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もしこの人生が夢だとしたら

「今は現実なのか、夢なのか」

現実というものは、割と悲観的に捉えられることが多い。今の時代は可哀そう、昔はよかった。若い人はこれから大変ね。高齢者たちが増えるもの、しっかりと支えないとね。んー、どうも納得はできない。しかし、これらの言葉に対抗する必要はない。これらは主張している人たちの意見であり、僕らには僕らの考えや意見があるからである。それにしても、どうして今の時代は悲観的に見られてしまうのだろうか。かつての時代がそんなによかったのか。これは過去を生きていない今の若者たちからすると、データ上では理解できるかもしれないが、経験上では理解することは一生できない。残念ながら、これはタイムマシンでもつくられない限り無理である。今までの時代と比較しても、僕らが今生きている時間には今までよりも可能性という点では多種多様の可能性がある。それは、かつての時代と比較しても選択肢というものが無数にあるからである。考えて分かるように様々なツールや情報がこの100年の間にも劇的に進化している。今のツールや情報は100年前には絶対に存在していない。かつての時代は、与えられた身分や家族環境などに大きく自分の人生が左右されてしまい、なかなか身分が低いものや極悪な家族環境から抜け出すことは難しかった。しかし、今の時代は何とでもなる。携帯やPCがなくても、どこか図書館でも行けば情報や検索なども普通に出来るのだから、どんな方法で人生を大逆転しようかと考えることは可能である。ただこの時代で難しいのは選択肢が沢山あるからこそ、どれを選べばいいかということを選択することが容易ではないということである。これが最も難しい。それにしても、タイトルからは随分と脱線したが、どんな人生を今過ごしていたとしても、今を夢の中であると仮定するとどうなるだろうかと考えてみる。するとどうだろうか、今が夢の中であれば、本来であれば自分でうまくコントロールも出来るはずである。もっと収入をあげてもいいし、もっと人間関係がうまくいくように設定してもいいのである。どんな設定の人生を創るかは自分で選択していいのである。しかしながら、どういうわけか僕らの現実はそうはいってないことが多い。どうやら夢の設定方法を間違えているようだ。そう考えると、今の現実を悲観しているだけでは勿体ない気がしてきた。夢の設定を変えることをするだけで、少しだけ見えてくる現実が変わってる気がする。でも、そうはいっても、そんなしょうがないと思うだけの理由は沢山ある。しかし、その理由に打ちのめされるのか、それとも無視して夢の設定で今の現実を生きることを決めるのか、どっちの方が面白いのかを考えて選択してみると、今より少しだけましな時代を生きることが出来るのかも知れない。

さて、夢の人生を設定してみるか。

~fin~

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