見出し画像

心の矢印と体へのアプローチ

兄弟喧嘩が絶えない我が家ですが…昨日のそうちゃん。悔しさ憎しみ怒りで体いっぱいになり、のたうち回っている。私が介入したところで、「だって〇〇が!」、「いやいやその前にそうちゃんが!」と余計にこんがらがって長引く始末。矢印が完全に外にしか向いてない状態。

ふと、NVCを思い出して、「ねーねーそうちゃん、今どんな気持ち?」とアプローチを変えてみたけど、「分からん!」と言われ終了。(ま、私のアプローチが雑すぎるんだけど、笑)

そこで、またふと、「そうちゃん、マッサージしたげよっか」と声を掛けると、ふにゃっと空気がゆるんで「うん」と。うちではよくやる金魚体操(仰向けに寝てもらい足首もって揺らす)とクルクルポン(足指を1本ずつ回して最後に引っ張る、おまけに足裏指圧)のセット。他にも思うがままになでたりさすったり。すると、どんどん表情がほどけて、体の力も抜けてゆく~。

怒りを抑え込む、気を逸らすともまたちょっと違って、溶けていく感じ?体に触られることで、意識の矢印が自然に内側に向く(あるいは一体となる)からかなぁ、っと思った。

おまけに、やってる方もやさしい気持ちになれる。子どもたちの兄弟喧嘩の罵声や悲鳴や罵りや泣き声を聞いてると、私もけっこうダメージくらうので、その修復にも有効のようだ。

マッサージ中もちょっと実験で、「そうちゃんの心さ、ケンカしてるとき何色だった?」と聞いてみると、「え?どういうこと??」。うーん。「胸のところにさ、ハート型の心があるとするでしょう?色があるとしたら何色だったと思う?」すると「赤かなー…やっぱり黒!」とそうちゃん。おお、ちょっと伝わってるかも。「今はどお?マッサージして何色になった?」と聞くと「ピンク!」。おお~。ちょっと感動。

内側に意識を向ける、ということ。
体に触るというのはそのトリガーになるのだな。

そして改めて感じた。「お母さんの手」パワーのなんと絶大なことか!
画像は小さい時のそうちゃんだけど。抱っこやおんぶの時代はずっとくっついていたんだもんね。一人で歩けるようになり、一人でお着替えできるようになり、お尻も自分で拭けるようになり、いちいち手をかけなくても、言葉で済ませることが多くなった。いち年いち年、肌に触れる機会って失われいるんだなぁ。でも、やっぱり「手で触れる」ってすごい。

〈おまけ〉自分の心の矢印が外にばっかり向いている時、自分で自分の体に触る、ケアしてあげると矢印が中心に戻って来る感覚、あの安心感は、そういうことなのか。それが、冷え取りだったり、布ナプだったり、お灸だったりするんだな。心と体の橋渡しになるツールだから、みんな欲するんだよなー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?