見出し画像

デブオタと追慕という名の歌姫 #10



第4話 それぞれに見出したもの ③


「社長、こちらが先月の彼女の練習状況と評価、オーディションの報告書です」

 高級そうな調度品でしつらえた社長室。マホガニーのテーブルの前に座った初老のその男は、不機嫌そうな顔で頷いた。
 男の名はメイナード・ブランメル。芸能プロダクション「デファイアント・プロダクション」を統括する社長である。スタジオ前に張り込んだパパラッチを怒号と杖で退散させた逸話から、彼は業界では「雷鳴のメイナード」という通り名で知られている。
 彼は渡された書類を机の上に広げ、丹念に読み出した。
 彼が不機嫌そうに見えるのに特に理由はない。もともと地顔が気難しげなのである。不愉快な出来事があった訳ではなく、経営が苦しい訳でもない。
 彼が経営するこの芸能プロダクションは、有望な歌手をイギリスの音楽界に何度も送り込んでいる。
 そして、ある時は耳に残る派手な歌詞で、ある時は地味だが心に残る美しい旋律で、ゴールドディスク受賞とまではいかないがヒットを重ねてきた。
 ここ数年、その実績は業界でも一目置かれるようになっていて、長引く不況の中でも仕事の依頼や発注が途切れることはなく、最近ではじわじわと増える一方だった。
 そんなデファイアント・プロダクションを率いるメイナードは厳しい指導や経営手腕に加えていつも不機嫌そうな顔をしているものだから、会社の内外から恐れられていた。
 だが、そんな社長の為人を知っている人々もいない訳ではない。
 彼等は、メイナードが仕事に厳しい一方で社員達の仕事や歌手の活動を細かく把握し、心を配っていることを理解していた。人気が落ちた歌手を励ます為にファンとして熱のこもった匿名の手紙を書いたり、雨の中仕事に出向く社員を気遣って彼自身がタクシーの運転手になったことも一度や二度ではない。
 強面の下の温かい為人を知った人々は皆、一様に彼に敬意と好意を抱いていた。
 今、社長の向かい側で書類の要所要所を指で指し示しながら説明を加えるリアンゼルのマネージャー、ヴィヴィアン・ラーズリーもそんな数少ない理解者の一人だった。

「適正な練習量は守らせているんだな」
「はい。心身のモチベーションを維持する為にインターバルも設けています」
「歌唱の練習はどうなった」
「昨年引退した歌手のバーバラ・ロチェスターから先々月より指導を受けさせていましたが一昨日でプログラムは終了しました。高音の延びと声の鋭さに特にインパクトがある、デビュー曲に是非生かすようアドバイスがありました」
「そうか」
「リアンゼル・コールフィールドは当社に前例のない成功をもたらすでしょう。そう太鼓判を押されました」
「あのバーバラがそこまで認めたのか」
「当社から今まで三人歌手志望の娘を派遣して三人とも音を上げて辞めました。しかし、四人目に派遣したリアンゼルは最後まで彼女の指導にピラニアのように喰らいつき、とうとう認められました」
「私の見込んだ通りだ。彼女ならやってのけると思っていた」

 メイナードの声は嬉しそうなのに不機嫌そうな顔はあまり変わっていない。これだから彼は周囲から誤解されるのだ。

「だが、そのリアンゼルは何故、現在までのオーディションに全て落選しているのだ?」
「落選したオーディションを受けた順番に見て下さい」
「……」

 訝しげに報告書を見直した社長は、しばらくして何事かに気がついたように瞠目すると顔を上げてヴィヴィアンを見た。

「お気づきですね。毎回、オーディションを受ける時点の彼女よりハイレベルのものを受けさせています。ちなみに前回のオーディションを受けたのはリアン以外、全てトップクラスに近いプロ歌手ばかりでした」
「……」
「しかし、このレベルでも合格させて彼女を満足させるべきではありません」
「まだまだ彼女は化ける、成長するというのだな」

 ヴィヴィアンは黙って頷いた。

「よろしい。君がそこまでリアンゼルに鞭をくれるなら、彼女がデビューする際には当社から特別なプロモーションも展開出来るように考えておこう」
「ありがとうございます」

 メイナードは報告を見ながら首を振った。

「経営者の目から見ても賞賛に値する努力家ぶりだ。リアンゼルには何か覚醒する切っ掛けでもあったのだろうか」
「はい。彼女には敵と称する同じプロ志望のアマチュア歌手がいるのです。ライバルに負けまいとする対抗心と自尊心がリアンゼルをここまで向上させたようです」
「ほう」

 細くすがめた社長の眼から鋭い光が閃いた。

「どんな娘だ」
「エメル・カバシ、と云う日英ハーフの少女です。リアンゼルの元クラスメートで一六歳。調べたところ、どのプロダクションにも所属しておらず、デビュー歴もありません。ただ……」
「ただ?」
「彼女には日本人の若い男性がプロデューサーとして付いています。非常に熱意ある男らしく、多数のオーディションを受けさせていました。しかも、プロモーションも兼ねているのか毎回インパクトを与える演出を彼女にさせています」
「ずいぶん変わったアプローチをしているな」
「ええ。彼女自身も透明感のあるウィスパーボイスとユニークなダンスステップを武器としています。そうそう、興味深いことにその娘はオーディションを受けている他の歌手志望の少女達から疎外されていました」
「ははは、リアンゼルと同じで、プライドの高さで敵を作るタイプかな」

 思わずメイナードが苦笑するとヴィヴィアンは神妙な顔で首を横に振った。

「それが違うようです。オーディションの彼女のレポートを入手したところ、非常に内気で礼儀正しいが自分の個性を表現する迫力は別人のように圧倒的、と記載されていました。その強烈な個性が却って仇となり、今のところ受けたオーディションの需要に合っていなかったようです」
「……」

 苦笑を消したメイナードは、ヴィヴィアンと顔を見合わせた。

「エメル、と云ったな。同世代の娘たちは馴れ合いやすいものだが彼女は迎合しない。だが傲慢ではなく礼節正しい一方で自己表現力は高い。よほど気品の高いポリシーを躾けられていると見た。チャンスに恵まれていないだけで、プロデュースについている男といい技能といい、おそらく尋常な少女ではあるまい」
「他に類を見ないタイプですね。今後もマークしようと思いますが、私には意図していることがあり社長にご判断いただきたいのです」
「なんだ?」

 真剣なヴィヴィアンの視線が、メイナードの問いかける視線に恐れ気もなく絡んだ。

「リアンゼルの最終的なレベルアップの目的地です」
「……」
「彼女にふさわしい舞台は、来年のブリテッシュ・アルティメット・シンガーのオーディションであるべきと考えます」
「ヴィヴィアン」

 口を開いて何かを云おうとしたメイナードを抑え込むように、ヴィヴィアンは早口で続けた。

「わかっています。アルティメット・オーディションは特別で当社の『不文律』も知っています。リアンは今年受けて一次予選で落ちている。だけど……」
「……」
「あの時の彼女は天才を自称しながらろくに努力もせず自惚れてばかりだった。当然の結果です。しかし今の彼女は違う。ライバルを触媒にして努力を重ね、見違えるように成長した。社長、このプロダクションの中で、あの権威あるオーディションの出場を彼女と張り合える歌手を誰か挙げていただけますか?」

 しばらく考え込んだメイナードは「いや、いないね」と静かに頭を振った。得たりとばかりにヴィヴィアンは熱っぽく訴えた。

「だからです。今から私が話す提案をどうか許諾して下さい。リアンにとって一番辛い試練を科すことになりますが、私が最後まで彼女と一緒に戦います」
「……どうやら、君がこれから話す試練をリアンゼルが越える為には、君の支えとライバルの存在が重要な鍵となるようだな」
「はい、是非お願いいたします」

 白髪混じりの顎髭に手をやったメイナードは、ふと気が付いたようにテーブルの上から電話をかけた。

「午後六時までの予定はキャンセルしてくれ。それと熱いお茶を頼む。二つだ」

 静かに受話器を置いた彼は、「その提案を拝聴しよう」と机の上で組んだ手に顎を乗せた。

「それはおそらく、リアンゼルを成功に導く最後の重要なステップになるだろう」
「はい。それで、その提案というのが……」

 半ば身を乗り出して訴えようとしたヴィヴィアンへ向かって、メイナードはテーブルの向かいに置かれた椅子を指差した。

「落ち着け、ヴィヴィアン。イギリス人が日本人に対抗するなら、まずはイギリス流にティータイムを嗜んでからにしようじゃないか」

**  **  **  **  **  **

 オーディションを終えたエメルがスタジオの外へ出ると、雨が降り出していた。
 寒さの中で咲くシクラメンはまだ、花をつけていない。
 イギリスの冬は陰鬱で人の気持ちすら滅入らせる。夕方にもなっていないうちから早々に日が暮れてしまうのだ。
 エメルの目の前を何かが横切った。何だろう、と眼を向けるとそれは風に飛ばされた枯葉だった。
 枯葉は、そのまま濡れた壁にぶつかってずるずると地面に滑り落ち、泥土に塗れた。エメルは思わず顔を曇らせた。
 風に煽られて彼女の頬を濡らした雨粒は冷たく、季節が冬を迎えたことを嫌でも感じさせる。

「よう、お疲れ」
「デイブ、ありがとう」

 傘を差し出すデブオタを見て、翳っていたエメルの顔にひととき笑顔が戻った。
 それでも、不合格な結果を告げなければならない。彼女の心は痛んだ。
 プロ歌手への切符は、未だ手に入らない。
 彼が失望した顔を見せたことは一度もなかったが、エメルは心苦しかった。

「またダメだった……ゴメンなさい」
「心配すんな、次がある」

 落選を告げるたびに、いつもデブオタは励ましてくれる。今回も。
 屈託のないデブオタの笑顔。
 だけど、何度も何度もずっとその繰り返しばかり。
 彼の笑顔がいつか色褪せ、自分のように翳ってしまいそうでエメルは怖かった。

「いつもゴメンなさい」
「ばーか、謝ることねえって。今回のオーディションはレベル高かったもんなぁ。それに、そう簡単に合格出来たらイギリス中の女の子はみんなアイドルになっちまわあ」

 笑ったデブオタが片手で自転車を引き片手で傘を差して歩き始めると、エメルも彼がくれた傘を差し、彼の傍に寄り添うにして歩き出した。寒さが応えたのか、デブオタが大きなくしゃみをして鼻をすすった。

「寒くなってきたな。エメル、風邪引かないようにそろそろコートの中にもう一枚何か着ておけよ。カーディガンみたいなの持ってたろ?」
「うん、ありがとう。デイブもね。私がこの間プレゼントしたセーターあるでしょ?」
「おお」

 そのまま二人はいつもの公園に向かっていった。

「それにしてもオーディションこれで何回受けたかなぁ。もしかしてもう三桁かな」
「そ、そんなには受けてません! ……でもたぶん五〇回くらいは落ちてるわ」
「おー、もうそんなになるか」

 感心したようにデブオタは鼻息を吹いたが、落ち込んだエメルの顔を見て「アタタ、そうか」と、わざとらしく凹んでみせるとニカッと笑った。

「よーし、じゃあ第二段階へ移るか」
「第二段階?」
「おうよ、エメルもレベルアップした。オーディションも慣れた。そろそろ次の一手を考えていたのさ」

 どんな時も希望を失わないデブオタの顔を見上げたエメルは、「バーカ、心配すんな!」と、例によって背中をどやしつけられた。
 いつもの公園の入り口に差し掛かった。オーディションのある日はそこで解散となる。
 近づくにつれ、エメルの顔に次第に別れ難そうな表情が浮かんだ。

(もうちょっと一緒にいたいな)

 だが、そんな表情など気が付かないデブオタは振り返って大きく手を振った。

「明日、その作戦を説明するからな。楽しみに待ってろよ」
「う、うん」

 左手で傘を持ち、右手を振りながらエメルは公園の入り口で立ち尽くし、雨の向こうに去って行くデブオタを見送った。

「また明日ね……」

 ささやくようにそう言うと、エメルの口から吐息が漏れた。
 歌手を目指し始めてもう九ヶ月になろうとしていた。
 オーディションに落ちてばかりで落ち込みそうなエメルにとって、デブオタの自信に満ちた力強い言葉は魔法のように希望をくれる力があった。
 だけど、エメルにはそんな魔法の言葉でも消せない心の痛みがいつからか生まれていた。

 ――オレ様なんかいない方がいいからさ

 デブオタはマリーベルトのように蔑む人々の世界には入らない。入れないことを知っているから。
 だけど、昂然としていても本当は傷ついているのだと……そう知った瞬間から生まれた痛みだった。
 リアンゼルに散々虐められ、人知れず泣いていたエメルだからこそ知り得た秘密。
 それまでは、蔑みを跳ね返して敢然と立ち向かうデブオタがエメルには眩しかった。
 だけど、その強さの裏側にある哀しみも彼女は知ってしまったのだった。
 そんな彼に必要とされたい。
 最近では、エメルは密かにそんな焦燥にかられていたのだった。
 彼のために、もっと華麗に踊れるようになりたい、もっと上手に歌えるようになりたい。
 小さなオーディションでもいい、合格の切符を掴んで彼の心に温かい光を当ててあげたい。
 それが、今のエメルにとってプロの歌手になりたい正直な理由だった。

 一方……

「さあて、どうしたもんか。何かいい作戦を明日までに考えないと。ううむ」

 自転車を曳きながら独り言をつぶやくデブオタは、力強く請け負ったものの……実は何も考えていなかった!


次回 第4話「それぞれに見出したもの ④」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?