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凄腕の素浪人は正義の味方か? 「用心棒」(1961年)「椿三十郎」(1962年)

1962年1月1日、黒澤明の映画「椿三十郎」が公開された。完成が遅れて元旦の封切りになったという曰く付きの正月映画である。

この映画の正編にあたる「用心棒」が公開されたのが前年の4月25日だから、「椿三十郎」はそれから8ヶ月あまりで公開されたことになる。撮影期間も3ヶ月と黒澤映画としては異例の短さである。「用心棒」も3ヶ月で撮り終えているから、この頃の黒澤はとにかく早く作ることを心がけているようだ。なにしろ数年前に自分の映画制作会社を立ち上げたばかりなのだ。

だからといって、やっつけ仕事などではない。むしろキャラクター造形から衣装デザイン、殺陣まで、それまでの時代劇の決まり事をことごとく覆す作り方をしており、それでいながら理屈抜きに面白い。短い期間でこれだけの作品を作ることができたのだから、この頃の黒澤は気力・体力とも充実していたに違いない。

僕が最初にこの2本を見たのはいつだったか。1980年4月に2週続けてフジテレビのゴールデン洋画劇場で放送されているから、おそらくこの時ではないかと思う。その頃の映画番組は、2時間の放送枠に収めるため尺を短くしたり、4対3の画面サイズにトリミングしたりするのが当たり前だったが、黒澤は放送にあたってノーカット、ノートリミングを条件にしたという。いかにも完璧主義者の黒澤らしいエピソードだ。

「用心棒」劇場公開時のポスター

ただし最初に見た時から気になっていたことがあって、なぜ三船敏郎演じる浪人はふらっと立ち寄っただけの宿場町の人たちを助けるのか、なぜ行きずりの若侍たちの助っ人を買って出るのか、そこがよくわからないのである。

「用心棒」は、主人公の桑畑三十郎が、宿場町で対立するヤクザ同士を争わせて双方共倒れに追い込む物語だが、映画の後半、一方のヤクザの用心棒におさまる。しかし、それはこの組に囚われている女性を救い出すための見せかけで、三十郎は凶悪な侠客たちを欺くという危ない橋を渡ることになる。

また「椿三十郎」は、藩上層部の腐敗を正そうとする若侍たちの密談をたまたま聞いてしまった三十郎が、危なっかしくて見ていられないという理由だけで半ば強引に仲間に加わり、彼らと行動を共にする。やがて正体を悟られてないのをいいことに、敵方の参謀格の侍に近づいて内情を聞き出し、若侍たちにその情報を流す。

どちらの映画も結局、企みが露見して三十郎は窮地に陥る。話の運びが巧みなので、見ている最中はそれほど気にならないのだが、よく考えると、見ず知らずの他人のためにそこまで体を張る必要はない。

いったい三十郎とはどういう人物なのだろうか。二人の三十郎は同一人物のようでもあり、時代設定が異なる別人のようでもあり、その辺ははっきりと描かれない。しかし、身なりや行動の描写はほぼ同じで、はかりごとに優れる知謀家であり、口は悪いがユーモアがあり、強きをくじき弱きを助ける正義漢。それでいて素性の知れぬ風来坊であり、さらに刀を抜けば一瞬のうちに敵を倒す凄腕の剣客でもある。

一言でいえば全能の超人的なキャラクターだが、この人物像がどのように作られたのかと言えば、おそらく「七人の侍」(1954年)まで遡る。この映画には個性豊かな浪人たちが登場するが、知謀家は志村喬の勘兵衛、凄腕は宮口精二の久蔵、ユーモアは千秋実の平八、正義漢は木村功の勝四郎、口の悪さと風来坊は三船の菊千代にそれぞれ由来しており、三十郎はいわば七人の侍を混ぜ合わせたキャラクターとなっている。

主人公が浪人という設定は黒澤好みだが、おそらく黒澤自身の体験から来るものだろう。「七人の侍」は、1948年に東宝を離れ、大映、新東宝、松竹で撮ったのち、1952年に古巣へ復帰した経験を反映しているだろうし、「用心棒」「椿三十郎」は、1958年末に東宝との契約が切れて黒澤プロダクションを設立した経緯を反映しているに違いない。

浪人とは何かを辞書で引くと、古くは本籍地を離れ他国を流浪している者という意味で、戦国時代や江戸時代になると、主家を自ら去ったり失ったりした武士のことを指す。まさに黒澤の人生そのものではないか。「用心棒」「椿三十郎」の主人公が超人的な浪人である理由は、黒澤が自らを重ね合わせているからにほかならない。

「用心棒」でヤクザ一家同士の決闘を櫓の上から歓声を上げながら見物する桑畑三十郎は、ヤクザが大嫌いと公言する黒澤そのものである。しかし、三十郎がなぜ人助けをするのかについて、劇中ではほとんど描かれない。

それは説明不足というよりも、意図的に描いていないと言った方がよい。「用心棒」の設定がダシール・ハメットの小説「血の収穫」を参考にしていることはよく知られた話だが、人物の描き方においてもハードボイルドの手法が用いられており、心理ではなく行動で描写することが徹底されているのだ。

黒澤は自ら「用心棒」を娯楽映画として割り切って作ったと語っている。そこから想像すると、娯楽映画だから難しいことは考えないで、正義感を主人公の行動原理として打ち出せばよい、と判断したのかもしれない。

侍らしからぬ風来坊なのに、超人的な強さと純粋な正義感。このようなキャラクターは「用心棒」以前には存在せず、黒澤が生み出したオリジナルだと言える。しかしその後、黒澤は同じタイプの主人公は描いていない。また他の映画会社も、「用心棒」「椿三十郎」の後追いとなる時代劇は作っていない。黒澤と三船のコンビ以外にこんな映画は作れない、と言った方が正しいかもしれない。

「椿三十郎」劇場公開時のポスター

こうして60年代初めに一世を風靡した、超人的な風来坊の系譜は途絶えたかに見えるが、数年後まったく違う形で復活する。それは何かというと、1966年に放送が始まる特撮テレビ番組「ウルトラマン」である。

時代劇と特撮、映画とテレビはまったくの畑違いではないかと言われそうだが、まあ聞いてほしい。まずウルトラマンは、第1話で正体不明の怪人として地球に流れ着く。その時点ではっきりとした名前はなく、M78星雲の宇宙人としか名乗らない。そして縁もゆかりもない地球人を助けて怪獣と戦うのだが、これが滅法強いのである。流れ者で、名前がなく、正義感が強くて、腕が立つ。まるで三十郎のようではないか。

つづく「ウルトラセブン」(1967年)の第1話、主人公が初めて登場するシーンには、さらに興味深い台詞がある。ウルトラ警備隊の前に突然現れた主人公は、「君はいったい何者だ?」と問われて、「ごらんの通りの風来坊です。名前? そう、モロボシ・ダンとでもしておきましょう」と答える。このやりとりはあたかも「用心棒」のようであり、三船敏郎が「俺の名前は桑畑三十郎。もうそろそろ四十郎だがな」「まあ、桑畑三十郎でよかろう。どうせ、どこの馬の骨かわからん奴だ」と答えるシーンにそっくりである。

当時、円谷プロダクションの文芸部長を務めていた脚本家の金城哲夫は、明らかに三十郎的なヒーロー像を念頭に置いて、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の第1話を書いている。巨大怪獣が毎週現れて、それを身長40mの宇宙人が迎え撃つという、前代未聞のテレビシリーズを企画するにあたって、数年前に大ヒットした超人的な侍の物語を参考にしたとしても何ら不思議ではないだろう。

三十郎シリーズやウルトラシリーズは、基本的には勧善懲悪のストーリーに、従来の時代劇にはないリアリティあふれる殺陣、劇場映画のクオリティに迫る特撮を持ち込んだことで成功を収めた。人々が困ったときに風来坊が颯爽と現れて、悪い奴を片付けるというご都合主義の塊のようなストーリーでも、殺陣や特撮の目新しさがそれを忘れさせるのである。

しかし時代と共に、ヒーローが人助けをするのにも、敵と戦うのにも、それなりの理由付けや人物像の掘り下げが必要とされる。1972年のテレビ時代劇「木枯し紋次郎」は、紋次郎が「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言いながらも、厄介な事件に関わっていかざるを得ない展開が視聴者の共感を呼んだし、1971年の「仮面ライダー」は、シリーズを通した敵として世界征服を狙う秘密結社ショッカーが設定され、主人公はショッカーによって改造人間とされながらも、そこから脱走し、人間の自由のために同族の改造人間と戦う設定となっている。

このように70年代になると、単純明快な善悪二元論で物語を描くことが難しくなり、純粋な正義感だけで人々に味方するヒーロー像は徐々にリアリティを失っていく。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の金城哲夫も、シリーズの中盤や終盤に差しかかると、単なる怪獣退治のストーリーではなく、「恐怖のルート87」「まぼろしの雪山」「ノンマルトの使者」のように、ヒーローが怪獣と戦う意味そのものを問い直す脚本を書くようになる。

それにしても三十郎は、本当に純粋な正義感だけで行動していたのだろうか。彼の言動をよく観察していると、正義感の裏側に、止むに止まれぬ衝動のようなものが見え隠れするシーンがある。

たとえば「用心棒」で三十郎が女性を救い出し、家族と共に逃がそうとするときのこと。いつまでもお礼を言って土下座までしている家族に向かって、三十郎は「やめろ!おれは哀れなやつは大嫌いだ!メソメソしてやがると叩っ斬るぞ!」と叫ぶ。また「椿三十郎」のラストでは、敵方の参謀だった侍を斬ったあと、その死体を前にして「こいつは俺にそっくりだ。抜き身だ。こいつも俺も鞘に入ってねえ刀だ」と吐き捨てる。

実のところ三十郎は、弱い者が大嫌いで、人を踏みつけにしてでも欲しいものを手に入れる、抜き身のようにギラギラした人間なのではないか。そして、彼はそのことをよく自覚しており、そんな自分に嫌気がさし、何もかも放り出して放浪の身となったのではないか。

もしそうだとしたら、三十郎が無償で、自分の命も顧みず人助けをしようとする理由が見えてくる。つまり、三十郎は自分自身の弱さと戦うために悪人と戦っているのだ。そうやって、己の中に棲みついている悪を押さえ込もうとしているのだ。

映画の中ではそこまでは描かれない。だから三十郎が人助けをする理由がわからないのだ。しかし黒澤は、そんなことは見る人に伝わらなくてもいいと思っている。なぜなら、これが勧善懲悪の娯楽映画だからだ。そして当時の観客も、それをよしとしたのだ。

もちろん、この推測が的を射ているのかどうかは定かでない。はっきりしているのは、黒澤明がその後同じような映画を撮らなかったこと。それとは対照的に三船敏郎は、その後も望まれるままに「座頭市対用心棒」(1970年)、「待ち伏せ」(1970年)などの映画、「荒野の素浪人」(1972年)などのテレビシリーズで、三十郎を彷彿とさせる浪人を演じ続けたことだ。

正義の素浪人は、三船の生涯の当たり役となった。しかしそれらの作品群も、今では「用心棒」「椿三十郎」以外は忘れ去られ、時代に埋もれてしまっている。でも、僕はそれで良いと思っている。やはり三十郎というキャラクターは60年代の空気の中にしか生きられないのである。

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