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発達障害私と定型っぽい人たちとの「苦手意識」のズレ



Xをぼーっと眺めいたらふと目に止まったポストがありました。

こちらです。

ぱっと見「何言ってるんだろう?」

と思いました。

だけど…

まてよ…


よくよく考えると

「いや、めっちゃわかる」

と思ったので詳しく書いてみようと思います。


人に対する「苦手意識」がズレてるように感じる


あまり主語を大きくするのは好きじゃないので「私」と「私の周り」の話をしますね。

私の周りのおそらく定型(ふつうっぽいひとの目線)ってこうじゃないかな。

●優秀な人…

・すごい
・理解できない
・憧れる
・かっこいい
・(場合によっては)鼻につく


●定型っぽい(普通っぽい)人…

・普通のひと
・良い人
・庶民的
・まともな人

●気質や特性凹凸がある人…

・理解できない
・一線引いておこう
・扱いづらい
・腫れ物
・空気読めないな


発達障害色々抱える私目線はというと


●優秀な人…

・基本的に脅威(優生思考強いイメージ)
・排除される恐怖
・無理解なイメージ
・たまにもの凄く理解してくれる優しい人もいる
(脅威か安全地帯かの2極)

プレイヤー(個人)として優秀な人
→無理解・脅威のイメージ

マネージャーとして優秀な人
→安心のイメージ

リーダーとして優秀な人
→どういう考え方だろう、賭けだなってイメージ

人の上に立つような人たちは人を使う立場になっていくため、どんな人でもうまく動かす術を学んでいる「であろう」とは思うものの、

生産性や効率を追い求め、できる人に合わせて引っ張っていくトップなのか、
全ての人を適材適所に采配できるトップなのか…前者のイメージが強くて苦手といった感じです。


●定型っぽい(普通っぽい)人…

・1番苦手
・大抵の人が怖い
・近寄りづらい
・受け入れてもらえるか不安

「自分を普通だと思っていそうな人」
「何でもそつなくこなせて、"できない"目線に立つ必要のなさそうな人」
「人をまとめるつもりはないので、自分の人生に必要のないものはいらない」

というイメージで、
私はこの広い範囲の人たちが1番苦手です。


●気質や特性凹凸がある人…

・親近感
・仲間意識
・助けてあげたい サポートしたい

「自分の特性を客観視できている人」はとても親近感、仲間意識を感じ、
「自分の特性に気づいてなさそう」な人は場合によっては仲良くするのは難しいけど冷静には見られる。

自分の心がざわついたり脅威を感じることは比較的ありません。


「2割」の嫌いと「8割」の苦手

優秀な人(2割):普通の人(6割)凹凸のある人(2割)

2:6:2

なんとなーーーくですが、
私は「人」全体をこの
「2:6:2」くらいの割合で見ています。


定型、普通っぽい人の目線】では

●「2割」の凹凸のある人が「嫌い」?

「6割」の普通っぽい人は大半がある程度まともな人(苦手な所はあれど小さい)


【凹凸のある私目線】からすると

●「2割」の優秀な人+「6割」の普通っぽい人
=「8割」方の人に「苦手」意識を持っている
という見え方になります。


あくまで漠然としたイメージですよ。

いい人だとか苦手だとかは相対的なもので、自分にとってどう見えるかなので

どのエリアの人にも得意な人苦手な人はいます。

が、全体を見た時の漠然としたイメージはこんな感じなんです。


で、このポストをもう一度引用します。


私色に上の会話を脚色すると

定型1の人はおそらく凹凸のある人に対して「嫌い」という。

定型の人たちにとって凹凸の人たちが面倒な存在なのは「共通認識」「自分より下に見ている」ので「嫌い」という言葉を使う。

定型同士で共感し合う。


発達凹凸私にとって「苦手」な人は、定型の人には「普通」「いい人」に見えている。

カーストの低い凹凸私が偉そうに「普通」の人を悪く言おうとすることによって「普通」の人たちから孤立する。

私の中でこういう解釈をしています。

私はね。

私は母と兄が「苦手」です。

特性への無理解で、私のやからしたことをめちゃくちゃに責め委縮させられる。

悪いのは私で、一般的には彼らは「普通」で、それでも私にとっては脅威なので「苦手」なんです。


けど、それを言うことを許されないような。

言ったら最後、正論で滅多刺しにされ嫌われるから言えないような。

そもそも「苦手」と「嫌い」を混同している人が多く感じます。

ポジティブにもネガティブにも色々な種類のエネルギーがあり、それらは一括りにするべきではないと私は思いますが、

悩みを話そうとすると「悪口」と取られてしまったりします。

特にこの6割にあたる人たちにそうとられやすいと感じます。


先入観は良くないのはわかってる。

その人の「行動」ではなく「経験」を追うと苦手意識はなくなっていく。

苦手だなと思っている人も、枝葉にある言葉遣いや行動をみるとしんどく感じるけど、

それでしんどくなった時は、私はその人を知ろうとします。

話を聞くんです。

その行動をとるようになった経緯、経験を追う。

すると、「なるほど」と納得する。

納得することで「この人はこうだからこういうことをしてしまうだけだ」

とネガティブな出来事が「人」のせいじゃなく「仕組み」のせいになる。

同情、共感できるかは別として理解はできるわけなので。


私はいつもそうしているので「嫌い」な人はほぼいないんです。

「合わないな」って人はいるけどね。


凹凸のある人にとって「苦手」な人はとても多く、
多くの人にその人は「いい人」に映っていることが多いのではないか。

そして「苦手」と「嫌い」を混同しないでほしいなと。

ちょっと主観の強い記事になってしまってすこし反省しています。

この感覚は言語化しづらいままふわふわしていたので吐き出してスッキリしました。

と言うわけでお読みいただきありがとうございました。

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