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かみや園+について

お茶を作ることになった経緯

私は実家がお茶屋(問屋)という環境に生まれました。小さい頃から、朝10時と昼の3時は家族でお茶の時間。うちの合組(ブレンド)の煎茶を飲み、ごはんの時間はほうじ茶を飲む家でした。
当時は茶工場があり(私が中学生の頃道路になりました)仕上げや焙じなど祖父がやっていました。
洗濯物はいつもほうじ茶の香りがしていました。

ただ、私はお茶に全く興味がなく、絵を描くのが好きな子どもでした。
なので、高校卒業後は大阪の美術の学校(イラスト専攻)に進みます。
その後はデザインの仕事を10年ほど経験し、食べ物への関心から環境問題に目覚めパタゴニアに入社しました。その間に友人に誘われ、奈良の茶農家さんのところへお茶摘みに行き、そこでお茶のおもしろさに目覚めます。
当時京都に住んでいたのですが、毎月何日間か奈良へ通ってお茶作りのお手伝いをしていました。
並行して、野草料理教室に通っていました。そこで食養や陰陽についても学びます。元来面倒くさがりの私は野草を料理するのは、その時は楽しいのですがアク抜きやらなんやらの手間をなかなか家ですることが出来ず。そんな時に食べれる野草は全部お茶になるよと聞いて、野草茶作りを趣味でやっていました。
紫蘇茶を飲んで、鼻炎の症状が改善されたことも相成って、いろんな野草茶の効能を調べたり、ブレンドして飲んでいました。
そんな時、友人から茶農家さんが手が回らなくて一年くらい放ったらかしになっている樹齢100年の在来の茶畑を一緒にやらないかと声が掛かります。
まずは荒れたその茶畑を整備するところから。1年と言えど、放置されていた茶畑の整備はとても大変でした。とにかく草との戦い。
でも友人との作業は大変だけどとても楽しいものでした。
奈良のその地域で昔から家庭で作られていたはーばん(天日干しの春の番茶)というものがあり、地域のお年寄りから聞き取りをして再現するということもしており、友人からはーばんを商品化しようと言われます。その時、はーばんと野草をブレンドして飲んだりしていることを話していたので、野草とはーばんの商品も作らない?と打診されました。
私は元々とても自信のない人で、その時も色々出来ない言い訳を並べてはーばんだけ作ろうと言っていました。
それを受けて友人が「お豆ちゃん、いっつもそうやって言い訳してやらないでしょ!」と一喝。
ぐうの音も出ないとはこのこと。私は昔からそうでした。イラストだって、本当はこういうことがしたい、ああいうことがしたい、と色々あったのに、美術方面で活躍している友達を横目に、自信のなさから挑戦すらせず言い訳してやらない、他にも当てはまることがたくさんありました。
頭をガツンと打たれる一言でした。
やれる数だけでいいから、やろう!と背中を押され、やるだけやってみよう…とその日からブレンドの割合を考え、野草を採る日々。そしてはーばん作り。
そしたら、できたんです。
これは私の自信に繋がる、私を変える出来事でした。あの友人の一言がなければ、今の私はないでしょう。一歩を踏み出すことは決してなかったです。はっきり言ってくれた友人には今でも感謝しかありません。

島根へ

はーばんと野草はーばんを商品化し、パッケージも作り、お店などにも置いてもらい、という日々を送る中、京都から奈良に通うこと、住宅街に住みながら野草採取すること、に限界を感じていました。奈良に移住するか、島根に帰るか、という思いになっていきます。
都会生まれ都会育ちの旦那に相談するも、田舎は嫌だと難色。
そこから、島根の情報なども集め始めました。
そんな時、友人繋がりで知り合った島根で玄米を麺にして販売する夫婦に、助成金があるから島根でお茶をやらないか?と提案を受けます。ただ、自分の故郷出雲ではなく、今まで足を踏み入れたことがなかった雲南市。
そこから旦那を説得し、島根の移住ツアーなどにも参加し、定住財団や市役所の方に相談し、島根(雲南市)にUターンすることになりました。
助成金のプレゼンもなんとか通り、島根での一歩を踏み出しました。

砂子原茶業組合

市役所の方に自分のやりたいことも伝えていたので、移住ツアーでは私のやりたいことに結びつきそうなところを色々回っていただきました。その中に砂子原茶業組合もありました。
とても大きな茶畑。そして優しげな父親くらいの年齢の組合の方。ここは除草剤とかも使ってないけん、と言われ、当時環境問題にも傾倒していた(今は色々な経験を積む中でそこまでがちがちの無農薬信者ではなくなりましたが)こともあり、砂子原のことがとても印象に残りました。
もう高齢化で人手不足ということもお聞きしました。
市役所の方にも、もし可能なら砂子原で一緒にお茶作りができるといいと思ったとお伝えしました。私1人が入ったところでどうこうなるとは到底思っていませんでしたが、古い茶工場やお会いした組合の方、小さい頃の実家のお茶屋を思い出したということもあったり、なにかピンとくるというか、ここで私もお茶作りができたらと自然と思ったのでした。
雲南市に移住して、市役所の方から砂子原の方も後藤さんのことどうされるのかなぁと気にされてたよと言われ、よければ是非砂子原で一緒にお茶の作業がしたいと言って、私の島根でのお茶作りがスタートしました。
春は煎茶、秋は番茶、とお茶作りは年2回。他の時期は草取りや整枝などの茶畑の整備作業。
そんな感じで砂子原の作業に私も加わらせていただくことになりました。
私は住居も砂子原ではなく、組合員でもありません。が、急にお茶を一緒に作りたいと現れたよくわからない私を温かく迎えてくださり、みなさんとても優しく、砂子原でのお茶作りは大変なこともあるけれど、とても心地のいい楽しい作業です。

砂子原は50年前に山を切り開き、茶畑に。2箇所大きい畑があります。全部で5haくらいの畑を管理しています。
昔は組合員で区分けして個人で管理し、共同の茶工場で製茶するというスタイルだったようですが、やる人が減っていき、今は組合で全体を管理する形になっています。
とは言え、少数気鋭、やはり全てには手が回らず、放棄されている場所もあります。

茶刈りをした茶葉は工場に運ばれ、煎茶や番茶の荒茶に加工されます。

組合員の方も個性豊かな面々で、とてもおもしろい。またそういったことも綴っていこうと思っています。

野草番茶

奈良でやっていた野草はーばん。
友人が、これは私とお豆ちゃんの友情やから、と言ったお茶。島根に帰っても、島根の野草とはーばんとで野草はーばんは続けていこうと思っていました。移住一年目は野草はーばんを作り、置いていただいていたお店などにも卸していました。
がしかし、ほどなくして、友人が茶畑でスズメバチに5回目に刺された際、呼吸困難に陥り、もう茶畑を続けていくことが出来ない(特に秋は茶花を求めてスズメバチがたくさん茶畑にいます)ということになってしまいました。
野草はーばんと並行して、島根でも野草と砂子原の番茶のブレンド茶を作り始めていました。
野草は自分の家の敷地を始め、自然豊かな雲南市にはスポットがたくさん。だいたい毎年同じ場所で採っています。桑の木がたくさんある知り合いの敷地や、友達の家の敷地にある山椒なども、お願いして毎年採らせてもらっています。
1人でやっているとは言え、本当にたくさんのひとのご協力のもと、野草番茶は出来ています。
栽培が必要なものは、県内県外の農家の友人に育ててもらっています。

野草はーばんは10種類くらいの野草とはーばんのブレンドでしたが、こちらでは、ブレンドの野草をもう少し絞り、香りの特徴を分けて4種類の野草番茶を作りました。
今も続いている「ひ、ふ、み、よ」です。
すごく開発に試行錯誤して…と言いたいところですが、実はほぼ全て一発でできたブレンドです。
こればっかりは自分でも説明がなかなか出来ないのですが、絵を描く時の感覚と似ていて、これとこれは合う、この香りならこれだと邪魔をしないな、など、配合の割合なども含め感覚的なところでのブレンド。
そして、それを今も続けています。
はーばんも野草はーばんも今はないけれど、形を変えて野草と番茶の商品として、私と友人の友情は続いています。あの日友人のあの一喝がなければ、今の野草番茶もないわけです。

その後は砂子原の煎茶と西洋ハーブのブレンドのsuuhaa、冬は冬季限定の野草番茶Huyu-dokiなど、ブレンド茶を中心に作っていました。

発酵茶

島根に来て2年目くらいから、手摘みの茶葉で紅茶を作り始めました。
砂子原の使っていない茶の木で手摘みをさせてもらえないか、と組合の方にお願いして、手摘み手揉みで釜炒り茶や紅茶を実験的に作っていました。
もちろんもう手元に残っていることはありませんが、その時は紅茶ができた!と嬉しく思って飲んでいました。多分今飲むとあまり美味しくないと思います…。
そして住居にもお茶の木が…!と言ってもお隣の敷地のものですが、古いしもうお茶も作らんけん、使ってもいいよと言われ、畑というほど広くないところですがこちらも手摘みさせて頂くために使わせてもらうことになりました。
こちらは在来種の木。
紅茶作りも毎年続け、1人で手摘みということもあり量産はできませんが、何年かやっていると少しずつ人様に飲んでいただけるものになってきたので商品として世に出しました。
砂子原のやぶきたと在来種をブレンドした形でしばらく作っていました。

烏龍茶

そして2023年の春、烏龍茶作りにハマりにハマる事件勃発です。
某SNSで数年前に知り合った静岡に移住してお茶作りをしている笑美さん。なんだか気が合い、会ったこともないのにとても仲良くなりました。台湾にも住まれていたので、台湾茶について笑美さんに教えてもらったり、茶葉をいただいたりしていました。
笑美さんの手摘みで作る紅茶も烏龍茶も素晴らしく美味しいのです。
今年の春、好奇心で私も烏龍茶を作ってみました。紅茶と比べて、成功と失敗の差が激しい…そしてなんなら失敗の比率が高い。でも成功した時、なんとも素晴らしい香りに辿り着き…
もう芽が摘みたくて摘みたくて寝れないくらいになってしまいました。寝ていても、芽が私を呼んでいる状態に…!
失敗も多くて、しかも多く採れた日に失敗なんてこともよくあり、叩きのめされる日々。
でもうまくいく時、全身がその香りに包まれる瞬間が、たまらなくて…春から秋にかけて烏龍茶作りのことばかり考えていました。
烏龍茶は明らかに在来種がよく、家の在来種と砂子原の加藤さんがお持ちの在来の茶の木で採らせていただきました。
1人手摘み、そして失敗の多さ、で結局うまくできたのはほんの少しになりました。
来年はもう少し進歩したいと思っています。

まとめ

とても長くなりましたが、私のお茶作りはだいたいこんな感じでやっております。
実はブログもやっているのですが(更新頻度はあまりよくないですが)、先日友人からnoteが向いていると思うよと言われ、実はアカウントは2〜3年前に作っていたのですが、改めてちゃんと活用してみようと思いまず書き綴ってみました。
普段Instagramを中心にやっているのですが、Instagramの文章がいつも長めの私。
Instagramの長文は読まれないから、noteがいいのでは?とアドバイスをもらって改めて始めてみました。
今後は日々のお茶作りのこと、思うことなどを綴っていこうと思います。

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