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介護現場から 〜自分もケアの対象だったんだ〜 わかっていたような忘れていたような

こんばんは、ikedaです。

7月末で、働いていた特別養護老人ホームを退職いたしました。

引っ越しがバタバタと決まり、私生活の準備をしながら、仕事ではお看取りからまた学ぶ事が多くあったり。。 ご利用者と別れの挨拶をするなかで、感謝とまた無力さも感じながら去りました。

忙しなくもう8月。

派遣として3年、正社員として2年、合わせると約5年もいたのかと振り返ります。

言わずとも互いにこの挨拶が最期の挨拶だと感じながらも、ご利用者は最大の励ましで送り出してくれました。

ご利用者のここに居る他ない想いを日々聞きながら、自分が離れていくことが何だか裏切ってしまったような、、負目のような、考え過ぎと思われるかもしれませんが、そんな気持ちもありました。

「戦争中、飛行機が空を飛ぶなか逃げ回ったあの時よりも今の方が辛い」ご利用者が教えてくれた想いをよく思い出します。

仕事を辞めて引っ越しをしてから1週間が経ち、バタっと変化が起こりました。

やらなければいけないことは頭や気持ちでわかっているのに、身体が鉛のように動きません。具合が悪いとは違う、何だかとても苦しいのです。

その苦しさを脱するために自分で自分を奮い立たせようとしますが、その気持ちにまた疲れて苦しくなる悪循環が起きています。

そして何故か、苦しくてどうしようもなく思える数時間後に急にパン屋に行く欲が出たりするのです。

そんな気持ちと身体のチグハグにまた自分が怠けているように感じたり、頭ではわかっているのにコントロールできないことに侘しさを感じたりします。

何がそうさせているのかも、今自分がどうしたらいいのかもわかりませんが、ただこのような気持ちや状態も後で振り返った時の大切な記録として残しておこうと思います。

一般的に考えられるケアの対象は、こども、高齢者、障がい者、いろいろあると思います。

しかし、最近新たに学んだことは、ケアの対象である最大の核は「自分自身」だという事です。
自分をケアできてこそ、気持ちや行動にプラスが生まれていくのだと思いました。

がむしゃらに日々やっていた時には、気づいていたような、気づかなかったような、、、
そんなことを考えながら過ごしています。

そう思っても身体と気持ちが連動しないようなところが人間のまた難しいところだと感じます。


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