見出し画像

拉致被害者家族の現在地

荒木和博(拓殖大学海外事情研究所 教授)

2010年10月23日、東京都庁前の都民広場で開かれた「北朝鮮による拉致被害者救出のための集い」で話す筆者

 「誘導尋問してんじゃねえよ」
 Aさんが振り向くとそこには首から名札をぶら下げた初老の男が立っていた。

 8月2日から14日まで、東京日本橋の高島屋百貨店で「めぐみちゃんと家族のメッセージ」という写真展が開催された。カメラが好きだった横田滋さんが北朝鮮に拉致される前の横田めぐみさんと家族の姿を撮影した膨大な写真の一部の展示である。主催したのは横田宅のある川崎市のマンションの有志らでつくる「あさがおの会」。全国で写真展などを続けており、高島屋で展示された様々な写真も同会のホームページの「VR写真展」でご覧になることができる。

 さて、冒頭の発言は写真展の初日、8月2日に開催されためぐみさんの母横田早紀江さんと、政府認定拉致被害者有本恵子さんの父、有本明弘さんの対談のときのものだった。家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・現在はめぐみさんの弟横田拓也さんが代表)のメンバーに限れば親世代で残っているのはこの二人だけである。

 対談はジャーナリストの高世仁氏の司会で行われた。長年映像を通して拉致問題を追ってきた高世氏は横田さん有本さんどちらとも強い信頼関係を築いており、司会には最適任だったと思う。写真展のスペースの一部を使った会場なので限界があったが、それでも立ち見を含めて100人余りの人が集まり、マスコミも各社来て立錐の余地もない程の盛況だった。

 「事件」が起きたのは対談が始まってから45分ほど経ってから。政府認定拉致被害者田中実さんと特定失踪者金田龍光さんのことについて高世さんが横田早紀江さんに振ると、会場後方に立っていた男性が「誘導尋問すんじゃねえよ!」と声を上げたのである。それ以前からぶつぶつ言っていたらしいが、男性の前に立っていたAさんは一段と声が大きくなったので我慢できなくなって後ろを振り返った。すると男性の首には名札がぶら下がっており、そこには「石川正一郎」と書かれていた。何者かと思ってスマホで検索すると何と神奈川県警本部長などを務めたキャリアの警察官僚で、平成26年(2014)から今年の春まで9年間、政府拉致問題対策本部の事務局長を務め、退任後は内閣官房参与という肩書きで拉致問題に関わっている大物ではないか。

 幸いこの声は前にいた高世氏にも、横田早紀江さんにも有本明弘さんにも聞こえなかったが、後に私が特定失踪者問題調査会代表として石川氏に出した公開質問状への回答では「私自身ヤジを飛ばしたとの認識はありません。もとより自ら積極的に何かの発言をして、行事の進行を妨害したり、対談のやりとりに何らかの影響を与える意図は全く有しておりませんでした」とあり、発言したこと自体は事実上認めている。

(公開質問状と回答)

 内閣参与という立場の人間が、拉致被害者家族の対談の場で看板をぶら下げてヤジを飛ばす(周囲が不快に思うほどだったのだから本人の認識がどうであれヤジとしか言いようがないだろう)などというのは内容以前にそもそも常識外のことだ。なぜ石川氏はそこまで興奮したのだろうか。そこには高世氏が早紀江さんに投げかけた田中実さんと金田龍光さんの問題が関わっているのである。

 田中実さんは昭和24年(1949)生まれ、金田龍光さんは昭和27年(1952)生まれ。共に両親が離婚して神戸市内の児童養護施設で育つ。昭和53年(1978)6月6日田中さんは成田空港からオーストリアのウィーンに向かったまま姿を消した。実は当時勤めていた神戸市東灘区のラーメン店「来大」には仲の良かった金田龍光さんが田中さんより前から勤めていた。店主韓竜大は北朝鮮工作機関「洛東江」の一員であり、田中さんをだましてウィーンに送り、そこから北朝鮮の工作員が平壌へと連れて行ったのだった。そして金田龍光さんも翌年田中さんに会いに行くため「東京に打ち合わせに行く」と言ったまま消息を絶つ。 

 それから35年経った平成26年(2014)、日朝両国政府は「ストックホルム合意」を結び北朝鮮側は国内にいる全ての日本人について調査すると約束した。この合意に基づき北朝鮮側が出してきたリストの中に田中さんと金田さんの名前があったのである。しかし日本政府は2人のリスト(実はそれ以外の拉致被害者の名前もあったという説もある)を北朝鮮側に突き返した。当時の安倍晋三総理の判断である。このことはその後共同通信などが政府部内の匿名の情報源に基づくものとしてオフレコの報道はしていたのだが、令和3年(2021)に合意当時拉致問題担当大臣だった古屋圭司衆議院議員が、翌4年(2022)に同じく外務事務次官だった齋木昭隆氏がオンレコで認めている。

 突き返した理由は古屋大臣によれば、この2人で幕引きを図るのを避けるためだったとのこと。しかし政府はその後突き返したこと自体を隠し続け、国会で質問されると「お答えを差し控える」で逃げ続けた。もし本気で幕引きをさせないという意志が政府にあり、涙を呑んで突き返したのであれば、対応は違ったはずだ。例えば2人の名前が田中実と金田龍光ではなく、横田めぐみと有本恵子だったとしてもそうしたろうか。おそらくは9割方受け入れていたはずだ。要はリストに横田めぐみとか有本恵子という「目玉商品」が入っておらず、養護学校出身の2人で、帰国しても表に出てくる家族のいない2人は帰ってきても家族と抱き合うシーンを演出することができず、政権の評価にはつながらないからだ。 

 そしてまたもう一つの重要な意味がこのことには込められている。安倍総理はたびたび「自分の在任中に拉致問題を解決する」と言っていた。「解決」の定義が何なのかは不明だが、最低限生存している全ての拉致被害者が帰国しなければならないことは明らかだ。しかし現実にどれだけの人が拉致されて、何人が現在生存しているのかは日本政府のみならず北朝鮮当局も分かっていない。半世紀以上、様々な機関がやってきた拉致は金正恩も含め誰も統括していないのだ。

 そうすると、「解決」するためにはどこかで幕引きをするしかない。何人かが帰ってきて家族と抱き合うシーンが報道され、その後は北朝鮮側は「これで終わった」と説明し、日本側は「引き続き調査を続ける」という玉虫色の文言にして、事実上幕引きをしようとしたのである。古屋元大臣の言葉を借りれば日本側が「幕引き」しようとしてできなかったとも言える。

 それが明らかになることを政府は恐れている。だから8月2日の対談で司会の高世氏が2人のことを早紀江さんに問いかけたとき「誘導尋問すんじゃねえよ!」という言葉が内閣官房参与の口をついて出てしまったのだ。政府は被害者家族、とりわけ横田早紀江さんの言動に神経をとがらせている。早紀江さんの口から「うちも田中さんや金田さんのように突き返されたと考えたらやりきれない」とでも話が出て、それをマスコミが書いたら大変だ。しかし主催者は民間団体であり、マスコミも来ている。止められない焦りが「誘導尋問すんじゃねえよ!」には込められていた。結局政府の被害者家族に対する姿勢というのは救出に全力を尽くすのではなく、家族が政府を批判しないようにするということなのだ。 

 なお、8月2日には別の「家族の現在地」を象徴する事件が起きている。これも大変なことなのだがそれについてはこちらをご覧いただきたい。

大澤孝司さんについて新潟県警本部に要請【調査会NEWS3731】(R5.7.3)

大澤さんへ理由を示せない新潟県警【調査会NEWS3745】(R5.8.18)

※石川参与のヤジに関しては毎日アップロードしている「荒木和博のショートメッセージ」でもお話ししているのでよろしかったらご覧下さい。

●石川正一郎内閣官房参与のヤジ(R5.8.4)

●石川正一郎内閣官房参与への公開質問状(R5.8.7)

●石川正一郎内閣官房参与からの回答文(R5.8.11)