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映画オタクだった時に君の名はを見たら自分以外全員カップルであのオタクたちはどこに行ったのってなった話

僕は23歳の時、完全に映画オタクだった。

北野武のアウトレイジにハマって、北野映画を全部見てからはもう映画ざんまい。

レンタルDVD屋に行って7泊8日と書かれた14枚プラスチックのケースに入ったDVDを借りて、1日2本以上必ず腕を組んで見る。

見終わったら映画評論などを見て評論の勉強を行う。

朝起きる→ご飯食べて映画→評論鑑賞→映画→ご飯→余裕があったら短い映画→評論鑑賞→就寝

そんな生活を300日ほど続けていた時期がある。

完全におかしかった。けれど、その時の感覚があるからこそ、こうして文字を書ける自分がいる。

映画監督にはなれなかったが、映画を通してエンタメの呼吸の勘所みたいなモノを掴めたのだ。

映画を見て映画監督になれずとも、エンタメの呼吸。勘所。緩急のコツを無意識的に掴める。そしてそれはありとあらゆる創作に活かせるのだ。これは映画の最も素晴らしい贈り物の1つだと思う。

話を戻す。

あれは君の名はが上映されていた時期だった。

もちろん新海誠作品は全部見ており、色々な事を思いながらいぶし銀的アニメ監督として新海誠の事をリスペクトしていた。

そんな僕の耳に届いたのは「新海誠。君の名はで凄い事になってるってよ」という話だった。

え?あの新海誠が?俺たちオタクの知られざるいぶし銀アニメ監督の?

そんな感じで評判を聴く度に見たいという気持ちは膨れ上がっていた。

深夜に目が覚めた僕は、その日も映画を見ていた。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督のレヴェナントだった。

美しい撮影だった。

・・・と見終わった所で、新海誠の君の名はという映画が、いかほどなのかというのが気になってしょうがなくなってしまったのである。

しんぼうたまらなくなった僕は、レヴェナントを見た30分後にチャリで駅に直行。そのまま春日部の映画館で君の名はを鑑賞する事にした。

僕はどんな客層なんだろう。と思っていた。

アウトレイジ・ビヨンドを流山おおたかの森の映画館で19歳で見た時は、強面の男の人がいっぱいで怖かったけど、今回の客層はどんなだろうか。

きっと僕と同じで「さぁ、見せて貰おうか。新海誠の実力を」と身構えている僕と同じ非モテのオタク仲間とか、いるよね。

いや、実写も見るタイプの映画ファンで、なんでも見る系の人もいるんじゃないか?


と思い、チケットを買って、エスカレーターに乗っている最中に気づく。

カップルしかいない。

本当にカップルしかいない。右を見ても左を見ても、カップルカップルカップル。

しかも10代~20代前半のみ。なんか、そういう修学旅行に迷い込んだような感覚。

僕はここで気づいた。

あ、僕みたいな客。1人だけなんだ・・・

僕みたいに、新海誠。お前の腕前を見せて貰おうか!なんて構えた視点で映画館に来てる人は僕だけだったのである。

それから座席に座った。

見事に1人客は僕だけ。

真ん中の席を取って、視界にまんべんなく映るリア充達。

負けた・・・と思った。何に?いや、何にも負けてはいないのだが、確かに敗北はそこにあった。

それから美しいプロットラインと、作画に感動しながら「成長したなぁ・・・」と勝手な親目線での鑑賞。こんな見方も自分だけだったと思い返すと泣けてくる。

君の名は。とっても良い映画だった。

でも、帰りの電車で僕は思った。

あのインターネットにいた新海誠のオタクどもはどこにいるんだよ!!!!!

と、無表情の中で心の絶叫をした。そんな2016年の映画にまつわる思い出でした。

#映画にまつわる思い出


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