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【詩歌の栞】11/10 緑色の世界へ。「左川ちか詩集/岩波文庫」


夢は切断された果実である
野原にはとび色の梨がころがつてゐる
パセリは皿の上に咲いてゐる
レグホンは時々指が六本に見える
卵をわると月が出る

「花」左川ちか

「詩歌探偵フラヌール/高原英理」で知った昭和初期の詩人・左川ちか。
最近、岩波文庫で「左川ちか詩集」が出ていたので手に取りました。
昭和の初期に活躍した「モダニズムの天空を翔け去った彗星(岩波文庫の帯より)」だそうです。

モダニズムや前衛といわれるジャンルは、どちらかというと苦手です。
意味のわからないところだらけのものは頭の座りが悪くて落ち着きません。

しかし、この詩集は、わからないなりに読んでいるのが快く、手近においてちょっとした隙間時間に手遊びのようにページをめくり、目で言葉を追い、口遊んで響きを確かめ、あれこれと想像して楽しんでいます。

ちかさんの詩に感じるのは若い娘さんらしさ。
熱気をふくんだ甘やかな気配。春先の木々の芽吹きの匂いのような命と身体と官能のみずみずしい色彩に満ちた言葉。
繊細で残酷、痛いほどに潔癖、硬質で透明な言葉。
少女・若い娘特有のこれらの相反する要素が同居しているから生まれるまばゆい危うさがいとおしいのです。

冒頭の詩、私は、まだ眠たい明け方の夢から覚め切っていない朝の様子を思い浮かべます。
卵の黄身と月という見た目と女性性の相似と野原やパセリの鮮やかな緑との対比。
「夢は切断された果実」という、よく分からないなりに納得してしまう比喩。

月、といえばこんな秋の夜更けに似合う詩も。

素朴な月夜

ルーフガアデンのパイプオルガンに蝶が止つた
季節はづれの音節は淑女の胸をしめつける
花束は引きむしられる 火は燃えない
窓の外を鹿が星を踏みつけながら通る
海底で魚は天候を笑ひ 人は眼鏡をかける
ことしも寡婦になつた月が年齢を歎く

「素朴な月夜」左川ちか

題名に偽りありで、少しも素朴でありません。
夜の帳の向こう側から不思議な世界を垣間見ているような気持になります。

物語を感じさせる詩には、こんなのも。

私の写真

突然電話が来たので村人は驚きました。
ではどこかへ移住しなければならないのですか。
村長さんはあわてて青い上着を脱ぎました。
やはりお母さんの小遣簿はたしかだつたのです。
さやうなら青い村よ! 夏は川のやうにまたあの人たちを追ひかけてゆきました。

たれもゐないステーシヨンへ赤いシヤツポの雄鶏が下車しました。

「私の写真」左川ちか

率直に言うと、この詩の意味が私には分かりません。
「私の写真」という題名と詩との関係が分かりません
突然来た電話は誰からで、なぜ移住しなければならないことになったのか分かりません
村長が青い上着を脱ぐ理由も分かりません
なぜ雄鶏がステーションにやってきたのか、この雄鶏がなにものか分かりません

これだけ分からないこと尽くしの中で唯一そりゃあ確かだろう、と思わせる「お母さんの小遣簿」の妙な存在感。
全体的に意味不明なのに、この詩をおもしろいと感じるのがなぜなのか分かりません。

この詩集は緑色で染め上げられているのか、と思うくらい、緑色のイメージを詩のなかに取り入れています。
小文「春・色・散歩」には、春になると「私の絵具箱の中のチユヴからエメラルドグリーンが全部絞りだされてしまつたのではないかと心配になる程、外はその色の汎濫です」と書かれています。
北海道出身のちかさんにとっては冬の重苦しい灰色から生命と光に満ちた世界へと変える魔法の色が「緑」だったのかもしれません。
年がら年中、常緑広葉樹がブロッコリのようにこんもりとした山に囲まれて、隙あらば攻め入ってくる暴力的な蔓草や竹を見慣れている私とは「緑」の持つ意味が根本から違うのだろうな、と思います。

こんな感じでご紹介していくときりがないのですが、最後にもうひとつ。

山脈

遠い峯は風のやうにゆらいでゐる
ふもとの果樹園は真白に開花してゐた
冬のままの山肌は
朝毎に絹を拡げたやうに美しい
私の瞳の中を音をたてて水が流れる
ありがたうございますと
私は見えないものに向つて拝みたい
誰も聞いてはゐない 免しはしないのだ
山鳩が貰ひ泣きをしては
私の聲を返してくれるのか
雪が消えて
谷間は石楠花や紅百合が咲き
緑の木陰をつくるだらう
刺草の中にもおそい夏はひそんで
私たちの胸にどんなにか
華麗な焰が環を描く

「山脈」左川ちか

「ありがたうございますと私は見えないものに向つて拝みたい」
私も時にそんな気持ちになります。

雄大な山に
その山肌を柔らかく染める朝焼けに
秋桜をゆらす爽やかな風に

ああ、この世は美しい、と心動くとき、いやなことばかり、つらいことばかりの憂き世ですが、生まれてきたこと、今、生きていることに素直に「ありがとうございます」と言いたくなるのです。

疲れたときにお茶を一杯いただくとほっと一息つけるように、詩を読むことは私にとって、心のお茶なのかもしれません。


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