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運命の白い靴下  SS0006

ブラックデー(韓国の記念日) 2018/4/14

「おい、キム、除隊後に一番大切なものは何だと思う」
 来月ようやく兵役が終わる俺の問い掛けに、目の前のキムは、黒いチャジャンミョンを勢いよくすすった。
「うーん、一人で過ごせる空間っすかね」
「馬鹿、そんなのは軍隊以外では当たり前だ。何で今日俺たちは、貴重な外泊の日に、野郎二人でチャジャンミョンを食ってるんだ」
「イ兵長が、奢ってくれてるからでしょ」
「いいか、言いたいことは二つだ。一つ、娑婆では階級を呼ぶな。二つ、今日はブラックデーだ」
 ブラックデー──バレンタインデーやホワイトデーで恋人ができなかった独り者が、黒い服を着て黒い飲食物を食べてお互いを慰め合う記念日だ。いつの間にか、独り身の合コンのような出会いの場になっている。
「んなこと分かってますよ」
 俺もキムも、黒の長袖シャツ、黒いジーンズ、黒靴、全身黒ずくめだ。キムは似合わないサングラスまで掛けている。周りにもちらほら、同じような黒服の男女の姿が見える。
「あ、イ兵──先輩、靴下が黒じゃなくて白じゃないですか。だっさ。駄目っすよ」
「これは願掛けだ。もし白い靴下の人が……。それより貴様、知り合いの女性を紹介してくれると言っただろう」
 だからこそ、今日は恥を忍んでこんな恰好をしているのだ。
「あー何か、みんな都合が悪くて」キムは悪びれるそぶりも見せず、たくあんを口に運ぶ。
「姉貴(ヌナ)じゃ、駄目っすか」俺は不細工──いや少し造形不足のキムの顔をじっと見た。
「それよりイ先輩は、軍に残らないんすか」
 不服そうな声が返ってくる。
「馬鹿野郎、ようやく地獄の21か月が終わるのに、何でこれを一生続けなきゃならんのだ。俺は復学して学生生活をエンジョイするんだ。だから、彼女が絶対に必要なんだ」
「えー、イ先輩の射撃の腕は、誰よりもすごいじゃないっすか。親父(アボジ)が自分の部隊に引き抜きたいって言ってますよ」
 こいつの父親は職業軍人で階級は大佐、連隊長をやっている。
「貴様が行け。射撃の腕はそこそこだろう」
「いやー、軍人なんてまっぴらっす」
「俺だってそうだ。青春を楽しみたい」
 その後、ブラックコーヒーを胸焼けするまで飲み、黒服の女性に声を掛けたが、全敗だった。イカスミパスタを山ほど食べ、コークハイを浴びるほど呑んだが、結局無駄だった。

 俺は酔いつぶれたキムを、実家まで送るはめになった。ついていない一日だった。悪態をつきながら、キムをタクシーから降ろした。
 キムの家の前には、心配で出迎えに来たのか、黒いワンピース姿の女性が立っていた。
「弟がご迷惑をお掛けして申し訳ございません」丁寧に頭を下げた彼女を見て息を呑んだ。
「姉貴(ヌナ)、このお方が、イ兵長殿であります」
 おどけて敬礼をするキムを支えていた手を、離してしまった。口が半開きになる。理想の女性が目の前に立っていた。
「……おい、キム。お前のことを、弟と呼んでもいいか」
「あ、駄目っす、姉貴(ヌナ)は──」キムはろれつが回っていない。
 俺は姿勢を正し敬礼をした。
「私(わたくし)は、イ・ヨングと申します。キム1等兵には、いつもお世話になっております」
 口元に手を当てて笑う彼女の靴下は、白だった。これは運命──いや宿命ではないか。
 俺は思いきって声を掛けた。
「あの……よろしければ、コーヒーでも飲みませんか」
 玄関で座りこむキムを残し、笑顔でうなずく彼女と一緒に、近くの喫茶店へと向かった。

 キムの力のない呟きだけが、残された。
「……あ、イ兵長、姉貴(ヌナ)は、親父(アボジ)のような立派な軍人の妻になるのが、夢っすから──」

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!