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堕落論・読書ログ

どうも、かいるんです
これまでInstagramの方でゆるく読書感想文を書いてたんですが、せっかくなんでそのままnoteにと。インスタの方でこれまでの纏めてるんで、もし良ければ

堕落論 坂口安吾  1906-1955

文学、歴史、文化、芸道、戦争など様々な角度から日本人の精神分析がなされてて勉強になる。
藤原氏や将軍家にとって何故天皇制が必要で、何故彼ら自身は主権を握らなかったか。そして天皇制が如何に存続してきたか。なぜ『古事記』と『日本書紀』が別個に書かれねばならなかったのか。国家の歴史における捏造と欺瞞について、坂口はいわば精神分析に近い方法をとりながら言及している。

個人的な感想として大したことは書けないんだけど、以前までは作品に没入する時はせっかく非現実だからこそハッピーエンドがみたいという個人的な欲求があって、バッドエンドが理解できなかったんだけど、
「救いがないということが唯一の救い」という言葉で納得した。今はもう苦い結末を迎える作品の良さが分かるようになったけれど、それは多分現実では抱えきれない重さを作品を通して自分を慰めるようになったからのだと思う。

歴史に関しては中学生で習った以来の基礎知識ぐらいしかなく、教科書でしか見たことない文字を久しぶりに沢山見た。文字、事実の流れしか把握してなかったのだけど、この本を通して生きた時間の流れを読めてとても楽しかった。
「ヨーロッパ的性格、ニッポン的性格」ではザビエルと禅僧の会話から日本人の精神を浮き彫りにしている他、記録の描き方の違いや布教の交渉術であったり、これも凄い勉強になった。流石に古代史、日本神話辺りはついていくのが厳しかったなぁ~。

ここは敢えてふわっと書くけど、魂の揺らぎを美しいと感じる感性は坂口と似ているなと思った。


太宰の情死についての視点はスパッとしてていいなと。

ーとるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きている筈であり、小説が書けなくなったとな云わなかった筈である。

以下好きな文

ーつまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成り立たないように思われるけれども、我々の生きる道には、どうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。

ーこの暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるー私は、そうも思います。

ー叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると、叱られてしまう。人は孤独で、誰に気兼ねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。そうして、文学は、こういう所から生まれてくるのだ、と僕は思っている。

ー美しさのための美しさは素直ではなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。

ーそれが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。

ー人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

ー戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ち抜くことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。

ー堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで、真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。

ー善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ1人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこと道だ。

ーしかして、この個の生活により、その魂の声を吐くものを文学という。文学は常に制度への、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。

こう振り返ると自分はやっぱりある人の哲学が描かれている文章が好きなんだなぁと📖

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