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第66段「熊野古道、死を知る旅」

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1日目

熊野古道を滝尻王子から急な登り道をのぼっていると、最初死者を想った。

親戚や知り合いの死の瞬間を感じた。

人が死ぬその瞬間、僕は死ぬ人の近くにいたくなかった。

死が怖いからだ。

なので、死の近い人に会うと、お見舞いとかに行ってもすぐにおいとましてしまう。

すごく不義理で薄情で臆病な自分が、とても嫌だ。

でもそれは、死が怖いからだと想う。

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そして古道を歩き続けると、さらに自分の父母や周りの人を想った。

父よ母よ、100歳まで生きてくれ。あと25年くらい。

そしたら僕も70過ぎだ。

そうか、70歳なのか。そんなことを想いながら古道を登った。

そして、さて主人公がその先の死を悟っているのに、その人がそれでも人生を続けるドラマ、見続けた作品あったなーとか急に頭をよぎった。なんだったかな?

思い出そうとした。そうだ、NHK大河ドラマの《真田丸》だ。

『歴史が私をどう評価するか、お手並み拝見としよう。』

このドラマのキャッチコピー、すごく胸に刺さっている。

昨夜、森鴎外の渋江抽斎を読み終わった。気になって調べてみたら、鴎外は60過ぎで死んでいた。

さらに気になって調べたら、夏目漱石が死んだのは49だ。

来年の僕の年齢だ。

漱石が沢山の至極の作品を産んで死んだ年に、僕は初めての作品を産み出そうとしているのだな(今回の旅は執筆旅行でもあるから)。

『歴史が私をどう評価するか、お手並み拝見としよう。』

そんなことを思いながら、熊野古道を歩く。

31で死んだ坂本龍馬だって、39で死んだチェゲバラだって、僕は今その人が死んだ後の人生を生きてるんだ。

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僕は、死者とともに、死に向かって、死に向かいながら、死を知るために、必死になって、熊野古道を進むんだ。

それはつまり、死を知る旅。

古道の周りでは、シダが生い茂る。

シダ、死だ。

生うとは、老うであって、追うであって、負うであって、往う、なのだ。

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2日目。

朝6時。宿を出るとき主人は、「ゆっくり行きなされ」と言った。

今日は無理しても熊野本宮大社まで行こうと思っていた。

しかし連日の徒歩でかなりダメージが来ていて、途中歩みが遅くなる。

特に台風による迂回路を通ってる時、前へ進まなくなった。

熊野古道上りはつらくて、下りはこわい

どちらも大変だ。

宿の亭主は、宿を電話で予約するとき、僕が2日目に大社までたどり着きますかね?って聞いたところ、1日目の宿までかかった時間でわかるよと言っていた。

宿ではその話を主人としなかったのだが、その時やっとわかった。

主人が「ゆっくり行きなされ!」と言ったのは、ゆっくり行け!という意味ではなく、どうせ大社までは今日着くのはお前の足では無理だから、もう一日計画を伸ばすなりして、ゆっくり行きなさい!という意味だったのだ。

僕を見て2日で到着するとは思わなかったんだろう。

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歩きながら、そう思い、時刻表を取り出しバスの時間を見た。

発心門王子で、今日は終わりにして、バスで宿に行く。大社には明日行こう。

湯の峰温泉の宿に行くためバスに乗ると、ものの15分で熊野本宮大社の前を通過した。

歩いて行くことの意味とは、何だろうと思った。

ちなみに石井ゆかりさんの占いでは、満月の1日目は、

「バリバリ前に進める感じの日」

2日目は

「大成功」

そういえば出発の前日に参拝した田辺の鬪雞神社のおみくじでは、

「旅は変えなさい」とあった。

3日目

バスで湯ノ峰温泉からまた熊野本宮大社を通過し、発心門王子に着く。

そこから、歩きで熊野本宮大社を目指す。

今度は荷物を軽くし、ほとんど下り坂を軽快に歩く。

実際、古道は最初の頃よりはるかに整備されていて楽だった。

3時間かからずに熊野本宮大社に到着。

つまり、昨日無理してれば、昨日到着していたのか?とも思う。

でも、困難な時、僕はそれを選ばなかった。

行けたところで行かない、自分。

これで、よいのかと、自問自答した。

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熊野古道中辺路の40キロの旅だった。

僕には、いろんなことが知れた旅だった。

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