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人は解けないパズルを延々と解きながら死ぬ。

(このレビューは映画コミュニティSHAKEにて5/25に投稿した内容を整えたものです)

噂に違わぬ傑作でした・・・!
オスカー "goes to" アンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」。

凄すぎました。

映画の醍醐味のひとつに、知らない他者の人生に想いを馳せられるということがあると思います。映画館は追体験装置でもありますよね。

「ファーザー」には映画の持つその憑依させる力をまざまざと見せつけられました。

認知症を追体験できるかつてない映像体験ということで話題になっている本作。これまで、介護する側の視点から認知症を描いた物語は多くありましたが、今作は違います。

アンソニー・ホプキンス演じる主人公側(要介護側)の視点で物語が描かれます。

一般的には「認知症・記憶」を扱うと、人の絆などの「関係性のヒューマニズム」にスポットが当てられることが多いですね。これはあくまで、記憶がはっきりとした人(こちら側)からの視点で描かれているからなんだと、この物語を知って気づきます。記憶が断片的だったり、繋ぎとめられない視点からは、絆を描くことなんてできないということを見せつけてくるんですよね。

徹底的にあちら側からの視点に寄ると、物語がスポットを当てるのはひたすらに「辻褄が合わないこと」と向き合わなければいけない事実だけであり、混乱から逃れることができません。つまり、自分自身の根底が崩されていくことで見えてくるものは関係性ではなく、ヒトの個体としての終わり方に視座を与える「個人のヒューマニズム」でした。

認知症を患った人が世界を見つめる眼差しが、こんなにも不安で、悲しみに満ちているなんて思いもしませんでした。家に着いたいまもまだ膝が震えている感じがします。誰もが迎えなきゃいけない終局を、体感させられる画期的な映像表現でした。

ままならない主体をその身ひとつで表現するアンソニー・ホプキンスの「史上最高の演技」という評価も納得。引き込まれ、揺さぶられました...!体躯の圧が見事でした。

この映画は、ストーリーテリングも凄かった。
通常、時間軸や空間を操作することは物語的な快楽を与えます。
散りばめられた時間軸がパズルのようにハマっていく、あるいは、離れた空間にいる人が通じるといったような映像的なギミックは観ていると気持ちが良いので、映画においては物語を盛り上げるためによく利用されています。

しかし「ファーザー」では、そのギミックが正反対の活用法をされていました。とにかく不安なんですよね。動かしても動かしても、ハマらないんです。解けないパズルを延々とやらされているような気持ち悪さがあります。これが今作の真骨頂でした。まさに終局の追体験です。是非これは映画館でくらってください。

エンドロールが流れる頃にはすっかり放心状態でした。劇場を出て、お手洗いに入ってぼうっとしながら、自分はどのように死ぬんだろうかと、想像していました。
きっと誰もが人生の終局ではこれまで築いてきたものが崩れるような体験をするんだと思います。どうしようもない不安と恐怖に包まれるんだと思います。どれだけ備えても、その時を十分に迎え入れることなどできないんだと思います。でも絶対に、やってきます。ラストシーンはもう、圧巻です。アンソニー・ホプキンスの顔をこの心に焼き付けました。

この焼き付けた顔・感情は、この先失われていく自分自身の人生や大切な人に向き合う準備をさせてくれると思います。きっとこの視点は、例外なくいつか亡くなるすべての人にとって必要な気付きです。人は解けないパズルを延々と解きながら死に近づいていくことを、少なくとも今の僕は知っているから、逃れられない現実を生き抜こうと思えるのです。


最後に余談ですが、主人公の名前は「アンソニー」です。
そうなんです。「主演役者の名前=役柄の名前の作品に外れなし」説がいよいよ真実味を帯びてきています。実はみんなそれぞれの「〇〇な映画に外れなし説」を持っているのでは?なんて思っています。

https://thefather.jp


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