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デブオタと追慕という名の歌姫 #20



第7話 衝撃と栄光と別離 ④


「第一次選考はこれにて終了します。ご担当の審査員の皆さま、ありがとうございました」

 司会者の挨拶を受けて審査員席に座っていた人々が立ち上がった。選考の公正を期するために別の審査員に交代するのだ。

「お疲れ様でした。応募してきた歌姫達を如何思われますか?」

 司会者にマイクを向けられた一人の審査員が答えた。

「みんな素晴らしかったね。去年とは比べ物にならないくらい歌唱力の高い娘が多くて審査が難航したよ。喜ばしいことだ。名前は出さないが、この三二人の中にアルティメットの名にふさわしい歌姫がいたと個人的には思っている」

 その言葉に観客がどよめいた。

「中盤に出て来たアーニーって娘じゃないか? ヴァイオリンを伴奏にして『スマイル』を歌った……」
「いや、あの娘だろう。三番目に出て来たギターの娘」
「ああ、金髪のあの娘、よかったわね」

 第二次選考が始まるまで僅かな間があった。観客は、優勝しそうな娘の下馬評や感想などそれぞれ楽しそうに語り合いながら次の選考が始まるのを待っている。

「デブの男と踊りながら歌ってたエメルって娘も凄かったな」
「今度はどんな歌を歌うんだろう。楽しみだね」

 第二次選考からは対戦形式のトーナメントとなる。三二人に半減した少女達は一六の組に分けられ、勝ち上がらなければならない。
 それも相手に勝てばいいというだけではないのだ。勝利に値しないと判断された場合は両者共に敗退とされることもある。ここ数年優勝した者がいなかった、と云うのはこの厳しいルールによるものだった。最後まで勝ち抜く実力を持った歌姫が現れなかったのだ。

「皆さん、お待たせしました。それでは第二次選考を始めますので、ご謹聴お願いいたします」

 司会者が再び現れて挨拶すると、人々は拍手で歓迎した。

「まず、審査員の皆様をご紹介します。先ほどTV番組収録から駆けつけて下さいましたマイク・フォアート、明日から海外ツアーがスタートするジュリアン・シモンズ、エディンバラのアカデミーからお越しいただきましたルイス・マウントバルテン卿……」

 紹介された審査員は起立して会釈し、そのたびに拍手が起こる。中には現役の歌手もいてどよめきも起きた。
 紹介もひと通り終わり、かすかなざわめきの中を最初の対戦カードに出場する二人の歌姫がステージに現れると、静まりかかった拍手は大きくなり、歓声が起こった。
 片方の少女が、激唱で観客を沸かせたリアンゼルだったからである。
 リアンゼルは微笑んで応えたが、対戦相手の少女は対抗心も露わに彼女を睨みつけた。
 その様子は、かつてデブオタやエメルを憎んだリアンゼル自身に似ていた。

「では、最初の対戦になります。まずはレイシス・ワークレイルに歌ってもらいましょう。曲名は……」

 ステージに立ったレイシスの顔は真っ青だった。
 対戦相手のリアンゼルが圧倒的なほど高い歌唱力の持ち主で、おそらく自分は敵わないであろうことを知っていたのである。
 だが、この晴れの舞台に選ばれた誇りが、彼女に諦めることを許さなかった。

「Can Emily, you endure it? You stand in the dirty place.Still do you believe him?」
(エミリー、お前はまだこんなゴミ溜めみたいなところにいたいのか? まだアイツのことを信じているのか?)

 リジィー・ボランザの「エミリー」。
 レイシス・ワークレイルは、自分に持てるせいいっぱいの声量を駆使して歌い始めた。
 しゃがれたブルージーな歌声こそ真似出来なかったが、精魂を傾け彼女は歌う。
 本来の自分以上の歌唱力を尽くしたのだろう、歌い終わった時には思わずよろけた程だったが、それでも倒れるような無様な真似など見せず、必死に踏みとどまった。
 その果敢な歌いっぷりに観客は感銘を受け、大きな拍手で彼女を称えた。

「素晴らしい歌でした。そして、これに対する相手はリアンゼル・コールフィールドです。曲名は……」

 入れ違いに進み出たリアンゼルは、さっきとは別のギターと丸椅子を持っている。
 人々が意外な眼で見守る中、彼女はステージの中央に丸椅子を置き、腰かけ、あらかじめチューニングしておいたギターを抱えた。
 つま弾くドレッドノートタイプのアコースティックギターが、切ないメロディーを奏で始める。
 ギターの曲に合わせてリアンは美しい声で歌い始めた。

「Will you remember my name if you meet in heaven?」
(もしも天国で会えるのなら、僕の名前を覚えていておくれ)
「You will look at the old man. Because I get old and will die. But I love you」
(いつか、君に逢える時、僕は年老いた姿でいるだろうから……)

 かのエルウィン・ラプストンが幼くして死んだ愛息を悼んで歌った名曲「トゥ・ユー・オブ・ヘブン」。
 静かに歌うリアンゼルは、さっきとはまるで別人のようだった。染み入る様な歌声は、敬虔な賛美歌とどこか似ていて、観客はあの焔のような歌姫がこんなに優しい慰籍の曲も歌うのかと驚きの眼で聴き入った。
 てっきり最初の選考の時と同じ激唱で挑んでくると思っていた対戦相手の少女レイシスも、唖然となって立ち尽くしていたが、次第に自分の敗北を悟ったらしく、静かに微笑んで謹聴していった。
 彼女が最後のフレーズを弾き終えると、演奏の余韻を壊さないように気を使った温かい拍手がリアンゼルを称える。
 審査はごく短時間で終わった。レイシス・ワークレイルの渾身の歌唱はリアンゼルに迫るほど素晴らしかったが、それでも勝敗は明らかだったのだ。
 ステージ背後に設けられた巨大なスクリーンモニターに勝者であるリアンゼルの名前が表示され、たくさんの拍手に讃えられた彼女は片手にギターを掲げて静かに会釈した。
 そして、そのまま対戦相手に歩み寄った。
 彼女もまた拍手でリアンゼルを讃えくれていたのだ。

「おめでとう、リアンゼル。あなたの勝ちよ」
「ありがとう。でもレイシス・ワークレイル、あなたの渾身の歌は凄かった。お互いプロになれたら一緒に歌ってもらえないかしら?」
「喜んで! 約束よ」

 笑顔で頷いた相手の手を取ったリアンゼルが、観客席へ向かって彼女をアピールすると、ひと際大きな歓声と拍手が敗者の見事な健闘を讃えてくれた。

「おお、最初のカードから素晴らしい対決でした!」

 興奮を抑えきれないように司会者が評したがすぐに冷静さを取り戻し、「では、次の対戦カードに移ります」と、オーディションを進めた。
 新たな少女が名前を呼ばれ、ステージに進み出る。
 そして、歌が終わればその対戦相手が。
 どの歌姫も精一杯歌い、弾き、踊り、ステージは盛り上がったが、観客の眼にはやはり最初の対戦カードが一番鮮烈な印象で心に残っていた。
 終盤、あの少女が再び現れるまでは。

「それでは、最後の対戦カードになります」

 一六組目となる二人の歌姫が進み出る。
 ひとりはハイスクールの学生らしい歌姫で、制服をアレンジしたドレスアップ姿だった。
 そして、対戦相手が現れると観客達に再びワーッと歓声が沸いた。
 最初のステージで客席に爆笑と感嘆を呼んだ少女、エメルだったからである。
 ヴィヴィアンが口惜しがっていた通り、誰もがもうこの小柄なハーフの歌姫を覚えてしまっていた。

「では、まずルルージュ・リグビーに歌ってもらいましょう。曲名は……」

 対戦相手のルルージュは序奏に合わせてタンタンと足踏みすると、軽やかなステップと共に「Oh yeah...Come on!」と陽気な声を上げ、歌い始めた。

「A limousine comes to pick me up every day in my house. But I start running in favorite roller skates to a school」
(毎日リムジンがお迎えに来るけど、私、お気に入りのローラースケートを履いて学校へ走り出すの)

 はち切れそうな若さを武器にTVドラマ「シークレットアイドル アンナ・モッティー」のテーマ曲「エンジョイ・ツーワールド」を元気いっぱい歌うルルージュの姿は明るく陽気で、そして微笑ましかった。
 それもそのはず、ルルージュはアンナ・モッティーになり切って歌っているのである。
 彼女自身が、トップアイドルの世界と愉快な学校生活の二つの世界を精一杯楽しめるような歌手になりたいと、きっと思っているのだろう。
 振り付けも色々試行錯誤して創ったものらしくなかなか凝っている。審査員も感心して見つめていた。
 エメルほど度肝を抜く演出や個性的な歌唱力こそなかったが、その歌い方は人々に好感を抱かせずにいられない。
 曲が終わると人々は大きな拍手でこの可愛らしい歌姫を称賛し、ルルージュは観客席へウィンクすると両手を振って歓呼に応えた。

「聴いていて楽しくなる、いい歌でした。そして、対する相手はエメル・カバシです。曲名は……」

 人々は、最初のステージと似たような楽しいパフォーマンスと歌が始まるだろうと思った。そうなればルルージュとは好勝負になるだろう。もしかしたらデブオタもまた登場するかも知れない、と期待を含んだ目でステージを見つめる。
 だが。
 ステージ中央に進み出たエメルは肩を落とし、虚ろな表情で床を見つめている。楽しそうだったあの笑顔は微塵もない。
 彼女の身に何か起こったのか、と驚いて見守っているとショッキングな序奏が流れ始め、人々の顔に「まさか」という表情が浮かんだ。
 エメルは、まるで錆付いた機械のようなぎこちない動きと共に歌い始める。

「I stand still in clothes of the blood in the deep water of the hell」
(私は血の衣を纏って地獄の淵に佇む)
「Your wing was damaged… cannot fly away anymore to escape from this nightmare」
(貴方の翼は傷ついた。もう、この悪夢から逃れるために飛び立つ術はない……)

「ギユーク、『ダルヴァザ』……」

 観客の一人がつぶやいた。
 驚愕の眼で見守られる中を、エメルはよろめくように踊る。
 デブオタが見つけた動画を基に練習を重ね、苦労の末に身に着けたダンス技能。パントマイムを応用した、エメルオリジナルの変則的なあのステップである。
 まるで踊り方を忘れて乱れかけたような動きに観客はハラハラして目を離せない。
 だが、それは実はそのまま美しいクラシックバレエの動作に続き、人々を自然と見惚れさせてしまうのだ。
 そして、凄惨で幻想的な悪夢をエメルは歌う。
 透き通るような、だが血を吐くような声で。

「Call for the name. Probably I lie hidden in your shadow」
(その名前を呼んで。あなたの影の中にたぶん私は潜んでいる)
「Somebody beckons you from the shore of the blood bath. You cannot leave if you hear his voice」
(血の海の岸から手招きする誰かの声に耳を傾けたら、もうあなたは引き返せない)

 容姿と声質は同じなのに踊る姿と歌はまるで別人のようだった。
 さっきのステージではリズミカルに動き可憐に求愛していた歌姫が、今度は悪夢の中をよろばうように舞い、呪いにも似た闇の哀情を歌い上げている。
 エメルの創る動きと歌の織り成す陰惨な世界に、人々は催眠術のようにたちまち惹き込まれてしまった。

「あの娘、あんな凄い技能まで持ってたなんて……」

 ステージ裏で見ていたヴィヴィアンは呻くように言った。リアンゼルは闘争心を滾らせ、睨むようにひたすらエメルを見つめ続ける。
 やがて曲が終わり、エメルが会釈した時……贈られた拍手はまばらで歓声もほとんど起こらなかった。
 人々は賛辞するのも忘れるほど彼女の歌に酔い、半ば放心状態になっていたのだ。
 エメルは特に気を悪くした風もなかった。批評ひとつもらえずオーディションを落ちたことなど今まで数え切れないほどあったのだから。
 だがステージから下がろうとした時にようやく正気に戻った人々から大歓声と拍手が沸き起こった。中には立ち上がって拍手を贈る者もいた。

「凄い。凄いとしか言いようが……」

 司会者はそう評するので精一杯だった。
 対戦者のルルージュ・リグビーは、ぼう然となって立ち竦んでいる。アイドルになりきった彼女の元気な歌唱もエメルの歌が創りだした闇のような幻想の中に呑み込まれてしまったのだ。
 リアンゼルの時と同様、審査はごく短時間で終わった。
 ステージ背後に設けられた巨大なスクリーンモニターにエメルの名前が表示される。
 拍手に讃えられたエメルはデブオタに背中を押された格好で現われ、「ありがとうございます」というようにペコペコと頭を下げ、恥ずかしそうな笑顔で懸命に手を振った。
 観客はそんなエメルの素顔を見て、ようやくホッとして笑いを取り戻した。
 そして、もう一度拍手を贈ってくれたのだった。

「みんな、白けちゃったのかと思ったけどちゃんと聴いててくれたのね。よかった」
「エメルは心配性だなぁ」

 デブオタに笑われて照れながらステージ裏に戻ろうとしていたエメルは、自分を見つめているリアンゼルに気がついた。

「……」

 彼女の顔は何かを言いたそうだったが、笑いが消えたエメルからは冷ややかな一瞥が向けられただけだった。
 肩をすくめたデブオタと共に、リアンゼルを無視して横を通り過ぎてゆく。
 リアンゼルの肩を抱いたヴィヴィアンの笑顔にだけ、デブオタが頷いて会釈した。
 かつてのいじめっ子だったリアンゼルといじめられっ子だったエメルの間に、交わす言葉などあるはずがなく……。

 唇を噛み締めたリアンゼルは、肩に置かれたヴィヴィアンの手に自分の手を重ね、己に言い聞かせるようにつぶやいた。

「大丈夫よ、負けるものですか」

**  **  **  **  **  **

 ピカデリー・サーカス広場は、ロンドンの中心部に位置するトラファルガー広場のやや西に位置している。イギリスの栄華の中心地と云ってもいいだろう。
 劇場やショッピング街が集まっており多くの人が行き交う為、ここはいつも混雑している。
 この日は特にごった返していた。交通整理の警察官まで出張っている。
 多くの人々が、街角のある一角で立ち止まっていた。それがこの日の混雑の原因だった。
 何故なら……ここから然程離れていないハイドパークでいま開かれている「ブリテッシュ・アルティメット・シンガー」の様子が、巨大な街頭モニターで中継されていたのだ。
 群がっている人々は食い入るようにモニターの画面の中を見つめている。
 画面には、多くの少女が煌びやかなドレスをまとって次々に現れる。光を浴びたひとときの間、彼女たちは栄光への可能性へ手を伸ばすことが出来るのだ。
 歌姫は歌う。自分にこそ……と、その可能性を信じて。
 そして、歌が終わりステージから下がるとまた新たな歌姫が現われ、歌う。
 その繰り返しの中で少女達は一人、また一人とスポットライトの光から外れ、姿を消していった。
 それが、彼女たち自身にとってもうたかたの夢だったように。
 だが、その繰り返しの中で消えることなく現われ、次第に人々の興味を集め始めた二人の歌姫がいた。

「今年は凄いな。見ているこっちも興奮してくる」
「おい見ろ。またあの娘が出るぞ!」

 画面を指さして一人が声を上げる。
 画面の中で自らギターを弾きながらスード・エコーの『ファンキー・タウン』を楽しそうに歌い始める煌びやかな歌姫の姿に人々はどよめき、見入った。

「あの歌いっぷり凄いな。本当はプロの歌手じゃないか?」
「まさか。そんな不正、事前審査でバレて落とされるだろう」

 勝手な憶測も交えながら彼等は、歌う彼女の汗がスポットライトの光を受けて髪と同じ黄金色に輝やいた光景に思わず目を奪われた。
 いかした街へ、楽しい街へ連れて行って……と、歌姫は聴く人の手を引っ張るように愉快な抑揚をギターでつま弾きながら歌う。
 曲が終わると人々は彼女に届かないと知っていても拍手せずにはいられなかった。

「やっぱりこの娘が優勝するんじゃないか?」
「ああ、俺もそう思う」

 画面の中でギターを掲げ、優雅に会釈する金髪の歌姫。彼女を優勝候補だとする声に賛同する人は多かった。
 だが、一方で「いや、俺はこっちの娘だと思うな」と、もう一人の歌姫を推す人々もいる。

「私もそう思うな。いや、甲乙つけ難いと云うべきなんだろうが」
「おお見ろ、始まった」
「ハー・マジェスティーズ・シアター(イギリスで最も格式のあるミュージカル劇場)に出てきてもおかしくない舞姫だな」

 画面の中では、黒髪の小柄な歌姫が糸を引くように踊りながら、透き通るような声でオリビア・ニュートンジョンの「ザナドゥ」を歌い始めている。
 アクティブに踊る中で風に靡く黒髪。その艶はスポットライトの光を受け、まるで天使の輪のように輝いていた。
 未知の楽園を歌う美しい声と共に彼女は天使のように艶やかに舞う。人々は、ひとときの間うっとりとして見入った。
 この少女は、さっきは凄惨な幻想の情景をよろめきながら歌っていたのだ。彼等は眼を疑いそうだった。
 二人の歌姫は、容姿と歌い方もまったく対照的だった。
 それが互いを更に際立たせ、人々に印象付けている。そして他の少女達より歌の実力もパフォーマンスも明らかに抜きん出ていた。
 その二人が、かつてはいじめっ子といじめられっ子だったことも、互いに今も敵対していることも、人々は知る由もない。
 その場にいた一人がため息をついて、つぶやいた。

「凄いな、この二人。出来るならどっちも優勝させたいぐらいだ……」



次回 第7話「衝撃と栄光と別離 ⑤」


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