主権者教育としての理科

理科を学ぶ目的

日頃、私は個人的な目的で物理を勉強している。それはわからなかったことをそのままにしたくない、というものである。

何かを学ぶ目的はなんでもいいと思っている。しかし、なんだかやっぱり考えてしまう。そこで最近思うのが、理科は主権者教育の一端を担えるのではないか、ということである。

科学と民主主義

科学では自然現象について考えて議論して、それぞれが納得できる理論や説明を選ぶ、または自ら構築する。そうして人間から見た自然像を明らかにしていく。

一方政治では、社会や自分について考えて議論して、それぞれが納得できる政策を選ぶ、または自らアイデアを発信・実行する。そうして社会の未来像をつくっていく。

こうしてみると、科学への参加は政治への参加に似ている。ひとりひとりが平等に考え、意見を言うことができるという点、何かを選ぶ主体である点が、特によく似ている。異なるのは参加先となるコミュニティで、前者では科学する人たち、後者では政治を考える人たちである。

民主主義の中で

日本は曲がりなりにも民主主義の国であり、先人のおかげで国民には政治を決定する権利が与えられている。選挙権も18歳から与えられる。
この国では選挙という形で、自分の参加する社会の未来を決定する権利を国民に保証しているのである。自由人にはありがたい制度である。
自分の人生を生きたい、という人にはありがたい制度である。

そこで、この制度を使うための素地を何かの機会にはぐぐめないか。
その人が生きたい未来を選ぶプロセス、納得するアイデアを選ぶ、自分でつくるプロセスを体験し、身に着けることができないか。

理科には、それができるように思える。

教える立場になったら

だから、もし理科を教える立場になったら科学の考え、議論するプロセスを伝えられるようにしたいと思う。その人が主体として社会に参加する体験ができるようにしたい。

社会についてはまだまだ理想を見ている感じがしていて、これから少しずつ知っていきたいと思っています。それでも民主主義という大枠はあるはずなので、今の考えも同時進行で深めたり改めたりしていきたいです。

というわけで、誰もがその人の人生の主役になるために、自分の学びを還元できるかな、したいな、と考えている一学生でした。

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