むぎ美女

【心のグローバル化】 日本人が留学をして外国人から学ぶ日本の美しさ


あーあ、親がジョニーデップとアンハサウェイだったらなぁ

こんにちは、最近外国人に憧れてアフロにしたら前の髪型の方が良かったと一刀両断されましたLeoです。

僕は今カナダに留学をしているのですが、ここにきて最初の1ヶ月間は「外国人うらやましぃ〜〜」と爪がリアス式海岸になるまでかじりました。

日本人というか、アジア人って白人コンプレックスを抱いている方多いのではないでしょうか。僕自身洋画が大好きなので小さい頃から外国人の顔立ちや性格が好きでしたね。

なんとなくそんなことを思っていただけですが、実際にいろんな人種が集まるところに来てみて感じたのは強烈な外国人へのジェラシーと日本人への嫌悪感でした。

誤解してもらいたくないのですが、なに人だろうが日本人だろうが同じ人間で魅力いっぱいの存在ということも実感しました。ただ絶対に日本人にはない外国人の素晴らしさがありまして、それを通して僕は自分の考えを正してみたり、逆に日本人の素晴らしさにも気づきましたので、今回はそちらを書いていこうと思います。


3人の外国人との出会い


【※日本人と外国人の違いについて書いていきますが、書きたいのは人種差別では全く無いです。その上で読んでください※】

僕が初めて語学学校に通い始めた頃、クラスにスロバキア人のブロンド女性とトルコ人男性がいました。席が近いということもあり、彼らに加え1人のブラジル人男性とよく会話をしていました。トルコ人の男性はとにかくマイペースで常に家に帰りたい、休憩にしようと先生に言っては困らせるお調子者。スロバキア人の女性は凛々しく、常に集中して授業に参加しながら持参したコーヒーをピンと弓が張ったような綺麗な姿勢で飲んでいました。ブラジル人男性はとにかく笑顔が大きくて、人の話を楽しんで聞く方でした。

会話を重ねるうちに友達のような関係になってきました。ですがこの中でダントツに僕は英語が話せなかったので、とにかく会話についていくのに必死でした。彼ら3人は自分の国のこと、好きなタイプ、友人について会話をしていました。そんな彼ら3人に対し日本人である僕は何かに魅了され、一緒に時間を過ごす内にいつしか彼らに憧れと劣等感を抱くようになりました。


憧れと劣等感の正体

憧れが最初にきました。彼らは自分の話をするときにははっきりと発言していました。僕はこれが好き、これがきらい、これが楽しかった、あのこが可愛かった、こんな人と結婚したいなどなど。まあ日本人でもこれくらい普通に話しますが、ヘラヘラせずにまるでプレゼンのようにまっすぐ伝えてくるのです。その話し方からは絶対に人を傷つけないリスペクトに溢れたものを感じました。

日本人では好きなものを堂々と好きと言わなかったり、嫌いなものをはっきりと言わない人の割合が高いと思います。なぜなら日本で好きと言えばオタクなどと馬鹿にされる風潮があり、一般的かつ模範的な人間でないと浮いてしまう空気が存在するからです。また何かを嫌いというと、性格が悪い、我が強いなどと思われてしまい、匿名のネットでしか嫌いなものを言わず、しかも相手に対するリスペクトは皆無なカオスな状況でしか吐け口がない。自分をひた隠して社会に溶け込むことが強いられているのが日本社会であり日本人の集団の特徴の一つです。

彼ら3人はそれぞれ心と意思と礼節を持った『人』でした。それが僕には魅力的に映りました。自分は何者なのか分からず、そのヒントを求めて留学に来たので当然の結果でした。

しかし僕は彼らに対する憧れが増す一方、なんで僕は彼らとは違うんだろうと劣等感を感じるようになってしまいました。その劣等感は日本人としての僕に嫌悪感と、早く自分探しをしないとという焦燥感を思わせるに十分なものでした。


劣等感から感じた日本人の素晴らしさ

僕は子供のように彼らに劣等感を感じ、いっそのこと外国人に生まれて来たかったなどと考えてしまいました。生まれて初めて自分が日本人であり、アジア人であると認識し、いかに自分の育ってきた社会が狭く息苦しいものだったのか痛感させられました。

日本人は悪く言ってしまえば『周りを気にして自分が邪魔な存在にならないように肩を狭める自己主張がない人種』です。

しかしそんな最中、僕は自分が日本人であることに誇りを思い、受け入れるようになるきっかけがありました。

僕はあるとき3人のうちの1人であるスロバキア人女性と2人で話すことがありました。なんでもない会話をしていたのですが、突然彼女の口からこんな言葉が出て来ました。

『あなたは若いのに素晴らしい心を持っているのね。私は最初初めて出会うアジア人のあなたを怖いと思ってしまっていたわ。私に話しかけて来てくれてありがとね』

驚きました。そんな風に思われていたとは1mmも考えていませんでしたから。彼女はシャイな性格をこの留学を通して変えられたらと思っていたとも言っていました。僕は彼女の目には人種なんて考えず同じ人間だとして平等に話す芯のある男の子として映っていたらしいです。

そのときに僕もいつも熱心に授業を受けていて、コーヒーを飲む姿が綺麗だと伝えました。そしたら彼女に「ただ真面目なだけで、私はこの性格があまり好きじゃない」と言われました。

僕は彼らに対して感んじていた劣等感がただの無い物ねだりだったのではと思うようになりました。日本人は悪く言ってしまえば『周りを気にして自分が邪魔な存在にならないように肩を狭める自己主張がない人種』

これは『周りにも配慮して決して上の立場に立たない謙虚で寛容的な人種』とも言えるのではと彼女の言葉を聞いて思いました。

ものは見る角度によって全く違うように見えてしまいます。僕は日本という島国で育って来たため、日本人としての角度でしか自分を見れていませんでした。彼らは長い歴史の中で他の国と関わり、互いに違った角度から自分を見つめる環境にいました。そのため彼らは自分の好きなもの、嫌いなものがはっきりと区別できており、多角的に捉えた自分を自信を持ってストレートに表現できているのではと思います。

彼ら3人はすでに帰国してしまっているので彼らの目に映っていた僕の姿はどんなものか定かではありませんが、彼らが1度でも僕のことを下に見ることはありませんでした。少なくとも僕が感じていた劣等感は彼らの目には映っていなかったと思います。


日本人として生きていくこと

世界とつながるグローバルな時代ではテレビや映画、広告で外国人の姿を見ることは珍しくありません。ですが僕は21歳にして初めて外国人と心から関わり、自分は日本人なんだと自覚しました。今まで考えて来た自分の性格をもう一度見直してみると、

・島国から外に出る勇気がある。
・どんな人種だろうが平等であると知っている
・自分を1人の人間だと思っている
・思いを外に出すことの大切さを知っている
・謙虚な姿勢を持っている

自分の性格にこんなにもいいことがあるとは考えたこともありませんでした。劣等感の塊で、自分を見てもらいたいがためにアナウンサーを目指しラジオDJもやっていた僕が何よりも自分のことを見れていなかったと気づけたのは3人のおかげです。彼らに届かないと思いますが、感謝しています。

日本人は〜とか日本から出たことも外国人と心から触れ合ったこともない人の言葉に耳を傾けていたと思うと自分がいかに愚かだったのか痛感します。

『日本人として生きていくこと』

これは一人一人の人間として生きていくことの大切さを、外国の人たちと触れ合い、自分が『日本人』であると自覚することで実感できると僕は思っています。

決して誰かが作った日本人のイメージで生きることはありません。日本人としての素晴らしさをあたかも悪いことのようにしてしまっているこのイメージから抜け出すことは今の日本人に大切なことの一つなのではないでしょうか。


まとめ

僕は何も成し遂げていないただの大学生です。ですがそんな理由で自分の『個人』としての自分をひた隠しにすることはないと思います。

グローバル化はあくまでもものと情報だけです。心のグローバル化はまだ始まってすらいません。変なイメージや情報ではなく、自分の目で世界を確かめることが大切です。

教科書には文字しかありませんから。

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