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ジャニーズ問題:「ジャニ担」の責任? アベ政治の弊害?

「逃げ」に入ったジャーナリストたち


「ジャニーさん、ありがとう!」と表紙に大書された2019年の「週刊朝日」ジャニー喜多川追悼号が、メディアとジャニーズの癒着の象徴として取り沙汰されている。

それに関して、元朝日新聞記者のジャーナリスト、佐藤章が10日、こうツイート(ポスト)していた。


この表紙は記憶している。このころは朝日を辞めていたが違和感を覚えた。長く所属していたAERAはジャニーズ事務所と「キムタク引退」記事をめぐってジャニーズ事務所と対立していたが週刊朝日はずっと寄り添っていた。週刊朝日歴代の編集長や担当記者は振り返って総括する必要があるだろう。


ふーむ、なんとなく、「逃げ」に入っていませんか? 自分がいたAERAは違う、と言いたいようだけど、AERAだってさんざんジャニーズタレントを表紙に使っていた。

ジャニ担と、いまはもうない週朝の歴代編集長のせいにして、自分は責任逃れ?と思ってしまう。


ジャーナリストの青木理は、10日のTBS「サンデー・モーニング」でこう言ったそうだ。


青木氏は井ノ原の「得体の知れない、触れてはいけない空気があった」という発言を引き合いに出し、「得体の知れない、触れてはいけない空気みたいなものに、われわれメディアも完全に飲まれてたんじゃないですか」と苦言を呈した。芸能だけの話ではないとし「かつての1強政権下で、いろんなキャスターの方が辞めたと。そういうのも、そういう忖度とか萎縮とかみたいなものと無縁ではなかったんじゃないでしょうか、っていう問題もあると思う」と語った。


これも「逃げ」の一手ですね。

「かつての1強政権下で」って、ジャニーズ問題も「アベ政治」のせいだと言いたいのでしょうか。

私はテレビを見ないから、わからないけれど、いまのテレビって、こんな好き放題を言って許されるんですか。信じられない。

そして、こうも言う。


「芸能だけじゃなくて政治に対しても、あるいはありとあらゆる権力とか権威に対して、われわれ、きちんとファイティングポーズとってますかっていうところが問われる」と報道姿勢に注文をつけた。


いやいや。

この人がこんなご意見番的なことを言うほど偉い人なのか、知らないけどね。

ともかく、テレビに定期的に出て、好きなことを言う「権力」なんて、持っている人はそういないんだから。

安倍晋三だって、そんな「権力」は持っていなかった。

そんな「大権力」を持っている大ジャーナリストのあんたこそ、ジャニーズ事務所の性加害を率先して問題にすべきじゃなかったんですか。

なんでこう他人事なんでしょうね。


編集委員的な無責任



こういうマスコミの「編集委員」みたいなやつ、たくさん見てきたけど、私はまったく信用しません。

マスコミだって、ほとんどの人は、一般企業同様に、利益を上げるため汗水たらして働いている。

働いてないのは、こういう「編集委員」的なやつですよ。

偉そうなことだけ言って、ときどき原稿を書いて、高いギャラをもらっている。

青木だって、こんなこと言って、いくら文化人枠とはいえ、1回何十万ももらっているだろう。

「編集委員」はあこがれの職業で、私もなりたかった。

全マスコミのなかでも、最も恵まれた境遇といえる。

実働時間の時給換算では、日本で最も高給な職業の1つだと思う。


でもね、あんたらに高い給料を払うために汗水垂らしているのが、たとえば「ジャニ担」なんですよ。

かっこいい「ファイティングポーズ」を誰かにとらせるために、汚れ仕事、裏稼業をしているのが「ジャニ担」なわけで。

こういうジャーナリストたちの言を聞くと、私はジャニ担や週朝編集長に同情してしまう。


「編集委員」にも、一点だけ、弱点があって、それは、メディアの経営幹部には文句を言えないことですね。

なぜなら、彼らを雇っているのがマスコミ幹部だからね。ボスには逆らえない。

新聞社でも、「編集委員」になるような人は、役員と喧嘩しないよう、細心の注意を払う。

「編集委員」は、社外の政治権力や大企業には威勢のいいことを言うが、自分の目の前の「権力」については盲従する。

「アベ政治」とは戦ってるふりをしても、いちばん身近な「権力」には逆らわない。

佐藤章や青木を個人的には知らないが、「編集委員」たちの、その卑怯な姿を業界でさんざん見てきたから、私は彼らの言を信じることがない。


それは、彼らがいわゆるフリーになっても同じです。

大マスコミから仕事のおこぼれをもらうのが彼らですからね。

たとえば江川紹子みたいな人だって、マスコミ企業に来て御用聞きみたいなことをしていた。結局、マスコミ企業から仕事をもらわないと、露出できないからね。

「ありとあらゆる権力とか権威に対して、われわれ、きちんとファイティングポーズとってますか」

って、あんたら、マスコミ権力には、ファイティングポーズとってないじゃないか。マスコミの犬じゃないか。

悪いことは、すべてマスコミの外の「権力」のせいにする。

あるいは、社内の、「ジャニ担」のような末端のせいにする。

青木のテレビでの発言も、「ジャニーズ問題の責任はマスコミ幹部にはない、別のところにある」と、結局のところ、マスコミ幹部がいま言ってほしいことを言っているにすぎない。

でも、ジャニーズ問題って、まさにマスコミ権力中枢、マスコミの経営の問題なわけです。


根本は「オワコン」問題


それについては、私もさんざん書いてきたし、


週朝休刊のとき、林真理子の言を引いて、元木昌彦も日刊現代に書いていた。


林真理子は(中略)文春の自身の連載の中では、ジャニーズのタレントを表紙に使い続ける週朝やAERAを、「雑誌がジリ貧になってから、ジャニーズ一辺倒になった。(中略)延命のためにこういうことをしているうちに、ジャーナリズムとしての何かがすり減ってしまった」と批判している。男性のコメントは感傷的だが、女性のほうは情に流されず休刊問題の本質をついている。


元木が言うように、雑誌には寿命がある。週刊朝日の寿命はとっくにつきていたのだが、それを生きているように見せるために、「ジャニーズ一辺倒」になった。つまりは経営問題だ。

それは、「サンデー毎日」も「AERA」も同じだと思う。

死んでいるのに生きているようにせよ、と各編集長に命じたのは、朝日や毎日の経営幹部なわけです。

そう命令されたから、みじめな汚れ仕事をしなければならなかったのが、編集長であり、ジャニ担だった。


なぜそうなったかをずーっと考えていくと、結局、朝日新聞や毎日新聞の「寿命」も尽きているからではないか、と考えざるを得ないんですけどね。

いまふうに言えばオワコンですね。

9月1日は関東大震災100年だったけど、これも前に書いたように、関西の「朝日」「毎日」が業界の全国制覇を遂げたのが、関東大震災で東京の新聞社が壊滅したときでした。

そして、ちょうどそのころ、「週刊朝日」も「サンデー毎日」も生まれました。

つまり、「朝日」「毎日」の覇権も、新聞社系週刊誌も、100年たっている。もう寿命なんですよ。


戦前は、「新聞を経営して大儲けしてないやつはバカだ」と言われました。何しろお茶の間に入り込めるメディアは新聞だけですから、黙っていても広告が殺到しました。朝日・毎日は、広告料などでカルテルを結び、業界を寡占したと言われます。大儲けです。

「週刊朝日」「サンデー毎日」や、もろもろの社会事業の創始も、その景気がよかったころの産物です。

しかし、100年たって、環境は一変しました。


それなのに、寿命がつきたメディアを、ゾンビのように生かしているから、いろいろなひずみができる。

メディアは既得権益化し、存続だけが自己目的化している。

新聞社系週刊誌がジャニーズ依存におちいったのも、ジャーナリズムがジャニーズ批判ができなくなったのも、それによって性加害が見逃され被害が拡大しつづけたのも、その淵源は、日本のマスコミの存立そのものにあるゆがみだと思う。


なんか話が飛躍していると思われるだろうから、このあたりにしますが。


結論。

自民党が集票のために「統一教会」に頼ったり、立憲民主党が同じ目的で左翼セクトに頼ったりするのが、よくないとするなら、マスコミが生存のために「ジャニーズ」や「創価学会」に頼るのもよくない。同じことですね。

それは政治をゆがめ、報道をゆがめる。

私は最近、それを、政治家やマスコミ経営者の無能や無策だけに帰すべきではない、と思うようになりました。もう彼らの手にも負えないのではないか、と。

それは非常に重要な問題なので、日本の政治やジャーナリズムをどう変えるか、社会全体で考えるべきではないか、と。

「ジャニ担」の責任問題などに矮小化すべきではないのですね。



<参考>


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