利用者の支援で感じた学び
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
年が明けてまだ間もないのに私の担当させて頂いている利用者が5名支援終了になりました。
ケアマネあるあるだと思うのですが、落ち着いている時は担当利用者の多くが落ち着いているのに、動き出す時は数名が一気に動き出します。
5名の利用者のうち、1名はお亡くなりになって終了となりました。
その方の支援でまた1つ学びが増えたので書いてみたいと思います。
奥さんと二人暮らしだったその利用者は長らく意欲が低い方で、どれだけ食事を勧めても、運動を勧めてもギリギリで機能が維持できる程度のモノしか受け入れませんでした。
奥さんはとても穏やかで献身的な方。
本人の意欲がなくとも「昔はすごく活気のある人だったのよ。私は本当にこの人に助けられてきたから」と全てを受け入れ毎日介護をされていました。
元々の持病もあり、月を追うごとに少しずつ衰えていくその方を見ながら、いざという時を見据えて訪問診療や訪問看護、訪問介護へ繋ぎ医療と介護の両面からフォロー出来る体制を整えていきました。
時折「奥さんは○○さんが今より動けなくなっても自宅で看たいですか?それとも施設?」と問う私に「そうね~。そうなってみないと何とも分からないわね」と奥さん。
以前の私であれば、介入した当初に明らかに意欲のないその方を何とか外に出そうと躍起になったり、機能を上げる為のサービスに繋いだかもしれません。
でも「良くなること」だけが正解とは思えなくなってから、利用者・家族の意向に耳を傾け、必要な情報提供を行いつつ明確な意向が出るまでは「見守る」ことに努めるようになりました。
その方は毎日奥さんの傍で過ごし、奥さんもその方を心配しながらも傍で文句を言うことなく寄り添い続けました。
持病が少しずつ悪化していき、今月になって一気に体調が悪化し寝たきりになりました。
在宅で看取れる体制を敷いていたので、すぐさまチームで連携を取り支援内容を変更し奥さんの負担を最小限にしながら本人の支援に当たることが出来ました。
結果として本人は寝たきりになった数週間後に眠るように亡くなりました。
亡くなった数日後奥さんに会いに行くといつもと変わりない様子で「あっという間でまだ部屋にいるみたいな気がするの」と話されました。
「奥さんのことを〇〇さんは大好きだったから奥さんに負担を掛けないようにあっという間に逝ったのかもしれませんね。こんなことを言って良いかは分からないけど、眠るように逝けるって理想的だと私は思います」
と伝えると奥さんは「年齢的にも長生きだったし、あれだけ痛い、苦しいと言っていたあの人も死ぬ数日前は痛い様子も苦しい様子も見せずに穏やかに過ごしてたわ。亡くなる前日はぎゅっと私の手を握って、これだけ握力強いならまだ大丈夫かなとも思ったんだけど…」と少しだけ涙ぐんでいました。
奥さんが寄り添い続けたことを讃え、本人がきっと満足していたであろうことを伝え、最後に「これからは奥さんがやりたかったことを精一杯やってくださいね」と伝えました。
すると「〇〇もやってみたいし、〇〇も食べてみたい。これまではあの人に遠慮して出来なかった事もまだ元気な今なら出来そうな気がするわ」と笑顔で私の帰り際を見送ってくださいました。
今回の経験を経て「良くなる」ことだけが正解ではなく、「どう最期を迎えるか」を少しずつ聴き取りながら体制を整えておくことも1つの正解なのだと感じました。
年齢と共に意欲が低くなる。これは誰にでもあることなのだと思います。
「良くなればまた元気になる」
そういう方もいれば、良くなるまでの過程を苦痛に感じる方もいる。
人それぞれ何を求めているのか。関わりを続ける中で高い精度で利用者個々の理解が出来るように、ケアマネとして意識し続けたいと感じた支援でした。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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