんな人に読んでほしい」って。そのために、文章がうまくなりたいって。

それは、毎日noteに何らかの文章(日記とかエッセイとか)を書き続けてはじめて、生まれたかもしれない欲だった。

私は、noteを書きたくて書いていて。それは私の楽しみのためでもあるけれど、それとは別に生まれたもう一つの欲に、私は今、戸惑っている。

「自分の楽しみのために書きたい」という気持ちと、「もっと人に読まれる文章を書きたい」という気持ちが、今の私の中では矛盾しているように思われるからだ。
その二つの気持ちがあることで、noteを書いていく上で「どういうスタンスでnoteを書くか」というところが定まらないから、戸惑っているというところはある気がしている。

相反する二つの気持ちを抱えたうえで、どうやって書いていけばいいのか。

「もっと人に読まれる文章を書きたい」のなら、毎日書いているnoteも、今みたいにその日の気分のままに書くのではなく、書く準備や構成に時間をかけて、推敲も重ねて書いたほうがいいのではないだろうか。そのほうがきっと、描写の解像度も上がるのでは、と。

けれどきっと、そこまでしていたら毎日は書けない。途中で力尽きる。とてもじゃないけれど、そこまでのエネルギーは今の私にはない。

じゃあ、更新頻度を下げて、そのかわり一度に出すnoteのクオリティを上げるようにしたらいいのでは、という案もあるけれど。それをやったら私は、おそらく書けなくなる。「いいものを書かなくては」という(謎の)プレッシャーに(勝手に)押しつぶされて。それはほぼ自滅だ。私の望むところではない。

だからこそ、書く内容のハードルを下げて毎日更新することに重点を置いてきた。

だけどこのままではきっと、書き手としての私の文章は上達しないだろう。
そう思って、先日から好きな作家さんのエッセイを書き写す写経をはじめたりはしたのだけれど。

どうしたもんかなぁ。

この問題はきっと、一朝一夕には解決しないから。
とりあえずは、抱えたままでこのまま毎日更新を続けようと思う。
いろいろな気持ちがごちゃまぜになっているような気もするし、書かないでいるよりは、毎日書いていたほうが読みやすい文章が書ける気がするから。
書いていくうちに、自分の中の気持ちも整理されていくかもしれない。

さて、明日は何を書こうか。

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