明日の全集を探せ

(2007/12/07記)

W   読書の楽しみの源泉を探るのに最も手軽で確実なのは「全集を読むことだ」と喝破したのは、生前に四度も全集を出した(笑)小林秀雄ですが、今回はこれから全集の出そうな著者、あるいは出して欲しい著者を考えようという趣向です。

Q   最近、印象に残る個人全集って少なくなったねぇ。

W   今年は『網野善彦著作集 全18巻+別巻1』(岩波書店)と『阿川弘之全集 全20巻』(新潮社)の完結がありましたけれど、たしかに大物の話は年々聞かなくなりますね。

Y   全集というフォーマットの限界もあるんじゃないですか。それとも全集をまとめるに値する著者がいなくなったのか。

Q   手間と売れ行きを考えれば『漱石全集 全18巻+別巻1』(岩波書店)みたいに断簡零墨まで集めるのは難しくなってきてるだろう。

Y   いまどきの著者はみんなメールですからね。それに手紙の端々まで読みたいと思わせる著者なんかそういませんよ。

W   その意味でも、全集に続けて『丸山真男座談 全9巻』(岩波書店)や『丸山真男講義録 全7巻』(東大出版会)、『丸山真男書簡集 全5巻』(みすず書房)まで出た丸山さんは偉大だったということでしょう。

Q   さて、これから全集の出そうな人、ってことなんだが…。

Y   上野千鶴子さんは堅いでしょう。なにせ根強いファンが多い。

Q   中沢新一も当確だろう。

Y   柄谷行人さんは岩波から『定本柄谷行人集 全5巻』が出てるんですが、あれは日本語以外に翻訳された著作・論文のみ集めたもので、彼の仕事の全体像というわけじゃない。決定版の刊行を希望します。

W   英文学だと高橋康也さんはいけませんか。

Q   訳業も多いから全体像の見せ方は難しいだろうけどな。英文だったら今年話題の由良君美はどうなの?

Y   高山宏さんと四方田犬彦さんを監修に迎えてね(笑)。ぜひ読みたいけれど、まず無理でしょう。なにしろ著作らしい著作が数えるほどしかありませんから。

W   浅田彰さんや佐藤誠三郎さんみたいなものですね。

Q   むしろ高山宏のほうが期待できそうだ。凝った造本装丁で。

W   幻想文学では澁澤龍彦さんの全集が群を抜いています。『澁澤龍彦全集 全22巻+別巻2』と『澁澤龍彦翻訳全集 全15巻+別巻1』(ともに河出書房新社)。さらに『ビブリオテカ澁澤龍彦 全6巻』『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 全10巻』(ともに白水社)という選集もあります。

Y   由良、澁澤と来れば種村季弘さんだけれど『種村季弘のラビリントス 全10巻』(青土社)、『種村季弘のネオ・ラビリントス 全8巻』(河出書房新社)はテーマが絞りこまれすぎていて彼の仕事の全体像が見えない。これも決定版希望です。

Q   英文でも翻訳をテーマに選集を編むとしたら柴田元幸か?

W   イタリアから河島英昭さん、ドイツから池内紀さん、フランスからは鹿島茂さんの全集なんていいんじゃないでしょうか。

Y   それぞれの作品に文句はないけれど、ほぼすべての本が現役で売れ続けている書き手だから、大きな著作集にして売れるのかっていう問題はあるなぁ。

W   あくまでも先々の話だから(苦笑)。

Q   政治経済方面だと誰が来そうだ?

W   政治外交史だと北岡伸一さんと五百旗頭眞さんはいいんじゃありませんか。

Q   時代状況の動きもあるし、史料の公開が進むジャンルは確固たる分析枠組みが提示できないと厳しいよな。

Y   でも、この分野には結構、全集あるんですよ。丸山さんを除いても『南原繁著作集 全10巻』『岡義武著作集 全8巻』『坂本義和集 全6巻』(ともに岩波書店)、『橋川文三著作集 全10巻』(筑摩書房)、『高坂正堯著作集 全8巻』(都市出版)。

W   猪木武徳さんや岩井克人さんあたりは、こぢんまりしていますがきちんとした著作集が出来そうな気がします。

Q   専門が経済思想や経済史というのは強い。たくさん本を出していても変動の激しいテーマを扱う研究者が全集に向かないのは政治も経済も同じだろう。

W   普遍性だったら美術史なんてどうです。阿部謹也さんに続いて樺山紘一さん、いいじゃありませんか。

Y   著作もかなりの数だし、ルネサンスを中心とする研究に大きなストーリーが組み上がってるから全集にしやすそうですね。

Q   美術関連で思い出したが、じつは美術史家の高階秀爾、それに比較文学の平川祐弘と芳賀徹は、小学校のときまったく同じクラスだったんだ。

W   それは凄いクラスですね。

Q   それだけじゃない。なんと日本中世史の石井進も同じクラス。

W   一教室から東大教授が4人出たんだ、その小学校(笑)。

Q   ところが4人のうち全集があるのは石井のみ。石井には『石井進著作集』[全10巻](岩波書店)と『石井進の世界』[全6巻](山川出版社)がある。

W   不思議ですね。高階、芳賀、平川のお三方は著作も多いし、とっくに選集の一つもあって不思議のない重鎮ですけれど。

Q   年代は上だけれど秋山光和なんかも当然、著作集があっていい人だけど、もっと作品があればなぁ。

W   五味文彦さんはいずれ出るでしょう。網野善彦以降、最大の日本中世史家ですから。

Y   山内昌之さんや今谷明さんも、しっかりした全集になりそうな著者ですけどね。

Q   哲学だったら野家啓一と木田元か?

Y   野矢茂樹さんもいます。鷲田清一さんもいずれは。

W   文芸・ノンフィクションだと誰?

Q   宮部みゆき(笑)。将来的には山本一力や北村薫なんかもありそうじゃないか?

Y   京極夏彦も放っておかれないでしょう。北方謙三さんはハードボイルド、日本歴史、中国歴史で三つの選集が出来ますよ。あ、危うく村上春樹さんを忘れるところだった。

Q   猪瀬直樹と沢木耕太郎は選集が出たけど立花隆はまだないよな? 

Y   佐野眞一さんと柳田邦男さんもまとめたら読み応えあると思います。

W   さて、では私的ベストを挙げてもらいましょうか。

Q   一人に絞るのは無理だから三人挙げさせてもらおう。まず出て欲しいといえば近世文学の中野三敏だな。もう一人、国語学の大野晋もまとめて欲しい。それから谷沢永一の書誌学論選集。どれもいい仕事だろう。

Y   僕は荒俣宏さんの仕事をすべて豪華愛蔵版で(笑)。図版はすべてカラー。もちろん『ファンタスティック・ダズン』(リブロポート)も収録。いくらかかるんだ(笑)。

W   私は二〇〇七年になくなった『14歳からの哲学』(トランスビュー)の池田晶子さんですね。

Q   じつは欧米では著者の死後一〇〇年、二〇〇年経って、後世の研究者のためにまとめるのが全集という認識なんだよな。だから日本のように著者が亡くなって数年、まして当人が生きているうち出すなんてあり得ない。

Y   日本のある出版社がルイス・キャロルの全集を作ろうとしてイギリスの出版社をリサーチしたら、逆に「それは世界初の試みなので、出来上がったら是非購入したい」って言われたそうですよ(笑)。

W   たしかに世界的に見れば日本の個人全集というのは特殊な出版形態ですね。ただ、こういうものが相当数出ていて、しかもある程度は売れてきた日本っていうのは、やはり凄い文化ですよ。

Q   出版界の先行きのためにも、こういう文化をもう少し大事にしないといけないのかもしれないな。

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