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アルゼンチンでのこと

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2016/10-2017/8 ブエノスアイレス滞在(文化庁芸術家研修制度) 2019/8 「バルパライソの長い坂をくだる話」東京公演のリハーサルのためブエノスアイレスに2週間滞在
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8.9〜8.13

滞在9日目。今日もリハーサルは通し。昨日よりよくなっている。ぼくのコメントも具体的、かつ細かい修正になってきて、あとはうまくキャストが乗ってくれるようにサポートするだけ、、、とはなかなかいかないけど、すくなくとも初演よりは安定感、深みとも増しているはずだ。
リハ後は、チラの車でエドゥと3人でドライブして、そのあとまた肉を食べに行った。そのあと、前に住んでいた家まで行って、そこに住むベネズエラ人の友

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8.5〜8.8

毎日リハ。
リハの様子を写真に撮ってSNSでシェアしてもらいたいとプロデューサー(舞台制作者)に言われたものの、
なにせ、衣装もなく、セットもないから、写真を撮っても代わり映えしない。さらに、スタッフ陣が来ているわけでもないので、リハをしながら演出家としての本来の仕事のほか、セリフのチェックやら音響操作やらも同時にやらなくてはいけないという状況で、
ようするに写真はすぐに撮らなくなってしまったよ、

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8.2〜8.4

2日目、リハ初日。ピロヤンスキーとも再会。
ざっと流してみたいが、すぐに止まるので初演の映像を見ながら確認作業。時間が経過しているのでしっくり来ないところは、なるべく引き算してから足すこともしてみようと思う。
リハのあとに、エドゥとフロリダ通りに両替に行く。人が多い。前に使ってたところが見当たらないので、適当に路上の人間に声をかけて両替をした。2年前に比べて、ペソの価値が1/3くらいになっていて心

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2017年ぶり

約2年ぶりにアルゼンチン、ブエノスアイレスに来た。

7月は2週間、ペルー、リマの祖母の家に泊まっていて、そこから5時間のフライト。日本は猛暑らしいがこちら南半球は冬。リマも寒かったがブエノスアイレスはもっと寒い。マフラーをしても寒い。東京の12月くらいの感じ。

エセイサ国際空港に着くと、ターミナル内が新しくなっている気がした。「バルパライソ〜」の出演者で主役のチラが迎えに来てくれた。会うのは2

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某氏へのメッセージ10

1月24日

2014年にドイツのマンハイムで見た "ESCUELA" の作家 Guillermo Calderónの新作である"Mateluna"を、サンティアゴ・ア・ミルで見た。

その作品は "ESCUELA" の後日談のようなものだった。
"ESCUELA" は80年代のチリにおける、反体制左翼ゲリラの養成所を描いたもので、皆々が覆面をしてお互いの顔も名前もわからないまま、ゲリラになるため

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某氏へのメッセージ⑨

1月18日

毎日、ここサンティアゴで舞台作品を見ている。
ほとんどの作品はオールドファッションといったところで、だから失望している。
「けれども、オールドファッションのなにがわるいのか?」

今日はコロンビアからの作品を見た。やっぱりオールドファッションだ。でもおもしろかった。ひとりの男の死とその家族の話。
ストーリーはとてもシンプルだった。観客はたくさん笑い、感動していた。
そういう彼ら観客を

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某氏へのメッセージ⑧

1月11日

ブエノスに来てからの2ヶ月は、かならずしもいいものではなかった。
だが不思議なことに、どこか別の場所に行くとき、ブエノスが恋しくなっている。
住めば都。
それに日本の多くのニュースはギスギスしているように見える。いま。ぼくには。
明日は大規模な舞台芸術フェスティバルを見るために、チリはサンティアゴに飛ぶ。帰りはバスで30時間くらいかけて帰ってくるつもりだ。
人生山あり谷あり。
今年は

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某氏へのメッセージ⑦

12月27日

ある町にて。
年末のにぎやかな人混み、強い日差し。果物や雑貨、乾電池などが積み上げられ、並べられているセントロを歩いて、かつてそこにやってきた異邦人のことを思う。
観光地ではないその町の、すぐ近くに国境はある。
人間には移動するということが遺伝子に組み込まれているのだろう。人の行き来がその町の活気を支えているように感じた。そして街角や店の前には、マシンガンを持った警官やガードマンが

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某氏へのメッセージ⑥

12月20日

ブエノスアイレス*には、おおきくわけて2つの日系コミュニティがある。と、"Bonenkai"に行ったときに、沖縄系の移民者からそれを聞いた。

ひとつは沖縄系移民で、彼らは長い歴史を持っている。もういっぽうは、「内地」出身で、沖縄系コミュニティよりも新しいひとたちだ。沖縄系のひとたちの多くは、ペルーやブラジルのそれとおなじように、第二次世界大戦の影響もあって、日本語を話さない(話せ

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某氏へのメッセージ⑤

12月13日

「日本食を食べに行きましょう」
と彼に言いました。
それから、わたしたちはサンクリストバルにある「カサ・ハポネサ」に向かいました。ラーメンを食べさせようと思っていました。
けれども、彼の家系はイランの出身で、そのためなのでしょうか。豚肉が食べられないということでした。
彼は焼鮭定食を食べ、こんなにうまい日本食はいまだかつて食べたことがないと言いました。
わたしはうどんを食べました。

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某氏へのメッセージ④

12月7日

地下鉄によく乗る。ブエノスアイレスの地下鉄は、SUBTEと呼ばれている。
「SUBTE」なんだか奇妙な響きがする。
SUBTEや電車やバスに乗るのには、「SUBE」というカードが必要である。これも奇妙な響きの名前だ。意味はいつかわかるだろう。

この一年、スペイン語圏、フランス語圏、英語圏に行った。そのすべて、アルファベットの組み合わせでことばをつくっている。
それではバリエーション

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某氏へのメッセージ③

11月28日

今日28日は祝日でどこにも行かなかった。昨日の日曜日もどこにもいかなかった。
日曜日は、家族で過ごす日。おなじく祝日も。だからどこにもいかず、誰にも会わなかった。(ハウス)シェアメイトともほとんど会話せず過ごした。
そして、ASKA逮捕のニュースと「君の名は。」のことと投票の権利と義務について考えていた。今日は「国民主権の日」という休日らしい。

ここでは、中流階級と下層とホームレ

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某氏へのメッセージ②

11月21日

家の近くに、日系のレストランがあると知って、日本食が食べたいぼくは行ってみた。が、夕食を外でひとりで食べるのはさみしいな、なんて思ってた。

そこは日系会館併設のレストランで、入るか入らないか迷っていると、奥のほうから剣道の音が聞こえてきた。会場のドアがわずかに開いていたので、覗き見する。
すると10人くらいのアルゼンチン人が、コテ!とかメン!と元気よく竹刀を振っているので、時間も

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某氏へのメッセージ①

11月14日

あたらしい人たちと会うときはいつも、
彼たちはキスとハグをしてくれる。
ぼくはいつもわずかな期待と静けさと、貧しい言葉を持つ。

腹がへったときはいつも、
築116年のバルコニーで、アリが朝食に好む牛乳入りのタバコを吸う。
アリが寄ってくる。

夜になると、人妻たちがブラウンカラーの通りに出てくる。
叔父はばかみたいな言葉を吐くのをやめないので、
ぼくがじつはばかなんじゃないのかと

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