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競争意識が強くないからこそ続けてこられた

『そういう考え方もあるのか』

2020年を持って活動休止をする嵐の番組、VS嵐を観ていた。今年が嵐全員が揃ってTVに出るのをみるのが最後ということで、多くのファンたちはその姿を目に焼き付けておこうとしているだろう。僕もその一人である。

子どもの頃から、家族の影響で嵐が日常にあった。TVをつければ、嵐の番組をみんなで見ていたのだ。だから、何曜日の何時には嵐の番組が始まるということは常に把握していた。そんな嵐のクライマックスが近づいている中での今日の生放送VS嵐、誰か忘れたが非常に印象的な言葉を言っていた。木曜日の夜7時といえばVS嵐、その時間に合わせて生活をしている人もいる。もはや、TV番組とは日常を創っていると。これは非常に印象的だった。あぁTVも僕らの日常を創っていたのかと。確かに言われてみれば、自分の見たいTV番組の時間に合わせて勉強を終わらせたり、仕事を終わらせたりしていた。休みの予定も遊びの予定だって、その番組に間に合うように帰宅時間を決めていた。そう考えると、TVってすごいなと。昨今ではスマホやPC、タブレットにより、サブスクリプションでのオリジナル番組や映画、見逃し配信などでいつでもどこでも場所も時間も選ばずに見られるようになったため、かつてのような時間に合わせてということは少なくなったかもしれない。しかし、TVはまだ生きている。その存在がなくなってはいないし、これからもTV局という存在がある限り、そこで働く人々がいる限り、TVは死なない。だから、これからも見たいTV番組に合わせて創られる日常は続くのだろうな。

とまぁ、かなり脱線した。VS嵐の中で、ニノか相葉くんのどっちかが言っていたと思うが、嵐がこれまでこの間この番組をやってこれたのは競争意識が高くなかったからだと。もし競争意識が高ければ、対戦相手をボコボコにするくらいの勝負を挑んで、この最終回は本気でやるためにムキムキのマッチョ軍団を対戦相手とするだろうと。この話は自分の中では、かなり盲点のようなものだった。おそらくビジネスでは競争意識を高め、お互いが争う中で、つまり切磋琢磨するような形でお互いの能力や作品の魅力を向上させていくような気がしていた。しかし、嵐のこの番組に関しては逆だというのである。競争意識が高くないからこそ成立するものがあるということを示してくれたような気がする。具体的にどうしてそれが成立するようになったのかはピンとこないが、目的がプレイヤーたち、つまり嵐やゲストの皆さんが楽しむとか目立つとか、ブランディングとして使うとか、番組を作ってそこでのCMによる広告収入を作ろうとか、そういうのじゃなかったのだろうと思う。ただ番組制作側もプレイヤーの嵐の皆さんたちも純粋に見ている人達を楽しませようという目的があったのではないかと。これはあくまでも推測だが。これを僕ら一般の人たちが自分自身に活かそうとするならば、やはり目的を自分ではなく、相手に置くということだろう。自分が利益を得ることを最終目的に置いてしまうと、おそらくガツガツし過ぎて、見ている人や応援したいという人も少しずつ距離を置いてしまうのでないかと。ただ、視聴者やファンの皆さんを喜ばすという相手に目的を置いていれば、なんとなく優しさのようなものを感じる。そして、それが伝わってくる。まさか嵐の番組を見ていて、こんなことを学ぶとは思わなかったが、やっぱりどんなことからでも学びというものは自分自身がどう感じるかで見えてくるものなようだ。

最後の最後、番組でゲスト側に負けてしまう点も嵐らしいのかもしれない。かつてはスーパースターは最後の最後で必ずゴールを決めると言われていたが、今日の嵐のように最後に決められないという現実もあるのだ。だからこそ、完璧な有終の美というわけではなく、まだまだ終わりのないそれぞれの旅路に進んでいくんだという5人の姿を感じられたのかもしれない。

~fin~

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