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醸造環境の改善のために、これまで取り組んできたこと

醸造環境の改善に着手した背景

数馬酒造を事業継承したのは2010年のこと。
その当時のお酒造りは、杜氏を筆頭とした蔵人と呼ばれる技術集団の方々が、蔵に泊まり込みで早朝から深夜まで24時間体制でお酒を仕込むという働き方でした。

経営を学びながら実践していく過程で「当たり前のことを当たり前にやる」ことの重要性と難しさを痛感しながら「この部分は、絶対変えていかなくては。」と考えていたのが、このお酒を仕込む際の労働環境です。

私は、日々の経営で社員さんに対して「自分がされて嫌なことをしない」という視点を特に心がけています。
「自分だったら約半年間、少ない休日で泊まり込みで早朝から深夜まで仕事をするという環境はどう感じるだろうか?」と自問した際に、20代前半の当時の自分の率直な意見は「人生の一定期間は大丈夫かもしれないけど、ずっと続けていくのは難しいし、嫌だな」というものでした。
自分が歓迎できない環境を、社員さんに提供していることへの違和感と申し訳なさが、経営者として強く心にありました。

そして、2015年。杜氏の離職を機に、1つの仮説を立て本格的に醸造環境の改善に着手することにしました。
その仮説とは「従来のお酒をメインにした醸造体制ではなく、人をメインにした醸造体制への挑戦は、結果としてお酒の品質を向上させるのではないか?」というものです。

若手正社員を責任者に据え、新たな醸造体制へ

若手正社員を責任者に据えた挑戦しやすい職場づくり

「従来の酒造りを突き詰めていく」のではなく「これからの酒造りのあり方を考え、自ら創り出していく」というのが弊社の考えです。

そのためには、次世代人材の感覚や価値観が必要だと考え20代・30代のチームによるお酒造りを進めることにしました。
現在の日本酒製造に従事している方の業界の年齢層や従事者の増減を考えると、持続可能な醸造体制をつくるには、若手が活躍する醸造体制を構築する必要があると考えての判断です。

決断をする上で大きなきっかけとなったのは、当時20代だった若手社員が「責任者を任せてほしい」と進言してくれたため、彼を醸造責任者に据え、考え方や今後の方向性を共有しながら新たな醸造体制を一緒に構築してきました。

この時、社員さんから反対の声はなく、逆に「彼が造るお酒は一滴残さず、お客様に届ける!」「その方向でいきましょう!」という声があがり、社内の一体感が高まった感覚があったことは今でも鮮明に覚えています。

唯一、数馬酒造の経営から退いている先代から猛反対されました(後にも先にも私の経営に先代が口を挟んだことはこの時のみです)が、反対の理由を聞くと私が決断を取りやめる理由にはならなかったため、私の不安要素であった「反対者がいないということは、何かリスクや懸念点など大きな見落としがあるのではないか?」「反対意見との議論が出来ていない」というモヤモヤが解消できました。
結果として心置きなく決断ができ、より力強く進めることができました。
この時強い口調で反対意見をぶつけてくれた先代には心から感謝しています。

若手人材は経験値や技術の蓄積、ノウハウの量でこそベテランに引けを取るかもしれませんが、変化の速さや柔軟な思考、創造性や挑戦心があるため、それらの強みを活かしたチームづくり、お酒造りに着手しました。


季節雇用ではなく、醸造社員の通年雇用による正社員化

お酒を仕込む期間だけ酒蔵で働いてくださる方ではなく、通年で想いの共有やコミュニケーションが取れる人と一緒にお酒を造ることで、会社の考え方や方針、お客様のご意見や他部署の社員の考えを取り入れやすいと考えました。
また、それにより会社としての一体感も強化されるのではないかと直感していました。
醸造責任者も「どうやってお酒が売れているか。営業・瓶詰め・ラベル貼りなど、お酒がお客様に届くまでに関わっている人たちの頑張っている姿や声を知った上でお酒造りをすることが重要だ」と言っています。

お酒は造った時ではなく、お客様の口に入った時に初めて「おいしさ」が伝わります。そのため、会社としてもお酒を絞って終わりではなく、その後どのように貯蔵され、どのような流通で、どのようなお客様にお届けされているか、そして、どのようなお客様の声があるかを日頃から共有することがとても重要だと考えています。

また、お酒の仕込み期間が終わっても、次の酒造りへの改善点の議論や設備投資の計画、蔵の修繕や機械のメンテナンスなど付随する仕事は多岐に渡ります。
これらの考え方や価値観に共感してくれて、お酒造りに取り組める人たちと一緒に歩んでいくことが今後は重要だと考え、通年雇用の正社員でのチームづくりを進めました。

早朝深夜作業の廃止

若手人材でのチームづくりが進むにつれ、従来型の労働環境の改善点がいくつも見つかってきました。
まずは「労働時間の長さ」です。いや。それ以上に、社員さんとの話し合いで私が一番改善すべきだと感じたのが「拘束時間の長さ」です。

社員さんからすると例え休憩時間を長く取ろうと、拘束される時間が長いと体の休息はもちろん、心の休息は取りにくいのではないかと思います。
心身ともに健康であることが、弊社が一番大事にしたいチームワークを築く上での土台となります。

現在は、現場の社員さんたちの思考と工夫により、醸造スケジュールや製造工程を見直し、必要な設備投資を積極的に行うことで休憩時間を含め8時〜17時30分の労働体制になりましたが、まだ理想の醸造環境には至っていません。
今期は、8時〜17時と今までよりも30分少ない勤務時間で仕込みができるような体制づくりに挑戦しています。


泊まり込みの廃止

深夜作業をなくすことが出来たため、泊まり込みも廃止出来ました。
休息のためには自分の家で過ごすのが1番リラックスできると思いますし、社員さんたちには、家族との時間やプライベートの時間も大切にしながら、お酒を造って欲しいと思っています。

泊まり込みを廃止した当初は、「温度経過によっては、夜に作業が必要な場合があるかもしれない。」という不安があったため、各々の携帯で温度が分かるような設備を導入し、温度変化の異常時には、アラートが飛ぶようにしました。
結果的には、深夜作業を行うことはほとんどなく、現在も泊まり込みは全くないため、全員自宅から通勤しています。


新しい蔵人の働き方への挑戦

上記のような醸造環境の改善を進めている中で、若手正社員による酒造りに加え、さらに新しい働き方に挑戦する必要性を感じました。

それは、採用関連のお仕事をされている方々や能登の異業種の方々との会話を通して、また採用選考を重ねてきた中で考えさせられることがあったからです。
若手正社員で構成される醸造チームづくりは進んできましたが、「弊社がSDGs目標の1つに掲げている“あらゆる人材が活躍できる多様性のある労働環境を構築する”を目指すなら、もっと他の働き方も考え、挑戦していく必要があるのではないか?」ということです。

また、「お酒の品質を高めること」「持続可能な醸造体制をつくること」を目的として働き方を見直してきましたが、いつの間にか「若手正社員による働きやすい醸造体制を構築すること」が目的になっているのではないか。と手段が目的に変わってきているということも同時に認識していました。

そこで2022年から、当初の目的に立ち返り、他部署でも導入している働き方を醸造課にも適用することに加え、新しい働き方に挑戦することにしました。
その結果として始めたことが下記のことです。


時短勤務の導入

午前中だけ、または9時〜15時といった時間帯だけお酒造りに参加していただくという働き方を取り入れました。
それにより、他の仕事と掛け持ちされたかったり、長時間体を動かす仕事を行うことにハードルがある方でもお酒造りに関わっていただきやすくなったかと思います。
どうしても部分的なお仕事を担当していただく機会が多くなりますし、全体の流れも把握されにくい側面はあるかと思いますが、かえってチーム内でのコミュニケーションは活発化し、限られた時間でも作業がしやすいように環境整備やマニュアル化が進みました。


異業種社長の採用

ご自身で事業をやられている方が、閑散期にお酒造りに関わっていただくという働き方です。
閑散期と言えど、ご自身の事業も並行して行えるよう話し合い、週3〜4日の勤務体制でお酒造りに参加して頂いています。
能登は雪が多かったり、雨が多かったりと、どうしても季節に左右されやすい業種というのが一定存在します。
そこで、そういった方々にもお酒造りに関わっていただく事ができれば、地域にとっても今後の働き方の1つの事例になることができるのではないかと考えました。
ご自身で事業をされている方は、視野が広く、主体性も高いため、弊社の改善点を社員さんと一緒になって考え、積極的に改善してくださいます。
同じメンバーで仕込むからこそのメリットは確かにたくさんありますが、客観的な視点で醸造環境や製造工程を見直す事ができたので、結果として環境整備が更に加速しました。

また、面談でお話させていただくと異業種社長の方々は共通して「自分がどんな価値を提供できるか?」を考え、それを言葉として発してくださいます。
そのため、異業種で自分の強みを活かしている内容を酒蔵に落とし込んでくださるため、本当に心強く学ぶことが多いです。


女性醸造社員の起用と採用

ここまで従来型の醸造環境に「若手の視点」「異業種経営者の視点」を入れて改善を続けてきましたが、このタイミングでもう1つ入れたい視点が「女性の視点」でした。
現在、弊社の醸造メンバーは男性によって構成されていますが、ここに女性の視点が入るとまた違った角度で醸造環境の改善ができるのではないかと考えたからです。
弊社では社員、パート全員と定期的に1on1ミーティングを行なっているのですが、その際に以前からお酒造りに興味を持ってくださった女性社員と話をして醸造課に異動していただく事にしました。
就業時間は9時〜15時です。

また、新しく女性の醸造社員を1名採用致しました。(さらにもう1名入社予定です。)
そのことで、今まで目が行かなかった箇所の整理整頓や道具の置き場所の高さなどの改善点が見つかり、環境整備が更に進みました。

醸造社員の会話を聞いていても、女性目線での改善提案が増えたと実感しているため、改善した後の作業や環境がより肉体的負担が少ない着地に変わったと思います。

とは言っても、まだまだ改善点や課題は多く、これからも女性にも働きやすい醸造現場になるよう積極的に投資をしていく考えです。


男性社員の長期育休取得

こちらは、導入というより上記のことを進めていく中で結果として生まれたことになります。

弊社では、女性社員の産休・育休の取得実績はあったものの、今まで男性社員の育休取得実績はありませんでした。
そんな中、2023年に男性の醸造社員が半年間の育休を取得されました。
私としても初めてのことだったため社労士や労働局の方などに最新の情報や手続き方法を確認しながら進めました。

復帰後に取得者のお話を伺うと「育休の取得はしやすかった」とのことでしたのでこの点は良かったのですが、1名抜けた中で日々の業務を行う社内メンバーに対しての改善点や課題が浮き彫りになりました。
今後、より育休を取得しやすい会社になるためには育休を取得される方はもちろんのこと、社内メンバーに向けた改善や課題の解決が必要だと痛感しています。

社内には今後育休を取得される可能性のあるメンバーもいるので、その時には今よりもスムーズに取得していただけるような体制づくりや情報提供ができるように改善を続けていく考えです。


次に挑戦したいと考えていること

これらの取り組みは対外的にもご評価を頂き、下記の受賞を獲得することができました。
・はばたく中小企業・小規模事業者300社(経済産業省)
・地域未来牽引企業(経済産業省)
・ディスカバー農山漁村(むら)の宝:優良事例(北陸農政局)
・石川県ワークライフバランス企業知事表彰(石川県)
・いしかわ男女共同参画推進宣言企業「女性活躍加速化クラス」県内第1号認定(石川県)
・ユースエール認定 取得(2023年度:厚生労働省)

今振り返ってみると、1つ1つの改善が積み重なり、事業継承した時と大きく醸造環境は変わっていますが、まだまだ改善は必要であり、理想の状態には至っておりません。
「女性の視点」での醸造環境の改善が進んだ段階で、次に着手したいと考えているのは、20代前半をメインとした「次世代人材の視点での改善」。そして、今後地域内での人口比率が更に高まっていく「シルバー世代の視点での改善」です。


次世代人材の視点での改善

次世代の人材視点を入れることで、ハード面での環境整備はもちろんですが、働き手のソフト面や成長支援面での改善が進むのではないかと考えています。
また、新しい切り口での働き方の見直しや社内制度の拡充、商品開発に繋がるという期待もあり、今期より新卒採用に着手しております。

また、弊社が位置する能登には、能登高校とういう公立高校があり、「地元に残って就職したい」という高卒学生の就職先の1つの選択肢になりたいと考えています。

そのため、専門家に相談しながら次世代人材にとっても働きやすく、活躍しやすい会社になるための育成制度の設計や町や他の企業とも連携した研修の準備を進めています。


シルバー世代の視点での改善

一般的には高齢者と言われる年齢でも地域内には、まだまだお元気な方がたくさんいらっしゃいますし、今後そのような方は増えていくかと思います。
今後は、そういった方もお酒造りに参加できるような体制づくりを進めていく考えです。
こちらの取り組みは現在働いている醸造社員さん達が歳を重ねていっても働き続けやすい環境づくりにも繋がります。

数年前に精米工程をシルバー人材の方に担当して頂きましたが、その際のフィードバックやご提案のおかげで、精米工程において重量物を持つ作業頻度が劇的に減り、作業時間も約半分になりました。
他の作業工程にも関わっていただくことで、このような改善箇所がもっと見つかってくると思います。

そして作業面ももちろんのこと、人生経験が豊富な方々から、われわれが学べることは多々あると考えています。


これからも、より良い醸造環境を追求し続けるために

慢心することなく、改善し続ける

ありがたいことに、お酒の品質に対してのご評価や外部からの受賞は年々増え続けています。
・全国新酒鑑評会 金賞
・金沢国税局新酒鑑評会 優等賞
・能登杜氏自醸品評会 優秀賞
・IWC(インターナショナル ワイン チャレンジ) トロフィー
・Kura Master 金賞
・ワイングラスでおいしい日本酒アワード 最高金賞
・全国燗酒コンテスト 最高金賞
・全国梅酒品評会 金賞 など

当初この醸造体制への移行へ挑戦した際には、間接的に(時には直接)周りから批判や根拠のない噂話をされましたが、今では同業異業種関係なく働き方改善のための質問をしていただけるようになりました。

お客様からの声をはじめ、外部機関からの受賞、周りからの批判が質問に変わったことからも「お酒をメインにした醸造体制ではなく、人をメインにした醸造体制は、お酒の品質を向上させる」という仮説で行動してきて良かったと感じております。

これからもこの仮説を正しかったと思い続けられるように、成果を上げ続け、行動や試行錯誤と改善を積み上げていこうと思います。


これらを実現してきたのは、社員さん達

今まで経営者の目線でつらつらと書いてきましたが、大前提として、お客様や外部機関からのご評価は、弊社社員一人一人のスキルの向上や日々の努力、これまでの改善の積み重ねによるところが最も大きい要素です。

このような醸造体制に移行できたことも、引き続き新しい働き方を取り入れることができるのも社員さんの理解があってこそ実現しています。
また、それは醸造社員だけではなく、他部署の社員や私が小さい時から働いてくださっているベテラン社員の方々の理解があることがとても大きいと考えています。

新しいことにチャレンジする時は、抵抗感があったり、現状を維持したいと考えたりする人は多いと思いますが、積極的に一緒にチャレンジしてくださる社員さん達がいるからこそ、すべてのことが成り立ちます。

働き方を変えていく際もゴールイメージを共有した後は、社員さん達からの意見をもとに進めてきました。
私が行ったことといえば経営者という立場で出来る、実現や改善のためのサポートや投資、決断だけです。

時代の変化が激しく、人の価値観も多様化しているため、理想の醸造体制への改善は今後も続いていきます。
また、どこかで満足をして、思考を停止した時点で衰退が始まると思うので、いかなる時も理想の醸造体制が完成したと思ってはいけないとも考えています。

働きやすい職場環境の答えを持っているのは私ではなく、働いてくださっている社員さん一人一人の中にあると考えていますので、これからも経営者として意見が言いやすい社風や場づくり、いただいた意見を少しでも早く反映させる実行力を大切にしていきます。


父からの最後のメッセージ

私の父である先代は残念ながらもうこの世にはおりませんが、亡くなる前に書いた最後のメモは「人がすべて」という言葉でした。
このメモは、大切にいつも持ち歩いています。
この言葉を忘れることなく、「働いてくださる社員さんへの感謝」をいつも心に持っている経営者であり続け、今後も「持続可能な未来へつながるお酒造り」を追求していきます。

最後までお読みいただき、誠に有難うございます!始めたばかりで、不慣れなことが多いですが「スキ」ボタンを押していただけると励みになります!