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問いつづける

授業や講義で時折耳にすることがある
「それはいい質問ですね。」というセリフ。
だいたい授業を主導的に進める先生が言う。

自分が言われた時は気分がいい。
「まあね」と言わんばかりに鼻の穴がふくらむ。
けれども、他人が言われているのを見ると「何がいいんだかさっぱりわからん」と悪態をつきたくなる。
私の心の狭さが露呈してしまう、そんな言葉。
でも、
私の悪態も的を得ているかもしれないと思った。

だって、人が疑問に感じて発言した質問に、
他人が良いだの悪いだのと簡単に評価することができるのか?と思う。

たしかに
たとえば村上春樹の考察がテーマの授業中で、
「先生、今日は雨が降りますか?」と質問すると
ほとんどの人が眉間に皺を寄せると思う。
話の内容とは一切関係がないであろう質問は、その場に不適切な質問として非難される。
でもそれはその場に不適切な質問であって、
悪い質問ではない。
もしかすると突拍子もないその質問が、なにかの文節と絡んで、村上春樹の考察を深めるきっかけになるかもしれない。
そうなれば、
考察を深めた鋭い質問として評価されるだろう。

私は言われて鼻高々になっていたけど、
「良い質問ですね」という評価だって怪しい。

教卓に立つ先生は意図をもって話をしているわけで、この先につながる質問が飛んでくれば計画通りの展開がしやすくなる。
周りは「こんなの聞かなくても考えれば分かる」と思うような質問が、誘導したい先生にとっては「良い質問」になるわけだ。

それに「良い質問」と言われた時点で、先生の中では想定内で、範疇内の問いである。
自分が答えられそうもない予想外の質問がきたとしたら、微笑みながら「良い質問ですね」なんていう余裕がなくなるはずだ。
先生の術中にハマっているだけで、「良い質問」と評価された問いが村上春樹の考察が深めるとは限らない。

てことは、「良い質問」というのは尋ねられた人の評価でしかない。
浮かんだ疑問が良いか悪いかなんて
誰にも決められない。

そんなことを考え出すと、
かつての先生に、勝手に私の疑問を評価しないでほしいという不満が沸いてくる。
それと同時に、評価される問いとは何かが気になって仕方がなくなる。

みんなあれこれ考えながら
日常を生きてるのだろうけど。
良い問いとはどんな問いなんだろう。
そんなくだらない質問を誰かにしてみたい。

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