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生徒を全肯定したら何が見える?

人と人の意見が食い違ったときには、お互いに言い分がある。どちらかが100%正しいということはまずない。それが生徒が言うことであれば理屈に合わないと感じることをするのは当たり前だ。生徒に対して、あなたのここがおかしいということを指摘したくなることは多々ある。

だからこそ、生徒の気持ちや考えを徹底的に聴いて、徹底的に想像してこそ見えてくるものがあるんじゃないかと思う。


いろいろな場面を想定してみる


どう見ても勉強を怠けていた生徒

3年生の受験間近になって「勉強をする時間が確保できない」という生徒がいる。学校の制度が悪いんだと不貞腐れている。

客観的にみれば2年生のときはサボっていて、ぎりぎりになって焦り出しているだけだ。「2年生の時からコツコツやっていこう」とあれほど言ったじゃないかという言葉をグッと堪えてみる。

この生徒は何を思っているんだろうといろいろ想像してみる。
・ わかってはいるが焦っているせいで周りにあたっているだけ。
・ 自分では過去サボってしまっていることを重々承知しているが、どうしようもない。

「誰が悪いのか」の話

部活内で部員同士のいざこざなんかはよくある話だ。当人たちだけの間で収まればいいのが、周りに波及しやすい問題でもある。

しかも、当人に話を聞いてみると(客観的に見て悪いように見える生徒ほど)理不尽に周りに責任転嫁する。

ここでも生徒寄りに考えてみる。
・ 自分が悪いと考えていながらも引っ込みがつかずに周りに所為にしている。
・ 当人同士まったく話ができない状態ですれ違っているだけかも。

誰でも自分は悪くないと思っている


5年くらい前に読んだD・カーネギーの「人を動かす」を動かすには衝撃を受けた。


この本の中で人を動かすためには「盗人にも五分の理を認める」というものがある。
それはつまり、誰でも自分の行いには正当性があると考えている(殺人のような大犯罪であっても)から、相手を否定しても耳を傾けてはくれないという話である。

客観的にその生徒が悪いとしても、生徒が自分の非を認めて反省しないのであれば、どんなに教員側の正義を振り翳しても無意味だ。

そもそも、客観性なんてものは人間の創り出した妄想で、そんなものは存在しないかもしれません(やばい自分の職業をめちゃくちゃ否定している・・・)。

時にはバランス感覚を取り払って、徹底的に生徒の立場に立って考えてみることで生徒理解につながることもあるかもしれませんね。

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