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ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越し

ステフィーのクリームはごく簡単だけどとても美味しい。
こんなシンプルに三つの食材をただ混ぜただけ。3分でできるのに、必ず
「美味しい。どうやって作ったの?」と聞かれる。

ステフィーがこれを作ったのは、確かあの年越しの時だったと思う。

ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越しの話はレシピの後に


材料写真

<材料>
・カプリーノチーズ 1本

・良質のエキスラヴァージンオリーブオイル 適量

・にんにく 1カケ

・パン(フランスパン、クラッカーなど)適量

<作り方>


1・カプリーノチーズにガーリックプレスで潰したニンニクを加える。
*ガーリックプレスがない場合は、薬味用のおろしでおろしても良い。


2・1に良質のエキスラヴァージン オリーブオイルを適量加えてよく混ぜる。


3・小さめの器に盛り付けて、スライスして軽くトーストしたフランスパンやクラッカーなどに塗っていただきます。


完成写真  器はバカラのアールデコ期のモデル「シャルム」
http://galleria-kajorica.blogspot.it/2016/01/baccarat-charmes.html

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ステフィーのカプリーノ・クリームとディスコ・プラスティックとミラノの年越し

ステフィーはパートナーと屋台のみで店舗を持たないアンティーク商をしていた。彼女はいつもシックにオシャレで天鵞絨のコートがよく似合っていたのを憶えている。
すこし枯れた感じの彼とはちょっと不釣り合いに見えた。

ステフィーカップルと時々会っていたのは30年近く前のこと。彼女らは当時私が勤めていた事務所の秘書の友人で、大勢で出かけたり食事会をしたりした時期があった。でも正直少々陰が薄く、今思い出しながら文章をかいていても何か忘れていた友情が蘇り暖かい気持ちになるような感覚は全くない。
多分、今道ですれ違ってももうわからない。単に付き合いが浅かったということなのだ。

だからこのレシピをもらわなかったら、「ステフィーのクリーム」と名付けたそのレシピをレシピ帳に保管しなかったら、彼女のことを思い出すこともなかったのではないかとさえ思う。そしてそのステフィーの印象とは裏腹にインパクトが強かったのは彼女の両親だった。

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ステフィーの両親はどちらもブレラ美術学校出身のアーティスト。

お母さんはちょっと魔女のような雰囲気だけど、ステフィーの友達が夜中の3時にいたずら半分でベルを鳴らしても怒らず、「何よあなた達・・・こんな時間に・・・コーヒーでも飲んでいく?」などと言えてしまう太っ腹だ。

学生時代自分が隠れてしまうほどの黄色いマーガレットの花束を持ってお父さんに愛の告白をした時のことなどドラマチックに、面白おかしく話してくれたりもする。

何より強烈だったのは住んでいる家。

二階建ての建物の二階全部がステフィーの両親の住宅兼アトリエだったが、その建物の1階部分はすべて「プラスティック」という有名なディスコだった。
https://it.wikipedia.org/wiki/Plastic_(locale)

「プラスティック」は今は別の場所に移転してしまったが、当時ウンブリア大通りと3月22日大通りの交差点にあり、ミラノで一番派手でクレージーな人たちの通うディスコという定評だった。


昔のディスコ プラスティックの看板

かのクイーンのフレディー・マーキュリーやマドンナ、エルトン・ジョンなども常連だったそうでミラノに来た際にはこのディスコに出入りしたのは有名な話。今、ウィキペディアを読むと「プラスティック」に行くためわざわざ飛行機で飛んできたなどと書いてあるけど、、それは本当かなぁ。。。

アメリカの都市部のゲイ・クラブシーンで知られる様になったヴォーギングをいち早く取り入れ、入店する際の服装チェックをミラノで最初に取り入れたディスコとも言われている。

でもカッコよくないと入れてもらえない昨今のおしゃれなディスコの服装チェックと違い「プラスティック」は「個性的」でないと入れてくれなかったのがその特殊性。

私は一度だけ友達グループと個人宅でのパーティーの後なだれ込んだことがあるが、あまりいい思い出ではない。もともとディスコは好きじゃないし。。。

もちろん音楽の音量も半端でない。ガンガンガン、どんどんどんという感じのメロディーのないディスコ音楽が早い時間から深夜まで、おそらく明け方まで毎日続く。音だけでなくて振動もジンジンジン、どんどんどんと足元から響いてくる。

そんな家にステフィーのご両親は全く普通に暮らしていた。

一度その家での年越し大ディナーに参加したことがあった。
朧な記憶では小学校の教室よりやや小さいくらいの広いサロンにいくつもの円卓を置き、かなり大勢だったと記憶している。ステファニアの友達と過激な両親の友人達が集まった。食べ物は一人一品作っていく持ち寄り形式。

私がスモークサーモンの押し寿司を作って行ったら、他に鮭料理を作って来た女性が文句を言っていた。別に競争するつもりなんてないし、どちらもサーモンを使っているというだけで競争になるようなアイテムでもないのに。。。

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イタリアでのCapodoanno (カポダンノ=お正月)は一般的に元旦に新年を恭しく祝うのではなく「年越しに」つまり夜半をどう過ごすかに重点が置かれる。

友人たちと集まる場合、遅めの時間にディナーを始め食べ終わってリラックスしてほっと一段落した頃が夜半になるよう時間を調節、あの晩は確か9時集合だった。

一応皆ドレスアップする。赤い服か赤い小物を身につけると新年のラッキーチャームとされている。恋人にプレゼントされた赤い下着か靴下を年越しに身につけていたら、その女性は幸せになるとか、新年に結婚するとか言われている。


アルマーニ・カーザミラノ本店のショーウインドー2023年12月

ちょうど夜半にスプマンテかシャンパンの栓を抜き「アウグーリ」(おめでとう)と言い合い抱き合ったり頬にキスしたりするけれど、その時に気をつけなければいけないのは年が明けて最初にキスする人は異性でなければいけないことになっている。それもまたラッキーチャームなのだそうだ。

普通なら新年の夜半を過ぎるとあちこちで花火を打ち上げる人達がいるのでそれを観賞する。どこの家で新年を迎えても夜半に乾杯し。頬にキスをしあって祝った後は窓際に集まったり、テラスやバルコニーに出たりしてあちこちで打ち上げられる花火を見る、というのがおきまりのパターン。南のナポリなどでは花火は明け方まで続くそうだが、ミラノは概ね30分か長い時でも45分くらいで終わってしまう。

そして花火もひと段落して、スプマンテも飲みきった1時か2時くらいに解散して家に帰るというのが平均的。

でもステフィーの実家での年越しの時だけは花火鑑賞はなしで、階下のディスコ・プラスティックの音楽と振動がガンガンガン、どんどんどん、ジンジンジンと一層大きくなってくるのに年が明けたのだと実感した。


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