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弱くなれないって、最強に弱い。

弱くなるには、強さがいる。
ゴリゴリのメンタルゴリラみたいな強さではなく、しなやかな強さが。

弱さを表に出すには、「弱さを出しても、自分の大事な部分は傷つけられない」という、最低限の自信・確信が必要だと思う。

“傷つけられない”というのは、別に「相手が許してくれる確信がある」という意味ではない。

「たとえ誰かに傷つけられたって、その傷の届かない心の深い部分を包んでくれる人がいる」という確信があるということ。

それは、家族だったり、恋人ってだったり、友人だったり、ペットだったり。人によっては、二次元の場合だってあるかも。

傷ついた出来事とは関係ない、安全基地となってくれる誰か。そんな人がいると、人は弱くなれる。

たとえば、「ツラい」と言えるようになる。「かなしい」と言えるようになる。涙だって流せる。


わたしは、そんな弱さを表に出せない。

弱さを人に伝える前に、恐怖が先立ってしまう。

否定されたら、どうしよう。
ダメな奴だと思われたら、どうしよう。
一緒にいる価値がないと思われたら、どうしよう。

わたしは拒絶されることに、めっぽう弱い。


弱くなれないって、最強に弱いと思う。
それに、すごく怖い。

わたしが「〜たら、どうしよう」と思うことは、わたしが人と関わるときに使ってる尺度なんじゃないかな?そう思うと、わたしはわたし自身が怖くなる。

ダメな奴とか、できる奴とか、腹の底で振り分けてるのかも。
気軽に人のことを否定しているかも。
ヒトを“価値”で判断してるのかも。

弱さを表に出せないってことは、他人の弱さも受け容れてないってことなんだと思う。

狭量なオトナだなあ。
将来が不安だよ。
弱くなれないほどの弱さって、怖くなっちゃうよ。

いつも自分に対して、そう思う。

きっとわたしは、“頼る”ことを学ばないといけない。そして、きちんと“頼られ”なければいけない。自分の価値を守るために“頼られる”のではなく、対等な関係で。


……最近、メンタルと仕事量の両方が理由で、仕事が立ち行かなくなっている。そこで思い切って同僚(新人さん)に仕事を振ってみた。頼ってみた。

それが、すごく助かって、有り難くて、心から感謝の気持ちでいっぱいになった。

今まで無駄な責任感や切り出すことの面倒臭さ、信頼することの怖さから、仕事を抱え込んでばかりいた。

でも、案外「助けて!」って言ってもいいのかもしれない。

ただ、人にお願いするには“可愛い人”でいないといけない。そのためには、ご機嫌でいるように。楽しい人でいるように。笑顔な人でいるように。

努めないといけないけど、案外肩の力を抜くだけで上手く回るのかもしれない。

(辞める意志は継続してますし、メンタル死んでて今は機嫌のいい人になんてなれないけどね)


オワリ。

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