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えらいてんちょうの社会科学


 「えらいてんちょうの社会科学」というタイトルを持つ本稿は、私の友人えらいてんちょう(本名:矢内東紀(やうちはるき)氏 えらいてんちょうはTwitterのハンドルネーム:@eraitencho)が2020年までに発生させて来た社会現象の、私の視点からの参与観察において考えたことを記したものである。えらいてんちょうはしょぼい起業、イベントバーエデン、静止力、ネットゲリラ戦術、しょぼい政党などの概念やプロジェクトを提唱し、実店舗とインターネット・SNSを中心に様々な社会現象を巻き起こした。それらは生まれて数年で、様々な方向へ発展し、また相互に作用しながら拡大して進んだり、または失敗したものもあった。
 彼は彼自身が書いた本を何冊も出して自分の思想と実務を紹介しているが、第三者がえらいてんちょうについての研究をした稿はまだ世に出ていない。そこで、ここでは私が、なぜえらいてんちょうが2020年までに社会的な拡大をし続けられたのかについて、彼の社会科学のありようを私の視点からスケッチしておくことにした。
 本稿を書き始めたのは2020年初頭であるが、年初からのコロナウイルス問題により社会と経済の状況が一変してしまった。地方エデンで閉店・休業する店が出ており、2020年内でしょぼい政党からはえらいてんちょう自身は退き、議員を輩出したが、その政党名を変え、解党した。
 既存の経済主体は全般的にコロナ問題により大きなダメージを受けたが、私が見る所では、2020年以前までえらいてんちょうが培ってきた社会科学とコロナウイルスは特に相性が悪く、彼自身もそれに言及しており、彼の発信や社会活動も長期間止まった。裏を返せば、コロナウイルスの視点からえらいてんちょうの社会科学を観れば、その理論体系が良く見えるという構造になっているという発見もあり、それは興味深い物だった。本稿はそこまでを描写する。
 えらいてんちょうの社会科学の理論と方法は現代日本における社会的協働の一つの叩き台になると私は思う。コロナ後もその価値は失われない。
 本稿は私の参与観察を記したものであり、その表現方法自体はノン・フィクション、ドキュメンタリーである。そういう物としてお読みいただければ幸いである。
 えらいてんちょうはコロナ以前の現代日本社会に、何を見ていたのだろうか?

Ⅰ.えらいてんちょうの社会科学



1.就活ぶっこわせデモ(2011)


 えらいてんちょうの始まりは左翼である。彼の本名は矢内東紀(やうちはるき)だが、20代前半の彼は宮内春樹(みやうちはるき)という名前を名乗っていた。これは彼の左翼としてのゲバネーム(左翼闘争のための名前)だったらしい。
 彼の出自について彼が著書『しょぼい生活革命』の中で公表している所では、彼の両親は東大全共闘の闘士で、東大を離れてからも左翼の団体を維持していた。えらいてんちょうは1990年12月30日、その左翼団体の王子として生まれた。彼は幼少期から彼の親の左翼団体と共に日本全国を転々とした。団体の構成員は東大卒が多かった。彼は団体の皆の子供として育てられた。彼は物心つくまで実の親が誰なのか知らなかった。
 彼の左翼活動家としての名前が初めに世に知られたのは2011年11月23日(勤労感謝の日)の「就活ぶっこわせデモ」である。これは慶應義塾大学経済学部在学中に新宿で行った、就活生の側からの労働者デモである。2008年のリーマンショックと2011年3月の東日本大震災の影響で大学生の就職活動戦線は壊滅的な状態で、2012年3月の新卒就職者率は63%だった。新卒大学生の三人に一人が就職できなかったのだ。長引く就活で心身を病む学生が続出し、自殺者も出ていた。
 2011年11月26日の就活ぶっこわせデモは当時初めての就活生によるデモという事で注目を浴びた。続いて2011年12月に「就活生組合」を組織し、「経団連会長とサシで話したい」というインタビュー記事がネットに掲載され、岡田斗司夫とニコ生で対談を行い、就活生の代表者として社会的な注目を浴びた。彼の元にはネットを見た若者が集まって来た。しかし2012年の1月に活動の疲労や実家の団体とのストレスが極度に達した彼は電車の中で幻聴を聞き、「預言者」としての自分に目覚めるという教祖化の転向があり、彼は就活ぶっこわせデモ・就活生組合の実行委員を退任した。その後も紆余曲折と失敗があり、数年後彼は公式に自分は預言者ではないと言い、教祖化の転向も終わった。
 えらいてんちょうは労働者の側から社会的な提案をしたわけだが、慶應義塾大学在学中、他にも生活保護の申請の相談や家庭内暴力の被害者をシェルターに連れて行くなど、社会的弱者を助ける活動を個人として行っていた。
 えらいてんちょうが慶應義塾大学を卒業したのは2016年3月の事で、卒業の少し前の時期から、彼は東京都豊島区要町に店を構えた。リサイクルショップ落穂拾(らくすいしゅう)である。


2.店を持つ左翼

(1)リサイクルショップ落穂拾(2015.2016)

 えらいてんちょうの社会科学の基本は店である。えらいてんちょうは2015年10月に「落穂拾(らくすいしゅう)」というリサイクルショップを起業した。彼が語るところによると、慶應義塾大学の卒業が迫り、自分は就職してサラリーマンをやることに絶望的に向いていないと自覚して、何となく店を始めたらしい。彼は朝起きるのが非常に苦手なこと、人に謝るのが病的に苦手なこと、履歴書を書いていたら手が震えてきて就職活動は無理だと思ったことで、サラリーマンは無理そうだなと思ったそうだ。とりあえず店舗物件を賃借し、実家を出るついでに自分の古着やいらなくなった物を店で売ったり、店に舞い込んでくる廃品回収などの仕事をこなして万屋みたいな事をしていたら売り上げが数十万になり、意外と商売ができるのではないかと思った彼は、大学を卒業してそのまま商売人になった。
 落穂拾が通常のリサイクルショップと違ったのは、Twitterで積極的に発信したことだ。赤い循環矢印マークの「リサイクルショップ落穂拾」アカウントがえらいてんちょう本人によって運営されていた。ツイートの内容的に、明らかに宗教系のマルクス主義者が書き込んでいると感じられるもので、政治経済や社会問題についての極論を述べるツイートやレスバトルで度々炎上していた。「車の任意保険なんて入るな。任意なんだから。事故ったら謝れ。」等のツイートが炎上し、落穂拾のアカウントを攻撃する人が増え、また落穂拾のアカウントも他のアカウントを激しく攻撃していた。炎上すればするほど落穂拾のアカウントに興味を持つ人が増え、フォロワーを増やすと同時に、えらいてんちょうは炎上した相手方や引用ツイートでレスバトルに入って来たアカウントに対して「議論しましょう、店で待っています。」とリプライし、ネットから店に人を引っ張り込もうとしていた。
 落穂拾の店内を思い出すと、正にリサイクルショップという感じで、沢山の中古品や廃品でごちゃごちゃしていた。店内には所狭しと物が置いてある。少し普通と違うのは、無職風の若い男性数人が店にいることだった。皆んなスマホを見てTwitterをしたり、あるいは店の中で何もせずうずくまったりふさぎ込んだりしている。えらいてんちょうもずっとPCを見てTwitterをしている。時々客が来て、商品を買って行ったり、カゴにおいてあるゴミではないが売るほどの物でもない無料で持って行っていい物を持って行ったりしていた。廃品やゴミだらけの店の中にはそこに住んでいる人もいて(住人・書生という位置付けだった)、住人は店の中で何がどこにあるのか何でも知っており、えらいてんちょうが外出している時の店番となっていた。
 単純に、社会的に居場所が無い人がここにいるんだなという事が分かった。えらいてんちょうは社会に居場所がない人、例えば就職活動に失敗して行く宛てがない若者や、家庭環境が悪く家に居られない若者にTwitterで声をかけ、店に呼び、役割を与え、一緒に廃品を集め、店でそれを売る。できたお金でまた落穂拾の近くに物件を借りるなどして業容を拡大し、無職で居場所がない人達の新たな居場所を作っていた。新たな居場所というのは、今の要町のイベントバーエデン本店のことだ。彼の周りには社会的に必要とされなかったり、社会的に廃棄された人達が集まっていた。落穂拾は本当に薄暗い社会の片隅だった。これが2015年から2016年の、えらいてんちょうと要町の光景である。

(2)弁当屋とシェアハウス

 えらいてんちょうの現在の実家は弁当屋である。彼の母親が弁当屋の社長なのだ。彼の実家は左翼団体であり、左翼運動の経営でまず大事なのは、衣食住の内、食を確保することだ。彼の母親の弁当屋は池袋の芸術劇場前でよく炊き出しをやっていたらしく、高校生の時のえらいてんちょうのご飯もその炊き出しや弁当だったと彼は述懐している。
 2016年7月、えらいてんちょうの盟友である難民社長が大阪中津で運営していた通称「中津の家」にて、えらいてんちょうは「いま、なぜ、弁当屋なのか」というイベント講演を行った。難民社長もえらいてんちょうの母の経営する弁当屋で働いた経験を持ち、大阪中津で弁当屋を起業した。弁当屋では身寄りのない人に食事を無料で提供する代わりに、店で働いてもらう。店の近接地に安く賃借したシェアハウスも用意し、住む場所も与える。外側に対しては弁当屋だが、内側では設備や建物や労働力の共有が行われる、社会主義の原初的形態であった。
 難民社長による中津の家は内紛によって僅かな期間で経営が失敗したが、彼も落穂拾に本格的に合流し、えらいてんちょうの実家の弁当屋で働きつつ、上記の様に社会に居場所がない人や大都市の中で捨てられた物を集め、リサイクルショップ落穂拾の経営を拡大した。落穂拾にはえらいてんちょうと難民社長の他にも二人のコアメンバーがいたが、その後四人は一旦解散した。
 えらいてんちょうの店舗経営は元々は難民社長の店舗経営術がヒントだった。難民社長は20歳ごろから神戸で家賃数万円のテナントを借りて商業活動をしていた。彼は居抜きでバーのような物件を借り、三宮の広場でゲリラ的なパフォーマンスや鍋などをして人々からの衆知を集め、注目してくれる人と巧みに仲良くなり、彼の店に人を引っ張って行って店を盛り上げていた。難民社長の神戸の店は、あの辺りの左翼の情報センターの様になっていたらしい。えらいてんちょうは難民社長から学び、家賃数万円で店を起業しても人さえ集まれば経営は成り立つことを知った。後にえらいてんちょうは最小限の資金で起業することを「しょぼい起業」と名付けたが、えらいてんちょうと難民社長は最小限の資金で場所を借り、社会に居場所がない人を集めた。えらいてんちょうは2016年頃から店舗経営とインターネット・SNSを掛け合わせて社会的に拡大して行くが、その日本各地での関連店舗の立ち上げや経営を難民社長が奔走して影で支えた。その主な舞台となったのがイベントバーエデンである。

3.イベントバーエデン(2016~現在)

(1)エデン開店とエデン初期(2016.2017)

 イベントバーエデン本店は2016年の6月に開店した。イベントバーエデンは日替わりでバーテンダー(一日店長)とタイトルが変わるバーである。最近ではそのようなバーは増えて来たが、内容的にエデンが際立つのは、一般社会に通用するのとは全く反対の内容のタイトルを冠したバーを日替わりで行うことだ。大卒無職バー、死にたいバー、LGBTバー、最近の政治を語るバー、鬱バー、発達障害バーなど、政治・宗教・ジェンダー・障害のようなキワモノコンテンツをメインに扱う。エデンではドアを開ければ毎日全く世界が違う。エデン自体は左翼から始まったが、内容的な縛りは全く無い。
 今のエデン要町本店は、最初はCafé・Bar・エデンと名乗っていた。エデン初期の様子を記録した物は少ないが、以下、置き物氏の論文「贈与とふるまいが作るネットワーク~イベントバーエデンを例に~」(静岡大学人文社会科学部社会学科、2018)を頼りにしながら私の記憶をも交えて記述することにする。
 エデンは最初は、2016年当時のリサイクルショップ落穂拾のメンバー達が、内輪で集まってカラオケができる場所が欲しいとのことで、そのまま使えるカラオケ機器付きの居抜き物件として今の場所を借りた。開店に必要だった費用はトイレの修理と鍵の交換で5000円程度のみだった。エデンは書生を募集していて、最初は本稿の筆者である私が司法試験の勉強をしながらエデン本店に住むのはどうかという提案があった。当時の私は正にエデンに回収されてしかるべき人間で、社会に迷惑をかけないためにもというえらいてんちょうの配慮だった。検討したが私が関西でやるべき事があったのでその話は流れ、えらいてんちょうの友人の中田考博士が店番に就任した。エデン本店の食品衛生責任者は今でも中田考博士である。
 エデンの日替わりバーにおいては、大卒無職バーが最初に当たった。Twitterでえらいてんちょうが、

「『大卒無職バー』やります。大学出たけど、就職するでもなく、アルバイトしたり、公務員試験受けたり、資格の勉強して、世間に復帰しようと試みるも、うち8割くらいは世間復帰できない人たちだけが来られるバー。大卒ほぼ無職の店長が身の上話聞きます。」

というツイートをしたところ、これが1000回以上リツイートされ拡散した。大卒無職バーには当日30人ほどの客(大卒無職)が来た。何回か大卒無職バーをやると次第に人が来なくなり、次は「死にたいバー」を開催するとツイートしたところ、これも1000回以上リツイートされ、当日も盛況であった。
 この頃のエデンでは障害や宗教などの一般社会では話題にすることが忌避されるテーマのバーが多く、社会の片隅のアンダーグラウンドの様な雰囲気だったが、そこに客として来る者達はアカデミックで知的な背景を持つ者が多かった。東大早慶卒や修士博士持ちの客は多かった。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、などの専門家(博士含む)がエデンに集い世界宗教会議を開催するなど、アカデミックで知的な企画が開催されていた。毛沢東『矛盾論・実践論』の読書会なども開催され、若いインテリが集まって矛盾論のインテリジェンスをどうやって店舗経営に応用するかなどの議論が行われていた。アンダーグラウンドで社会的に何の縛りもない分、自由度の高い企画ができた。また、そこにやって来るような学生の客で学力が高く非凡な者が来ると、えらいてんちょうは奨学金を給付・贈与して学業を応援したりしていた。
 この頃に作ったばかりのえらいてんちょうのTwitterアカウントも過激な発言で度々炎上し、レスバトルを重ね、相手をエデンに呼んで議論して巧みに仲良くなったりして、その様子をツイートしたりしていた。Twitter上でのバトルではあるものの、えらいてんちょうのツイートが非常に論理的でアカデミックだったため、炎上すればするほどTwitter上のインテリ達からは認知されていった。

(2)エデン住人という存在

 エデン黎明期においてエデンの店内を実際に整備していたのは、住人・書生である。エデンには店に住んでいる若者がいた。前述した落穂拾と同じで住人は本当に店に住んでおり、ずっと店に居る。店のジュースやお酒が足りなくなると買い出しに行ったり、近くにあるエデンハウスというエデン関係者が運営するシェアハウスの居間でご飯を分けてもらったりして、暇な時にその日のエデンでのイベントをエデンのTwitterアカウントで告知したり、夜になるとエデンに行ってその日のイベントを聴講したりしていた。エデンの企画の予定や最近のエデンの雰囲気、人気のバーテンは最近どうしているかなど、エデンの事で質問があれば、住人に聞けば大抵何でも答えてくれた。住人はエデンのバーテン候補やエデンの中での人気者のTwitterアカウントも知っており、住人に聞けばバーテンや人気者達のアカウントを見つけてフォローし、その人達の活動の様子も知ることができた。住人は一人の時もあったし、二人いる時もあった。住人は20歳前後で大学を中退した進路未定の若い男性などであった。
 住人は進路に迷っているものの、初期のエデンのイベントは非常に知的でアカデミックなものが多く、住人になれば無料で企画を聴講できるし多様な人々と知り合えるので住人になるメリットも大きかった。住人は日常的にエデンのために買い出しやカギ閉めやその他雑用をやった。えらいてんちょうは住人には賃金を払っていないが、賃金を介さずに対価関係を作れるような状況が出来上がっており、住人はいい働きをした。エデンの住人になる様な若者は自由を好み、縛りを嫌う様な人々だった。賃金を払えばその分の労働をさせてないとえらいてんちょうが損をすることになり、住人をある程度使役して時間的身体的に拘束する必要があるが、エデンはそういう環境ではなかった。また、えらいてんちょうはエデン住人の適任者はTwitterで拾えると分かっていた。Twitterには一般社会では働けない10代20代の精神障害者や発達障害者が沢山おり、何の光も当たらない社会の底辺から抜け出すために何か知的なキッカケをつかみたいと思っている若者は必ずいるからだ。この様に、相手の意思に反せずに、むしろ相手の自由意志で貨幣を介さない疑似的労使関係を作る事をえらいてんちょうは「正しいやりがい搾取」と呼ぶ。
 住人は進路が決まれば住人を引退した。その様な時はえらいてんちょうがTwitterで新たなエデン住人を募集した。賃金や契約に拘束されていないので、住人は自由にエデンから離脱できた。えらいてんちょうがこの様な形でエデンを経営したのは、20代前半の頃にシェアハウスを経営して得た経験と反省があった。

(3)シェアハウス経営の反省と店舗経営

 えらいてんちょうは20代前半に、シェアハウスの経営に参画していたことがあった。2013年に設立した「りべるたん」というシェアハウスであったが、90年代後半から2000年代初期にかけて、大学内の学生会館や古い自治寮がどんどん取り潰され、若いインテリが集まって自由に社会活動をできる拠点がなくなってしまったことへの代替案として、自由に人が来られるオープン・スペースを備えたシェアハウスを立ち上げたのだった。
 しかし社会運動のためにシェアハウスを経営することは、住人と来客の利害関係や資金繰りの面で多くの問題があり、えらいてんちょうは後に撤退した。シェアハウス自体は稼げるものではなく、活動自体が稼げるものでないと持続や発展が難しいと分かった。また、そもそもシェアハウスの来客と住民が揉めてしまってはオルターナティヴなオープン・スペースとして機能しない。
 この問題に対してえらいてんちょうが解決の着想を得た映画があった。「寅さんシリーズ」である。映画の中でとらやは毎日開店していて、かつ店舗の二階に人が住んでいる(いつも店に人がいる)から、フーテンの寅さんがいつでもとらやに帰って来れて、店を起点にして色々な物語が始まって行く。シェアハウスの発展形として、これを自分でやろうと思った。人が住んでいる店こそが、それ自体で経営が持続し、かつ人を集めることができるオープン・スペースを持つ社会形態なのではないかということだ。
 そこで、リサイクルショップ落穂拾とイベントバーエデンは、二階に住宅はないが、店内には住人・書生がいるようにした。住人がいて、たとえ開店時間でなくても、あるいは開店している時はいつでも、ふらっと帰って来る寅さんを迎えることができる。またこれは経済的な観点からも、24時間常に家賃はかかり続けているので、営業時間外にも住人がいてくれれば来客に対応できたり、店の様子を何となくでもいいのでTwitterで発信できたりした方が得という側面もあった。また仮に自分で店舗付き住宅の二階に住んだ場合は、家賃を経費にできてかつ通勤コストもかからず、経営の損益分岐点を低くできるというメリットもある。
 エデンはシェアハウスではなくあくまでも店なので、ジュース一杯のお金を払えばその場に居てよく、逆にお金を払わなければ離脱する自由もあった。エデンは参加と離脱の自由度が非常に高く、多様な人が来るので時々揉め事が起きて出禁騒動はあるものの、その光景をも面白がってTwitterでは自由にシェアされ、エデンは徐々に認知されていった。エデンは20代の若者を中心に出入りする人が増えて行った。エデンは参入の自由度と社会的な拡散性を発揮していくオープン・スペースに成長して行った。

(4)エデンの全国的拡大(2018.2019)

 エデン初期の雰囲気は、怪しいけど楽しそうという事で、Twitter上では次第に人気になって行っていた。2017年末、京都祇園のバー 或いは、「」 (、と「」の位置も含めてこれで店名は正しい)においてえらいてんちょうがバーテンとして、(出張)えらてんバーを開催した。まよえるてんちょう氏がこの時に来店し、自身が店長としてエデン京都をやりたいという事をえらいてんちょうに話した。まよえるてんちょう氏は2018年3月にエデン本店にも来店し、えらいてんちょうにエデン京都をやりたいという事を話し、えらいてんちょうはまよえるてんちょう氏をエデン京都店長に任命した。難民社長がまよえるてんちょう氏を現地で補助することになり、実際にエデン京都は4か月後の2018年4月にオープンした。
 エデンの店長をやりたいと思っている人がえらいてんちょうのTwitterを見て、えらいてんちょうがエデンにいる時やえらてんバーを行う日にエデンに行き、えらいてんちょうと面談し、実際にえらいてんちょうが任せることになれば、えらいてんちょうから連絡を受けた盟友難民社長が全国を奔走して店長候補たちを物件探しなどの実務面でサポートして、日本各地に実際にエデンができて行った。これがエデン・しょぼい起業の最初の拡大期の大まかなパターンであった。
 2018年初頭から立て続けに地方エデンがオープンした。

① 2018年4月 エデン名古屋   店長:ないしま氏 (現在は閉店)
② 2018年4月 エデン京都    店長:まよえるてんちょう氏  
③ 2018年5月 エデン大阪(難波)店長:よしだはやと氏 (現在は閉店)
④ 2018年6月 エデン札幌    店長:不謹慎マン氏 (現在は閉店)
⑤ 2018年10月 エデン福岡    店長:まつげ氏
⑥ 2018年10月 エデン尾道 店長:阪田健太郎氏 (現在は閉店)
⑦ 2019年3月 エデンバンコク  店長:ともき氏 (海外初出店、現在は閉店)
⑧ 2019年3月 エデン梅田    店長:よしだはやと氏 (現在は閉店)
⑨ 2019年6月 エデン神田    店長:しおかわ氏 
⑩ 2019年4月 エデン沖縄    店長:麟ちゃん氏 (現在は閉店)
⑪ 2020年2月 エデン仙台    店長:たておか氏 (現在は閉店)
⑫ 2020年3月 エデン福島    店長:ばんぱ氏 (現在は閉店)
⑬ 2020年2月(新)エデン難波  店長:ナンノ氏 
⑭ 2020年6月(新)エデン名古屋 店長:塩氏
(店長の名前は殆どがTwitter上のハンドルネーム)

なお、エデン福島店長だったばんぱ氏は2022年1月現在ではエデン本店の店長になっている。
 2018年と2019年がエデン拡大期であった訳だが、そのためにえらいてんちょうは、人々の起業や店舗経営に対する心理的なハードルを下げる努力をした。それが、次の「しょぼい起業」概念の提唱である。

4.しょぼい起業で生きていく

(1)『しょぼい起業で生きていく』出版(2018)

 2018年中にイベントバーエデンは全国的に拡大したが、同年末にえらいてんちょうは彼の起業の方法論を書いた本を出版した。それが『しょぼい起業で生きていく』(イーストプレス、2018年12月25日初版)である。
 現代の日本人、特に若者は金を持たず、また経済規模や賃金が縮小して行く日本社会において、正社員としても非正規社員としても就職することに希望を持てない。会社で働いていても精神疾患になる先例が多過ぎて暗い気持ちになる。そのような経済的に苦境にある日本人(特に若い人達)に対して、資金や設備がしょぼくても起業で生きて行ける、会社内で精神病に苦しんで死ぬくらいなら起業という手があるという提案をしたのがこの本であった。
 苦しい会社と労働者の身分から撤退しながら経済的に生活を成り立たせる手法として起業を提案したのがこの本であったが、そもそもえらいてんちょうは『しょぼい起業で生きていく』を出版する7年前に「就活ぶっこわせデモ」を行っており、現代日本社会における働き方の提案という意味では、そのリベンジであった。
 

(2)全国にしょぼい店ができる

 『しょぼい起業で生きていく』出版に先立ち、2018年初頭からえらいてんちょうはしょぼい起業の種蒔きを始めた。2018年3月1日東京新井薬師にオープンした「しょぼい喫茶店」はその先駆けとなった。
 えらいてんちょうは2017年初頭からブログを始め、生活保護申請ボランティアにまつわる自身のきわどい体験と、社会常識とはかけ離れているが非常に本質を突く価値観を書いたブログがヒットし、ネット上で炎上を繰り返しながら拡散した。その後もブログにて、新興宗教、マルクス経済学からの経済分析、独自のベーシックインカムハウス実験(物件の入居者から家賃を取らずにむしろ毎月お金を渡して、その人達の特技を活かして経済活動をしてもらう社会実験)、仮想通貨、自身が出会って二日で婚約して二週間で入籍した話などの記事を量産し、ブログへのアクセス数が跳ね上がった。そもそも彼は生まれが東大卒ばかりの構成員がいる左翼団体の王子であり、実家が様々な商売をしながら全国津々浦々を転々としたという特殊な経歴であり、そういうネタには事欠かない。2017年初頭から、彼がブログを書けば書くほどえらいてんちょうへのネット上での注目度は上がって行った。
 2017年末の京都祇園の 或いは、「」 でえらてんバーを行った頃の少し前から、えらいてんちょうは次の(3)(4)で紹介する様な低コスト起業方法論を細切れにツイートして拡散したりしていた。2018年1月15日に、えらいてんちょうは、「詳しいことはよくわかりませんが、仮想通貨で稼ぎまくった人、税金対策で100万くらい僕にください。しょぼい喫茶店やります。税金対策になるかどうかはわかりません。」というツイートをした池田達也氏(後のしょぼい喫茶店店長のえもいてんちょう氏)を発見するとすぐに声をかけ、同じくTwitter上でえらいてんちょうの事業や経営手法に興味を示していた起業家・資産家のカイリュー木村氏に声をかけ、数日内に三人で慶應日吉の辺りのカフェに集まる約束をし、会合を行った。カイリュー木村氏がえもいてんちょう氏に出資できるかを話し合い、その場で100万円の出資が決定した。
 この三人がインターネット上で出会い、プロフィールやツイートの内容を見て相互を面白そうだなと思い、目的を持って現実に会合し、出資が決定して店ができていくという光景は、Twitter上で誰でも閲覧でき、店を作っていく段階からしょぼい喫茶店にはファンが増えて行った。しょぼい喫茶店は実際に2018年3月にオープンし、2019年4月に『しょぼい喫茶店の本』(百万年書房)が出版された。
 えもいてんちょう氏は上智大学の学生だったが、在学中から鬱病に苦しみ、会社に就職しても上手くいかないとの絶望から、精神障害者の若者として何とか生きていける方法はないかと考えていたところに、えらいてんちょうやその周辺の人々が実店舗とTwitterを組み合わせて経済活動しているのを見つけ、これなら自分もできるかもしれないと思い、Twitterの検索でえらいてんちょうに見つかる様に意図してツイートをしたという。障害者にはそれぞれ障害者としてのストーリーがあり、えもいてんちょう氏の鬱病の人生もTwitter上に綴られていた。そんな社会的にダメになったり困難を抱えた当事者が勇気を出して起業するという選択をする様がファンを獲得し、えらいてんちょうもそれを積極的にツイート・リツイートして広報した。えらいてんちょうの数万人のフォロワーがえもいてんちょうのストーリーや起業の風景を閲覧して、ファンが増えて行った。
 2018年2月にはえらいてんちょうの盟友、難民社長の店ケプリが川西に誕生し、今ではカレー屋として成長を続けており、全国に最小コストでカレー屋を起業する方法を広めている。他にも、喫茶店やバーやパン屋やラーメン屋やシーシャ屋などが全国各地にできて行った。
 えらいてんちょう発の経済現象が徐々に拡大し始め、2017年末頃からインターネットメディアにインタビューされることが多くなり、その頃から彼は「しょぼい起業」という言葉を使い始めた。彼の提唱する「しょぼい起業」という言葉はインターネット上で広く拡散され、閲覧されるようになった。
いくつものインタビューと著書『しょぼい起業で生きていく』の中でえらいてんちょうは主に二つの考え方を提唱した。それは①正しいやりがい搾取 ②生活の資本化 である。

(3)しょぼい起業の実例としてのエデン~正しいやりがい搾取の資本論~

 全国のエデンは殆どが居抜きで借りているので設備投資がかからず、また賃料も安い所を探している。この様な掘り出し物物件を探すのは初心者にとっては難しいことだが、それはえらいてんちょうの盟友難民社長が全国を駆け回って店長候補達と一緒に不動産屋を回り、実務的に支援した。難民社長は掘り出し物物件を探すのが上手く、不動産屋と所有者との交渉さえ頑張れば安くて条件に合った物件を契約することができた。最初からこの方法を選択すると固定費が低くなり、経営の損益分岐点を下げられる。損益分岐点を極限まで下げるのはしょぼい起業の鉄則である。全国のエデンも家賃が安く、しょぼい起業の実例だ。
 エデンでは最初に大卒無職バーが当たり、死にたいバーや鬱バー、発達障害バー、家庭環境複雑バーなどのイベントバーが今でも開催されている。エデンのシステムではバーテンの売り上げのノルマはなく、売上金は一万円まではエデンに入れて残りの金額は折半するという、経済的にはエデン側もバーテン側も損をしないシステムを作り、バーテンをやる経済的・心理的なハードルを下げた。その上でえらいてんちょうはTwitterで精神障害者や発達障害者などのキワモノ人材をエデンに呼び、バーテンをしてもらう。
 えらいてんちょうが偉いのは、彼はエデンにおいて、現代の日本社会に適応できない若年層・青年層・中年層をリサイクルしたことだ。日本には、就職に失敗した高学歴無職や、何をやっても上手くいかない精神障害者・発達障害者が沢山居り、彼等彼女等の内心には、社会的に孤立した中での鬱屈したルサンチマンの巨大なエネルギーが溜まっている。えらいてんちょうはエデンとTwitterを上手く使ってそれを利用し、バーテンを集める。社会的に孤立した精神病の人間などはやりがいや承認に飢えていて、Twitter上に沢山いるし、本人の側から踏み出すのは躊躇していても、えらいてんちょうがTwitterで「無内定留年バーやらない?」などと声をかければ、意外とすんなりとバーテンをやってくれる。そのバーの中で会話が盛り上がって、「じゃあ今度は私が死にたいバーやる!」などと、その場で別の日程のバーが決まることも多い。どこにも所属できていない、どこにも居場所がないことでいつも疎外感と孤独を感じている人は、社会的に逆張りの内容のバーであっても人々と関われて認められる瞬間があった方が精神的に幸せだ。また、特にエデンの初期は社会的にどうせ失うものも無いから何でもいいから楽しもうというようなマインドの人が多く来ており、自由に企画をやっていた。
 このエデンのサイクルの様に、社会的に疎外された当事者達が勝手に自己治療をし出す様なプロセスは、バーテンにも客にも基本的にはストレスがかからない。自発的に自分の持っているコンテンツや得意な事をエデンで企画として披露してくれる循環ができればとりあえず店は回って行く。この様な人々の行動と心理をえらいてんちょうは「正しいやりがい搾取」と呼ぶ。エデンは精神障害者と発達障害者のおかげで経営が成り立った。
 えらいてんちょうのTwitterアカウントは2020年初め頃からずっと4万人を超えており、ツイートがマクロに拡散すればするほど刺さる人は出て来る。キワモノ人材自体は社会的には少数派だが、TwitterはSNSの中でも拡散装置としての側面が強く、えらいてんちょうのツイートがリツイートされて届く母数が広がれば広がるほどエデンがキワモノ達の目に留まり、潜在的なエデンのバーテンは増える。
 まだフォロワーが少なかったエデン黎明期では、フォロワー数が多いアルファ・ツイッタラーのような人材に片っ端からTwitter上で喧嘩を売り、えらいてんちょうが弁論戦を展開して炎上させて拡散させ、途中で炎上相手を巧みにオルグして(オルグとは左翼用語で「こちら側の組織に取り込む」というような意味だ)、エデンに呼んで最初は緊張した関係でも巧みに仲良くなり、その人の特技や特性、哲学の話に持ち込み、それを披露するバーをさせてまた集客したりしていた。えらいてんちょうのフォロワーが4万人に達したのはその積み重ねである。また例えば、ある議員が秘書への人格的なスキャンダルでマスコミに叩かれて急遽病院に入院した時も、えらいてんちょうはその議員にバーテン依頼のダイレクトメールを送った。社会的に話題になっていて、かつ急に人々から叩かれたり疎外される側になった人間をエデンに呼ぶことは、本人に社会的な避難所や社会的安心感を贈与する効果を持つと同時に、エデンなら開き直って人生をやり直せるのだとTwitter上で話題になる。えらいてんちょうはキワモノ人材や社会的少数派をエデンで活躍させて、Twitter上で常に拡散することを目指すした。
 このようにエデンはSNSを集客のための手段としているが、えらいてんちょうは、現実の店舗を作ってからSNSを始めて人を呼ぶのではなく、まずSNSのアカウントを育ててそれをそのまま実店舗に移植するのが経営として合理的と言っている。店には席数に限りがあるが、SNSのフォロワー数には限りが無い。えらいてんちょうがTwitterで人気になればなるほど、またTwitter上の人気者達(その多くは精神障害者や発達障害者の中で言語能力が高い者達だ)とTwitter上で絡めば絡むほど、エデンをTwitter上で見ているフォロワーは増え、仮想的なコミュニティがTwitter上にでき、エデンの潜在的なお客さんが増え、彼等彼女等をエデンに呼べる。すると潜在的なエデンのバーテンも増える。エデンでのイベントの様子をTwitterに画像や動画でアップロードすれば、Twitter上でも同時にエデンは盛り上がる。SNSのアカウントを育てれば育てるほど、やりがいと承認を求めた孤独な障害者達がエデンにやって来る。
 エデンという店のシステムの本質は、やりがいと障害は資本になり、それらはSNS上で無料で調達・保存でき、しかもそれら二つは店を使えば換金できるということを見抜いた点だ。ここが通常の左翼運動や当事者運動と違う点で、建前上も実際の機能としても、あくまでもエデンは店なのだ。エデンは人材をリサイクルする店である。その経営方法の基礎は店とインターネットを掛け合わせて使う事と、「正しいやりがい搾取」なのだ。

(4)しょぼい起業と「生活の資本化」

 これと関連して、『しょぼい起業で生きていく』の中でえらいてんちょうはもう一つ、「生活の資本化」という考えを提唱した。生活の資本化とは例えば、ある場所からある場所へ行く用事がある時、条件が許せばウーバーイーツをやりながらその移動をしてお金を得る。そうすれば、一日の生活の中での移動という行為を資本に転化させられた、と考えていく。元々自分がコーヒーを家で焙煎して飲んでいて、豆が余ればそれを売ってみることなども生活の資本化の一例だ。えらいてんちょうは日々、自分の日常生活のどの部分を無理なく経済的な価値を生むものとして換えて行けるかを考えている。
 えらいてんちょうは、「公園の隣に住めば庭付きの家に住んでいるのと同じ」、「図書館の隣に住めば巨大な書斎付きの家に住んでいるのと同じ」というような事をよく言う。彼には、一見見落とされがちな事物を組み合わせて、ちゃんとした経済的な価値として機能させてしまう才能がある。
 エデンに来るような障害者達については、正に障害者は毎日障害と戦う生活をしており、その悲喜交々がある障害者生活は一般人からは知られておらず、かつ興味深い価値があるので、イベント企画としてエデンでバーを披露すればお客さんが来て資本に換えられることを提案した。エデンは障害者達が気軽に無理なく自分の障害者生活を資本に換えられる場として使って欲しいわけだ。
 えらいてんちょうの最初の起業はリサイクルショップ落穂拾だった。そこでは大衆が捨ててしまう物を拾って回収し、整理し、転売する。リサイクル業は見捨てられた物を価値ある物へと再生させる業態の事だ。えらいてんちょうはエデンでも、障害者達の日常生活という誰にも発見されていない無価値な物を拾ってリサイクルした。それはTwitter上で無料で拾うことができる。
 また、3(2)「エデン住人という存在」や、3(3)「シェアハウス経営の反省と店舗経営」で述べた事も、実生活と経済活動を断絶した物とは考えず、如何に生活を無理なく経済活動に変換していくかという事についての社会的な実践知であった。

(5)エデンの名物企画~投資家vs起業家のマッチングバー~

 エデンの名物企画に、「投資家vs起業家のマッチングバー」というものがある。これは『しょぼい起業で生きていく』などを読んでしょぼい起業の考え方に共鳴し、起業する意志を持ち、資金調達をしたいと考えている起業家と、将来性のありそうな起業家に早い段階で資金を投資したいと思っている投資家を一同にエデンに集め、起業家によるプレゼンテーション大会をする。投資家が気に入れば、実際に融資を行ったり、株式を発行することを提案したり、あるいは応援という形で少額のお金を贈与するということを行うという企画だった。また、場の雰囲気が盛り上がると観客からの投げ銭も多数あった。
 この企画はYouTube上に「しょぼいマネーの虎 えらてん」というチャンネルに動画としてまとめられている。しょぼい起業を応援するという事なので、一回当たりの投資額は数千円~100万円のあたりで推移する。エデンという箱で行うので、参加者は投資家が2.3名、起業家(20代前半から中盤が多かった)が10~20名前後という規模で、観客が20~30名くらいである。スケール的には正に小さくてしょぼい物だが、とにかく起業の種を蒔けば何かが起きる可能性があるので、この企画を行った。
 投資家vs起業家のマッチングバーでは、司会進行はえらいてんちょうが行った。起業家からは、新しいメディアを作りたい、ゲームセンターを作りたい、本を出版したい、音楽喫茶を作りたい、写真家としての運転資金が欲しい、地方にエデンを開業したい、YouTuberをやるにあたっての機材の資金が欲しいなどの内容のプレゼンテーションがあり、具体的にどれだけの金額を投資して欲しいのかの提案があった。それに対して投資家からは、起業家の事業計画の経済的な設計の甘さや、現実的に可能なのかどうかについての厳しい突込みが入ったり、希望額が満額出ることは稀だが、十万数十万円単位でのお金が動くことは普通だった。
 「投資家vs起業家のマッチングバー」をやる事を思いついたのは、元々はしょぼい喫茶店の成功があったからであった。えらいてんちょうがしょぼい喫茶店の開業を導いた経緯は前述の通り、起業したいえもいてんちょう氏と資金を投資して商人として新しい商圏を獲得したいカイリュー木村氏をTwitter上でまず引き合わせ、現実の店舗に呼んで会合し、100万円を投資できるかどうかをマッチングさせ、実際にしょぼい喫茶店は開業に成功した。これを自由度の高い社交場としてのエデンで正規の企画として展開し、しょぼい起業の種を蒔けるのではないかと考えたわけだ。
 また、この投資家vs起業家のマッチングバーを全国の地方エデンで巡業して開催したのもえらいてんちょうが頑張った点だ。地方の人材を積極的に掘り起こしに行った。えらいてんちょうは東京のエデン本店の様子を日々SNS上にアップロードしており、その様子は全国のネットユーザーが見ているので、地方でもえらいてんちょうのファンはたくさん居り、全国どこのエデンへ行っても、えらいてんちょうがバーを開くと集客ができる。その中でしょぼい起業というアイデアに共感する起業家人材と、えらいてんちょうの思想性に共感する金持ちを集め、投資家vs起業家のマッチングバーを開けば、大いに盛り上がる。また、その様子も必ずYouTube上にアップロードする。店×インターネットという手法を基礎にして実際に地方巡業をして頑張れば、えらいてんちょうの影響力を日本の全国各地に拡大する事ができる。というのも、地方にも人生が上手く行ってない精神障害者や発達障害者は沢山いるからだ。地方の障害者にも、自分達もしょぼい起業ができるかもしれないと思ってもらうべく、えらいてんちょうは全国を駆け回った。また、地方各地でネットワークとコミュニティが拡大すれば、地方エデンでバーテンをやってくれる人材が出てきて、各地のエデンの経営に資する。ネットワークとコミュニティが重複しても複雑になっても全然構わない。とにかくネットワークとコミュニティを拡大生産し、人を発掘して店とインターネットで結び付けるのを繰り返せば、何かが起こる可能性がある。マクロに拡散し、周知を広め、次回の新たな参加者の種を蒔く。
 えらいてんちょうは沢山のしょぼい起業の種を蒔いたが、それが功を奏した例が著書『しょぼい起業で生きていく(持続発展編)』では紹介されている。

5.インターネットとえらいてんちょう

(1)ネットのゲリラ

 えらいてんちょうは自身をインターネットのゲリラだと表現する。えらいてんちょうのインターネット戦略の理論的な部分は著書『ネットゲリラ戦術』で詳述されている。彼が言うには、これまで述べたエデンのTwitterでの炎上を利用したオルグや集客の方法は、現代日本社会におけるゲリラの経済社会戦術だ。
 ゲリラは大きな敵と戦うものだが、えらいてんちょうもよくTwitterでアルファ・ツイッタラーと呼ばれるフォロワー数が一万人を超えるようなTwitter上の巨人達とレスバトルをする。Twitter上で有名だった起業家の正田圭氏、メンタリストDAIGO氏、脱社畜サロンのイケダハヤト氏、タバタウンの大木英持氏、NHKから国民を守る党党首の立花孝志氏。この様なインフルエンサー達のツイートやYouTubeでの発信の中で、重度の嘘や社会的に許容できない部分があれば、えらいてんちょうはTwitterとYouTubeを使って彼等を批判し、レスバトルをした。えらいてんちょうはリサイクルショップ落穂拾時代からレスバトルを重ね、彼もTwitterのフォロワー数は4万人を超えているので十分なアルファ・ツイッタラーであるが、障害者やキワモノやインテリや社会的少数派を沢山集めて、新しいが怪しく、しかしユニークな経済活動しているえらいてんちょうという存在は、インターネット上で最もキワモノ的な存在の一人である。そういう意味で、彼は現在もゲリラだ。
 ゲリラは社会的な正規軍には信用面でも物量的にも勝てないのだが、えらいてんちょうはSNS上で正規軍とレスバトルをし、ちょっとでも勝つとそれを大本営発表の様にSNSで大げさにニュースにしてアピールし、ネット上で拡散させる。正規軍がゲリラに勝ってもニュース価値は無いが、ゲリラが正規軍に勝ったらニュース価値があり、Twitterを見ている無数の観客が沸き立つ。彼はこの様な社会的な落差に人間の心理が反応する事を「バグ」と表現する。バグを発生させてTwitterが沸き立てば沸き立つほど、彼のフォロワーは増えるのだ。
 えらいてんちょうにとっては積極的にこの様なバグの現象を作って行くことが広報戦略となった。孫子『兵法』や毛沢東『実践論・矛盾論』には、自軍の総力が敵軍を上回らなくても、自軍の戦力をまとめて集中させて、敵の弱い部分を各個撃破する、という方法論がよく出て来る。えらいてんちょうも正田圭氏やメンタリストDAIGO氏の全てを批判したわけではなく、彼らのやり方の一部に意図的な嘘があることに焦点を当て、大量のレスバトルとロジックで勝ち抜いた。ゲリラが正規軍に勝ったことはニュースになり、えらいてんちょうのフォロワーは増える。フォロワーが増えれば増えるほどえらいてんちょうがエデンでやりがい搾取できる人間が増える。レスバトルさえ頑張れば無料で、潜在的なエデンのお客さんやバーテンを増やすことができるのだ。
 この様なやり方に類似する社会的な方法論を持つのがNHKから国民を守る党の党首、立花孝志氏だ。えらいてんちょうは『「NHKから国民を守る党」の研究』(2020)という本を出版してそれを解説した。N国党はインターネットゲリラであり、ネットワークで人を集め、ネットを見て立花孝志に心酔する人(その多くはやはりエデンの人々と同じで社会的に疎外された人々だろう)を、NHKをぶっ壊すことの一点を争点化して巻き込み、正しくやりがい搾取するという、えらいてんちょうの社会科学と類似する方法を取った。
 えらいてんちょうは立花孝志とも過激なバトルを行った。

(2)YouTuberえらいてんちょう(2018~現在)

 えらいてんちょうはYouTuberでもある。彼は2018年にYouTubeを始め、「宗教マニアが教える入ってはいけない宗教ランキングベスト5」という動画で再生回数とチャンネル登録者数が伸び、人気のYouTuberとなった。その後も、宗教、闇経済、起業論、キワモノ人物紹介などの動画で再生回数を伸ばし、2020年5月現在では(後に記述するしょぼい政党との関係でこの時点での数字を載せる)、「えらてんちゃんねる」と「やうちはるき」のチャンネルを併せたのフォロワー数は18万人である。上記の投資家と起業家のマッチングバー(「しょぼいマネーの虎」)もその派生としてYouTube上に存在する。
 えらいてんちょうのYouTubeに対する考え方の第一に「共同消費材」というものがある。これは、多人数が共同で消費できて、しかも減らない物のことで、例えば本や音楽、動画などの情報媒体の事だ。えらいてんちょうは自分で共同消費財のデータを作って、インターネット上にアップロードし、それをSNSでどんどん拡散する。1日24時間の内、何度もスマホで写真を撮ったり、ツイキャスでネット上に保存できるラジオを発信したり、無編集でもいいから自分の喋りをYouTube上にアップロードする。これは現実の自分をインターネット上にコピー&ペーストする感覚だ。えらいてんちょう自身を共同消費可能なデータにして、彼の分身をどんどんインターネット上に増殖させて行くのだ。そういう意味では、YouTubeも彼の生活の資本化である。
 元々左翼活動家のえらいてんちょうは弁論の天才で、他の特殊な諸経歴もあり、YouTube上で彼の喋る動画はキワモノとして面白がられた。「宗教マニアが教える入ってはいけない宗教ランキングベスト5」は2020年5月現在では700万回以上再生された。えらいてんちょうは700万人のえらいてんちょうに分裂し、人々に喋りかけたことになる。
 えらいてんちょうが寝ている間にもYouTube上の彼は喋っていてくれることが本人にとってはありがたい。えらいてんちょうは双極性障害を持つ精神障害者であり、鬱期に入った際にはほとんど動けなくなるが、その期間中も影分身したインターネット上のえらいてんちょうは彼の代わりに喋り続け、人々に親しまれる。YouTube上に疑似的にえらいてんちょうが喋る店を開いている様なもので、広告収入も入る。一定の出力を出し続けられない精神障害者の生存戦略として、YouTubeは合理的であり、インターネットをエデンへの集客導線と考えれば、YouTubeはえらいてんちょうが24時間仕事をするための仕掛けとなった。
 YouTubeを見てエデンにやって来た人達は元々えらいてんちょうの事が気になってやって来るので、落穂拾やエデンでやって来たように、その人達を正しくやりがい搾取してバーテンなどをしてもらったり、お金持ちがいれば起業家と投資家のマッチングバーの投資家になってもらったり、あるいは動画の撮影が得意な人がいれば、自分のYouTube活動のスタッフになってもらったりした。元々思想的に共感してやって来ているのでスムーズにそれができる。この様な形でえらいてんちょうがマクロに拡散されればされるほど彼自身が社会活動を拡大できて美味しい、彼自身が儲かる、というネットワークとコミュニティの展開的な構造ができていった。この状況を可能にしたのは、店(エデン)とインターネット・SNSを掛け合わせて使うという考え方だ。YouTubeもコメント機能やライヴ配信機能があり、広義のSNSだ。YouTubeは彼のリサイクルショップ型社会科学の規模を拡大するのに非常に効果的なツールとなった。

6.えらいてんちょうの資本論

 これまで検討したえらいてんちょうの社会科学の特徴についてまとめよう。えらいてんちょうの社会科学は大きく6つの要素で組み立てられている。

①社会的に捨てられた人や物を無料で集める
②実店舗×インターネット
③ネットワークとコミュニティを拡大生産する
④正しいやりがい搾取
⑤生活の資本化
⑥バグの利用

 えらいてんちょうは社会的に捨てられた人や物を集め(①)、彼等彼女等が得意としている事や心理的に認められたい行為を把握し、店でその人達に働いてもらったりバーテンをしてもらったり住人になったりしてもらって、店の経営を行った(④⑤)。これは関係者にストレスがかからないため、気軽に社会が立ち上がって行き、人が人を呼んで来て、ネットワークとコミュニティが広がった(③)。えらいてんちょうも関係者も、店舗とSNSの二つの次元で関係しており、SNS上のネットワークはどんどん拡大し、それが店舗への集客の導線になった(②③)。また、えらいてんちょうは弁論とレスバトルの天才で、社会のバグを利用して話題喚起をする才能が有り、それがSNSと相性が良く、インフルエンサーとして影響力を拡大し、それがエデンへの集客の導線となって人が集まった(③⑥)。この過程には基本的にお金がかかっていない(①)。
 ①から⑥の要素は全てリサイクルショップ落穂拾において原型として存在した。これはマルクス主義者としてのえらいてんちょう流の資本論である。著書『しょぼい起業で生きていく』とは彼が書いた資本論であった。彼の手によって、現代日本社会で捨てられた無価値な人や物がエデンに集められ、その組み合わせを工夫して価値を生むもの(資本)にし、それをエデンなどで社会的に提供して貨幣を稼ぎつつ、また捨てられた人や物(潜在的な資本)を集めた。これがえらいてんちょうの社会科学(資本論)である。


7.しょぼい政党という発想(2019.2020)

(1)しょぼい政党の来歴

 しょぼい政党とは、えらいてんちょうが2019年末に立ち上げた政治政党である。えらいてんちょうは2015年からリサイクルショップ落穂拾を起業し、2016年にエデン本店を開業、2018,2019年にエデンを全国に展開させながら、全国にしょぼい店を沢山作り、Twitterのフォローは4万人、YouTubeのチャンネル登録者数は合計18万人になり、インフルエンサーとしてマクロな社会に認知されるようになった。彼のネット上での拡声器の力と、全国に作ったエデンなどのしょぼい店舗とその人的ネットワーク、そしてそこに来る人達の性質を組み合わせれば、しょぼい政治政党を作ることができるのではないかというのが彼の発想だった。
 しょぼい政党からは、2020年1月26日の八王子市長選にこやなぎ次郎候補が出馬し、得票率2.3%で落選。4月22日の埼玉県志木市議選ではYouTuber与儀大輔氏が無投票で当選。また、8月23日の大阪府箕面市議選にはよしだはやと候補が出馬し、落選した。えらいてんちょう自身も4月26日の衆議院議員静岡補欠選挙にYouTuberとして出馬する予定だったが、彼の持つ双極性障害の鬱状態が激症化し、出馬を取り止めた。2020年5月9日、えらいてんちょう自身のツイートで、しょぼい政党を「辞去」するとの発表を行い、えらいてんちょうはしょぼい政党を去った。
 しょぼい政党はえらいてんちょうの下を離れて、与儀大輔志木市議会議員が党首となり、「あなたの党」と名前を変え、2021年2月に解党した。

(2)しょぼい政党の公約と主張

しょぼい政党が公約として掲げたのは主に次のような内容だった。

・しょぼい起業による町の商店街の活性化
・若者の起業支援
・子ども食堂を作る
・精神障害者・発達障害者のバリアフリー
・精神障害・発達障害と他の障害の格差是正
・あらゆる少数派のためのバリアフリー
・インターネット利用による議会の透明化
・インターネット利用による公的事務手続きの簡素化
・表現の自由の擁護
・日本の将来を背負う修士・博士に対する奨学金
・知性による社会秩序の回復を目指す(知的立国)
・民主主義のプロセスを大事にする

また、しょぼい政党は政権を取ることは目指さないとした。
 公約のいずれもが、既存の政治政党で大きな所が提案しない様なもので、既存社会の利権に関係なく、しょぼい店舗を経営している精神障害者・発達障害者の自分達との相性を考え、提案されたものだった。この中でもしょぼい政党の大きな括り・方針としては、「精神障害者・発達障害者のバリアフリー」を目指す事であった。精神障害者・発達障害者のバリアフリーといっても多岐に渡るが、例えば抑鬱や注意欠陥で、書類を書く・保存する・提出したりすることが苦手な精神障害者・発達障害者は多くいる。行政が公的に必要な書類を削減し、あるいは行政手続きをインターネット上でできるようにすることを公約にしたが、それは精神障害者・発達障害者のバリアフリーになる訳だ。これはそのまま日本社会全体のためにもなる。
 精神障害者・発達障害者のバリアフリーという問題は我が国ではまだ解決への着手も殆どなく、当事者が選挙に立候補してそれを主張することは社会的な新鮮さがあり、好奇の目もあるが、良い意味でも注目される。また、エデンに来るような障害者は、政治に興味があったり政治に異議申し立ての意志がある人も多く、えらいてんちょうが誘えば乗って来る人は必ずいる。


(3)民主主義の幽霊~エデンでバーテンするノリで選挙に出ないか?~

 「エデンでバーテンするノリで選挙に出ないか?」―――これがえらいてんちょうがYouTube上でしょぼい政党のアピールで言い続けた言葉である。エデンに来るお客さんの多くが精神障害者・発達障害者であり、障害者がエデンでバーテンをする時、社会的少数者としての自分の立場から困り事や困難をアピールをする訳だが、これを選挙に転用して、障害者が自身の困り事を選挙で社会的にアピールをしてもいいのではないかということが、えらいてんちょうからの提案であった。
 国政ではれいわ新選組が舩後靖彦氏と木村英子氏の二人の重度身体障害者を国会に送り込み、議会にスロープがつけられる、PC機器の発声機能で原稿を読み上げるなどの改革が進んだ。議会が障害者の身体障害に配慮したのだ。一方、発達障害者や精神障害者については障害の形や性質が少し違っていて、自律神経や抑鬱の問題で朝起きれない事や、議会場に座っていても感覚過敏で脳が疲労しやすく、何時間も議場に居られない事などがある。精神障害者・発達障害者は、身体障害者とは少し別の理由で立法府の中に参加していけないのだ(5時間以上議会に居なければならないことが体力的にキツイことはれいわ新選組の木村英子氏も言っている)。
 発達障害者や精神障害者が抱える困難に対する配慮は、国政でも地方でも、今の議会には凡そ無いと思われる。しかし民主主義の主権者は国民なのだから、そもそも障害者が立法プロセスに参加できないのはおかしいし、精神障害で朝起きれなかったり、書類が書けなかったり、議会に何時間も居られない無能でも民衆の代表者になれないのはおかしい。民衆の代表と民意の反映、手厚い少数派保護を主張する現代の民主制の趣旨からは、生活保護の受給者が議員になってもいいはずなのだ。えらいてんちょうは、弱者や無能や障害者が民主制のプロセスに対して障害があることそのものが民主的ではないという事を指摘し、どうにかして弱者や無能や障害者を議会に送り込めば、民主制のプロセス自体が見直されて、民主制自体が刷新される可能性があると考えた。これがえらいてんちょうのしょぼい政党の目的であった。そのためにえらいてんちょうはいかにエデンとインターネットを使うかを考えた。
 障害者が障害者を社会的に代弁すること自体に強いやりがいを持つ障害者は必ずいるし、特にエデンにはそういう障害者が集まる。彼等彼女等を正しいやりがい搾取で選挙に出馬させられないだろうか。しょぼい政党とは障害者政党であり、障害者政党というのは①店舗とインターネットの掛け合わせ②正しいやりがい搾取 というえらいてんちょうの社会科学の基本的な方法を応用すれば立ち上げることができるのではないかと考えたのだ。エデンに集まる障害者達が政治の話をするYouTubeを配信しまくれば、障害者のインターネット政党が低コストで立ち上がるかもしれない。
 しょぼい政党の公約では修士・博士への奨学金を提案した。しょぼい政党は修士・博士の党員や立候補を歓迎した。修士・博士は人材の仕入れとして、安いのだ。修士や博士は未だに日本では一般企業では雇われにくいから、バイトで食い繋いだり、あるいは仕事は何もしていない修士・博士は多い。エデンには無職の修士・博士のお客さんで、社会的な孤独に苦しんでやりがいと承認に飢えている人はいる。修士・博士などの高学歴が民主主義を担う事にはやりがいがあるはずだ。修士・博士の就職先としての民主主義というのを提案できないだろうか。そうすれば日本の知的立国のためにもなる。民主主義で人材のリサイクルをするのだ。また、修士や博士は精神障害者・発達障害者が多いから、しょぼい政党にもピッタリだ。障害者政党が民主主義をリサイクルできるかもしれない。

(4)なぜえらいてんちょうはしょぼい政党に踏み切ったか

 しょぼい政党は博打だが、えらいてんちょうがしょぼい政党に踏み切った理由はいくつかの物があった。

①しょぼい政党の名前で頑張ればギリギリ政党要件を満たせるかもしれなかったこと

 えらいてんちょうはしょぼい政党は徹底して空中戦を行うとした。空中戦とはインターネットのことで、特にSNSとYouTubeを選挙の主戦場として使うという事だ。えらいてんちょうはしょぼい政党プロジェクトを行った2020年5月現在でYouTubeのチャンネル登録者数が合計で18万人を超えており、一番再生された動画の再生回数は700万回以上再生されてるので、日本の人口1億2600万人の内、約5.5%が見たと考えれば、拡散装置としては十分である。
 他の候補者が出るにあたっても、えらいてんちょうのYouTubeチャンネルで動画を出して拡散すれば、その候補者のチャンネル登録者数はすぐに1000人に達する。YouTubeの収益化(=広告収入が振り込まれる)はチャンネル登録者数1000人からなので、しょぼい政党からの立候補者が経済的にもペイできるようになっているのだ。2020年4月の志木市議選に当選した与儀大輔氏の2020年5月現在のチャンネル登録者数は4900人であった。
 2020年1月のしょぼい政党を立ち上げたばかりの八王子市長選で、こやなぎ次郎候補の得票率が2.3%だった。これが立ち上げたばかりのしょぼい政党という名前が要因で得た得票率だとして、政治資金規正法上の「政党」要件とは①所属国会議員が5人以上 または、②所属国会議員が1人以上かつ直近の衆議院・参議院選挙における全国を通じた得票率が2%以上 ということなので、もし参議院選挙における47都道府県ごとの全ての選挙区に、エデンでバーテンするノリで選挙に出る人間を擁立できれば、得票率2.3%かつ比例代表でえらいてんちょうが当選し、しょぼい政党は法的に「政党」の資格を与えられることになり、政党助成金も国庫から降りることになる。また、国政選挙は全国で一斉に行われる選挙なので、インターネットによる拡散と投票の効果も一番見込める選挙となる。

②経済的に損しない構造が作れそうだったこと

 その下準備としては地方の県・市議会選や町議会選を行う。地方選挙なら選挙のポスター代や運転手代やウグイス代が支給されるし、全国にエデンとしょぼい店があるので、低コストで人を動員できる。その活動の様子を逐一YouTubeに上げる。えらいてんちょうがまず上げて、候補者がそれに関連してYouTubeを上げ続ければ、すぐにチャンネル登録者数は1000人を超えて収益化ラインを超える。しょぼい政党から立候補すれば、収益化YouTuberになることができるのだ。しょぼい政党は修士・博士を歓迎していたが、収益化YouTuberとして自分の学問を紹介できるチャンネルを持つのは嬉しい修士・博士は沢山いると思われた。
 2020年初頭までにえらいてんちょうが蒔いた種が発芽して、全国各地にしょぼい店ができていて、日本の主要地方都市にはしょぼい起業とエデンの若者界隈の様なものができていた。公約にも掲げた「しょぼい起業による町の商店街の活性化」は、2015年の落穂拾からのしょぼい店舗起業の知見が5年分蓄積されており、低コストでできるので現実味がある。
 これら各地のしょぼい起業界隈が土台となって、各地のしょぼい立候補者を応援できる環境が作れるのではないかとえらいてんちょうは思った。また、しょぼい政党が盛り上がれば盛り上がるほど、しょぼい起業界隈も盛り上がる様な構造ができるのではないかとも思った。というのも、選挙に出れば、候補者と関係者にはフォロワーが増えるからだ。これは現実でもSNS上でもフォロワーが増える。
 えらいてんちょうはしょぼい政党から立候補することが、候補者にとって経済的に損にならない事を強調した。
 地方選では候補者は三か月以上前からその選挙区に住んでいなければならないが、地方では200万円くらいで安い家は買える。そこを選挙の拠点にする。もし選挙で負けてもシェアハウスにするノウハウはある。しょぼい政党は各選挙区で当選できなくても、そこにコミュニティとネットワークができてしまえば、そこがまた新たな人材調達の場になる。

③政治のSNS化が見えていたこと

 しょぼい政党に踏み切った理由のもう一つは、政治がSNS化することが見えていたことがあった。政治家も政治関係者もどんどんSNSのアカウントを作って直接的に国民に対して発信し出していた。その極端な人物がN国党の立花孝志で、彼はいくら紙の週刊誌で叩かれてもダメージがないほどに、インターネットを直接的な支持基盤にした。立花孝志には文春砲が効かないのだ。マスコミに対する防御も含めて様々なメリットが大きいので、YouTubeをやる様になる政治家は今後増えるというのがえらいてんちょうの読みだった。自民党が政権である以上投票自体はオンライン化しないが、政治がインターネット化・SNS化するならば、誰が一番先にその制空権を握るかで政局が変わる。政治インフルエンサーとしてYouTube上で喋りまくる人が制空権を握る。これは明らかに見えているブルーオーシャンであり、しょぼい政党がその先駆けに成れればと思った。
 また、これを推し進めれば、YouTube上に衆議院・参議院に次ぐ第三の国会を立ち上げることができるのではないかと思った。2019年4月にエデン沖縄を、2020年3月にエデン福島を作ったが、沖縄と福島の様な社会的・政治的に争点化している地域にエデンを設けるということは、インターネット政党であるしょぼい政党の離陸につなげられると思っていた。というのも、沖縄と福島は、日本の中でも一番バグが存在する地域だからだ。沖縄には辺野古が、福島には事故を起こした原発がある。えらいてんちょうの社会科学の基礎の一つにバグの利用があるが、沖縄と福島で政治YouTuberやればその話題性はかなり跳ねやすい。チャンネル登録者数が増え、インターネット世界の政局をバグらせることができる。地方エデンから政治YouTuberが増えれば増えるほど、衆議院・参議院に次ぐ第三の政治的言論府が、インターネット上に立ち上がって行くのではないかとえらいてんちょうは考えた。


④全ての組み合わせでしょぼい東アジア外交ができそうだったこと 

 そして、これまでの全てを組み合わせれば、しょぼい東アジア外交ができるのではないかと思った。地方エデンとしょぼい店をフル活用して、直近の参議院選挙で全国にしょぼい政党から候補者を擁立し、比例代表でえらいてんちょうが国会議員になり、その肩書を使いながらしょぼい店を台湾と韓国と香港に作ってYouTubeをやる。そうすれば、東アジアの民主主義地域の半島と島嶼部の若者達が、緩やかな自由民主主義の連帯を作ることができるのだ。

(5)しょぼい政党の難点

 以上の様な理論と見通しを頭の中に持った上で、えらいてんちょうは2020年5月の衆議院静岡補選にYouTuberとして立候補する予定で記者会見を行ったが、折からの双極性障害が激症化し、出馬を取り止めた。一時期は精神科に入院するかどうかの危機になり、同5月にしょぼい政党を辞去すると発表した。その後は与儀大輔志木市議がしょぼい政党を引き継ぎ、あなたの党と名前を変え、2021年2月に解党した。
 えらいてんちょうは2020年までに培った社会科学の理論でしょぼい政党を組み立てようとした。それは①現実×インターネット②正しいやりがい搾取 が基本だった。本稿の1「就活ぶっこわせデモ」から5「インターネットとえらいてんちょう」まではこれが上手くあてはまり、6のしょぼい政党ではそれが上手くいかなかった。彼の理論が現実との関係で齟齬を来したのは、選挙に出ることが思ったよりも ②正しいやりがい搾取 にならなかったことだ。しょぼい政党の理念と公約はリベラルな現代日本社会を実現するために共感できるもので、信条の面では非常に候補者や関係者がやりがいを覚えても、選挙は候補者も関係者も含めて当事者に非常にストレスがかかる。しかし、著書『しょぼい起業で生きていく』の中でえらいてんちょうが述べている通り、エデンなどのしょぼい起業、特に人材をリサイクルする業態においては、関係当事者達にストレスがかからない事が原則であり重要なのだ。というのも、エデンやしょぼい起業の関係者は精神障害者・発達障害者が多数で、一般的には特に精神障害者はストレスに弱い。精神障害ではない発達障害者でストレスに強い人はいて、そういう人も多くエデンに来ているので、理論的にはしょぼい政党をやれるというえらいてんちょうの見通しも間違ってはいなかったのだが、政治となるとどうしても各個人にもネットワークにも強大にストレスがかかってしまう。また、しょぼい政党には、それまでえらいてんちょうが社会のバグと炎上を利用して拡大してきたこともあって、インターネット上に無限にアンチが居り、YouTubeやTwitterで発信すればするほど候補者や関係者はアンチから激しく攻撃された。Twitterのプロフィールにしょぼい政党支持を書いただけで、本当に無限にアンチが沸くのだ。特にN国党の者達からは激しく攻撃された。えらいてんちょうが立花孝志と激しいバトルをしていたので、しょぼい政党員もその戦いに巻き込まれた。TwitterやYouTubeを開く度に無限に沸いてくるアンチとレスバトルをして炎上してフォロワー(それは潜在的に票田にもエデンのお客さんにもなるのだが)を増やすことは、数回やる事はできるが、選挙が終わるまで(あるいは終わっても)それをずっとやり続けるのは精神的にかなり辛い。正しいやりがい搾取が疎外されてしまう。えらいてんちょう自身も、しょぼい政党を辞去することを発表した時、政治は(アンチや変な人達に対する)ある種の精神的な回路を切らないとやって行けないと言った。この様にしてしょぼい政党は行き詰った。
 そして2020年4月から、日本でもコロナウイルス問題が激化した。



Ⅱ.例外状態とえらいてんちょう

1.コロナウイルスという弱点(2020.2021)

(1)相性の悪さ

 しょぼい政党自体はえらいてんちょうが2020年までに立ち上げた幾つものプロジェクトの一つであったが、2020年初頭からコロナウイルス問題が発生し、人と人との交流がコロナウイルスによっても都市封鎖などの公権力によっても強制的に遮断されるなどしたことで、それまで社会的に拡大し続けた彼の活動は停止した。
 店とインターネット・SNSを掛け合わせてネットワークとコミュニティを拡大生産し、やりがいと承認を求める障害者を集め、ストレスなく、且つ貨幣を介さず動いてもらうことがえらいてんちょうの社会科学の基本的方法だったが、これはコロナウイルスの様な感染症によってもたらされる社会的例外状態とは抜群に相性が悪かった。ウイルスへの感染リスクがある状況では人々を店に呼びづらいからだ。全くやれないこともないが、派手に人を集めてしまうと社会的に叩かれることになるし、現実に公権力によって、クラスター発生の危険性があるバーの営業と酒類の提供が禁止された。コロナウイルスの性質上、エデンに人を集められず、正しいやりがい搾取ができない。SNS上だけでもやり取り自体はできるので、エデンが使えなくても正しいやりがい搾取はできそうに思えるが、その人に仕事を頼めるかどうか、任せてもいいかどうかは実際に会ってみないと上手く判断できないことも多い。また、そもそも感染症状況下だと人々は社会的・物理的に動くのを躊躇うので、心情的にはえらいてんちょうのために動いてくれる人が出て来ても、実行力が非常に削がれる。①店×インターネット ②正しいやりがい搾取 というえらいてんちょうの社会科学の基礎が、コロナウイルスによりほぼ全く使えなくなるのだ。コロナ自体もバグであり、えらいてんちょうとしてはバグを利用したい所だが、コロナはその性質上、えらいてんちょうの社会科学とは抜群に相性が悪かった。感染症がもたらす例外状態は、えらいてんちょうにとっては唯一の弱点だったと言ってもいいかもしれない。


(2)大震災だったら最高に相性が良かった

 むしろ仮に到来していた例外状態が大震災だったならば、えらいてんちょうはその社会科学をフル活用して最高に能力を発揮できた。地震で物理的に社会が破壊されるタイプの例外状態であれば、店をシェアリング・スペースにして人々を救援活動に手配し采配し続けることはやり易い。非常時に困っている人のためにボランティアをすることはやりがいもあり、正しいやりがい搾取もスムーズにできる。ボランティアが頑張っている様子を動画で拡散し、エデンでボランティア決起集会バーやりますなどとYoutubeとTwitterで声をかければ、すぐに人が集まって、役割を割り振り、実行に移せる。例えば全国のエデン周辺のしょぼい飲食店が炊き出しをするなどはすぐに実行できる。ボランティアバーでエデンに集まった人々がTwitterのアカウントをフォローし合えばまたネットワークが広がり、炊き出しグループや瓦礫撤去グループがそれぞれオンライン上でもコミュニティ化・界隈化し(それはメンバーが重複しても全然構わない)、彼が正しくやりがい搾取できる人の輪が広がって行く。
 現実とインターネットの共有スペースを掛け合わせて使い、ネットワークとコミュニティを拡大生産し続けて正しく人々をやりがい搾取するという彼の社会科学の方法論は、大震災と最高に相性が良いのだ。大震災ならば、支援のネットワークを拡大させるにあたって、人と人との接触が忌避されない。しかし、コロナウイルスではそれが全く逆だったのだ。


2.コロナ後の新しいパターン~現実×インターネットの社会科学の再構築~

 えらいてんちょうがコロナ期間に入ってしょぼい政党を辞去してから、ベンチャーネットという会社のホームページで、「かもカフェ」という店に言及したことがある。かもカフェはこれを書いている筆者の店なのだが、店と言っても実店舗は存在しているとも言えるし、存在していないとも言える。かもカフェとは元々はTwitterのアカウントの名前(本人)で、カフェの名前を自分の名前として使って活動していた。かもカフェは歩くカフェだった。かもカフェはTwitter上でえらいてんちょうについて行き、仲間を増やし、エデンでかもカフェをやり、2019年に西宮市にかもカフェ夙川店を開いた。かもカフェ夙川店は店長(かもカフェ)の体調等の事情で閉店したが、実店舗がなくなってもかもカフェはインターネット上に残り、活動場所を川西市に移し、かもカフェ・ケプリ店(川西の難民社長の店)ですといってコーヒーを売っている。店長の名前がかもカフェで、実店舗の名前もかもカフェで、SNSの名前もかもカフェなので、実店舗をやりながらSNSをやり続ければSNS上の認知にかもカフェは蓄積され続けた。かもカフェは抽象的な存在としてインターネット・SNS上にバックアップされたのだ。えらいてんちょうは落穂拾時代から、SNSを育ててから現実へ移植するという方法を提案したが、かもカフェはそれも行いつつ、名前と概念の使い方を工夫して、SNS上にカフェを保存することに成功した。かもカフェは抽象的なカフェとしてインターネット・SNS上に存在し、全国どこへ行ってもインターネット空間からかもカフェをダウンロードし、カフェを開ける(実際に各地のエデンでかもカフェを開き、お客さんが来る)。えらいてんちょうはこのかもカフェの抽象的な機能に注目し、それをベンチャーネットに寄稿した。現実×インターネットで社会を切り開くという点ではえらいてんちょうもずっとやって来たことだが、かもカフェはえらいてんちょうとは少し違ったやり方をしたのだ。
 これとパラレルに議論できるのがメタバース・仮想現実だ。コロナ問題以降メタ社(旧Facebook社)のザッカーバーグはメタバースという仮想現実を構築する技術を開発しており、それはバーチャルな世界だが人間の五感にも対応したものに仕上げる予定だ。本稿は全体を通して、「現実×インターネットの社会科学」という新しい形の社会科学の先駆的なスケッチのようになった。コロナウイルスがこの現実世界に多大なバグをもたらしたことで、えらいてんちょうの活動は止まったが、コロナ以降のオンライン化の流れで、今度は「インターネット」の側の世界が激変することは確実だと思われる。抽象化する世界の社会実験は間もなく始まる。メタバース上に抽象的なエデンが出現したら、えらいてんちょうはそれをどう使うだろうか。私は楽しみにしている。


Ⅲ.あとがき~本稿執筆の経緯と意図、社会を変えようとした若い力~

 以上が私の、2020年までのえらいてんちょうの社会科学のスケッチである。えらいてんちょうが再度、現実×インターネットの社会科学に挑戦した時、私はまたそれをスケッチしようと思う。
 本稿を書いていて、改めて現代日本社会と障害者の人生について深く考えさせられた。本稿の筆者である私(かもカフェ)も若い頃から統合失調症を患い、大学は卒業したものの社会生活が上手くいかず、社会に対して怨みと怒りを募らせていたところを、えらいてんちょうから落穂として拾われて、かもカフェを開業したのであった。
 本稿で私は、えらいてんちょうとその仲間達という社会を変えようとした若い力を紹介したかった。資本主義と国民国家という政治経済サイクルが一巡して完成された現代日本社会では、同時に、それによって捨てられて誰にも見向きもされない若い人達がいたのを、2010年頃から潜在的に感じていたえらいてんちょうという若者がいた。社会的に捨てられて見向きもされない若者は精神障害者や発達障害者が多く、孤独や貧困や将来への不安・絶望、病気や障害の解決できなさ、人生の失敗、家庭不和、就職のできなさなどの中で苦しんでいるが、どうやってそれを解決したらいいのか分からない、あるいは自分の力だけではどうしても解決できない、といった悩みを抱えていた。えらいてんちょうはその様な誰からも見向きもされない人達に積極的に手を差し伸べて行った。段々とそれが社会になって行き、次第に強力な個性達も集まるようになった。
 本稿に登場し、私がえらいてんちょうと共に関わった人物は、様々な個性を持つ人達だった。彼等彼女等の多くは精神障害者や発達障害者で、しょぼい起業やエデンという現実の場、TwitterやYouTubeなどのインターネット空間の二つの次元で交わった。彼等彼女等は現実でもインターネット上でも、協働したり喧嘩したり、学術対話をしたり、恋や結婚をしたり、謎の動きをしたり、界隈の外に出たり、また戻って来たり、店を合併させたり、Twitter上で知り合った遠い地域でしょぼい店をやっている気の合いそうな人の所へ移住してみたり、大都市の郊外を拠点にしてしょぼい起業の村をつくってみたり、ネットワーク内のどこかの界隈へのアンチになってみたり、鬱で引き籠ってみたり、悪いことをやって界隈から出禁になったり、悪いやつらに巻き込まれて失敗したり、エデン関係で繋がった社長の会社へ就職してみたり、曖昧にぶらぶらしてしょぼい店でご飯を貰って生きる人になってみたり、地域でしょぼい店を育てて着々と地元の名士になって行ったり、一度しょぼい起業をやってみてから自分には経営は向いていないと思いサラリーマンになったり、最初からずっとサラリーマンとして客としてだけ関わり続けたり、インターネット芸人になったり、本を出版してみたりと、本当に多様な活動や多様な生き方をした。その悲喜交々喜怒哀楽奇想天外吃驚仰天はえらいてんちょう周辺のエネルギーだった(外からそれを見れば明らかだったと思う)。コロナウイルス問題で社会は激変し、えらいてんちょうの活動も止まったが、やはり何かを変える力を我々の社会は持つと思う。私は様々な問題を抱えながらも強く生きる個性達に出会ってきた(多くの場合はその問題と個性は表裏一体で同一の物だった)。社会を変えるのはいつの時代もミクロな個人の力から始まると思う。この現代日本社会の中に、圧倒的に難しい我々の時代の社会問題を解決する力のある人間は必ず出て来る。それは1945年以降の日本が蓄積し育ててきた物が揺り篭にもなっているし、個人単位では突然変異でもあると思う。私は人生の前半でそれを体験的に目撃することができて良かった。本稿を書けた幸せはそこにある。
 最後に、本稿を書いていて改めて思ったのは、近代化を達成した日本という国は物質的・制度的には完成されているが、国家・社会としては理念を喪失した精神的空白地帯であり、だからこそえらいてんちょうの様な人物が出てきて、精神障害者・発達障害者を集めてしょぼい政党を作り、社会変革を企てる余地があったのだろうという事だ。この問題は1945年以降の日本の最も根深い問題だと思う。私も統合失調症の精神障害者として、社会的に価値基準がない中でどうやって自分の人生の生き方を精神的に立て直すかという問題は10代後半の頃からかなり苦労して取り組んだ。マクロな社会を見ても、我々は理念的な問題を解決しなければならないと思う。そういう戦いは必ず精神的社会的なプレッシャーが強くかかるが、精神を鍛え上げたタフでしぶとい精神障害者・発達障害者ならその思想的解決を提案することができるかもしれない。また本稿で書いた様に、理念なき社会の中で捨てられた障害者達から理念的な提案がなされようとしたことは記憶に留めておきたい。
 本稿では述べていないえらいてんちょうの社会科学も沢山ある。「静止力」という彼が発案した地元の名士を目指す地域主義や、「しょぼ婚のすすめ」という結婚・家族の共同体の理論、著書『ネットゲリラ戦術』の中で彼が紹介した彼のユニークな贈与の理論と投資の理論などだ。特に『ネットゲリラ戦術』には彼の天才性が顕れているので、ぜひ一読して欲しい。彼の贈与理論は私が本稿でスケッチした様なネットワーク型の社会科学と相性が良いことが分かるはずだ。えらいてんちょうは相性が良いもの同士を組み合わせる天才なのだ。私以外にもえらいてんちょうの社会科学を研究してくれる人が現れることを期待したい。 
 本稿が完成したのは2022年1月だが、今の時代、私は、希望を捨ててはいけないと思う。えらいてんちょうは精神障害者・発達障害者達の希望だった。必ず世界に希望はある。私はそう信じている。


Ⅳ.参考資料・えらいてんちょうアーカイヴ

 えらいてんちょうの思想を知る上では彼の著書が一番早い。また、えらいてんちょうに関する様々な情報(テキスト・動画等)はインターネット上の各メディアに散らばっている。

1.書籍

えらいてんちょうの2021年5月現在の著書として、

・えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス、2018年12月25日初版)
・えらいてんちょう『静止力』(KKベストセラーズ、2019年7月10日初版)
・えらいてんちょう『しょぼ婚のすすめ』(KKベストセラーズ、2019年7月10日初版)
・えらいてんちょう『ネットゲリラ戦術』(KKベストセラーズ、2019年7月10日初版)
・えらいてんちょう『NHKから国民を守る党の研究』(KKベストセラーズ、2020年1月5日初版)
・えらいてんちょう 内田樹 『しょぼい生活革命』(晶文社、2020年1月25日初版)
・えらいてんちょう『批判力』(実業之日本社、2020年6月10日初版)
・えらいてんちょう『「しょぼい投資」の話』(河出書房新社、2020年10月20日初版)
・えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく 持続発展編』(イースト・プレス、2020年12月21日初版)

また関連図書・執筆参加図書として

・池田達也『しょぼい喫茶店の話』(百万年書房、2019年4月17日初版)
・阪口源太、えらいてんちょう『インターネット赤ちゃんポストが日本を救う』(KKベストセラーズ、2019年8月10日初版)
・中田考『70歳からの世界征服』(百万年書房、2020年8月8日初版)
・内田樹編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』(晶文社、2020年11月15日初版)

がある。

2.論文

エデン初期の様子については以下の論文が詳しい。

・置き物「贈与とふるまいが作るネットワーク~イベントバーエデンを例に~」( https://t.co/6T4jDwf9tI?amp=1 )静岡大学人文社会科学部社会学科

3.インターネット媒体

(1)就活ぶっこわせデモ

・就活ぶっこわせデモブログ(http://hosyukakumei.blog.fc2.com/#)

・就活生組合インターネットアーカイヴ
(http://web.archive.org/web/20120207201113/http://www.shukatsu-union.org/)

・「経団連の会長とサシで話したい」就活生組合元代表インタビュー
(https://blogos.com/article/30974/)

・岡田斗司夫の海賊生放送1月18日「就活ぶっこわせデモ対談」
(https://www.nicovideo.jp/watch/so16836456)

(2)リサイクルショップ落穂拾

・リサイクルショップ落穂拾FACEBOOK(https://www.facebook.com/rakusuishu)

(3)ブログ・note

・えらいてんちょうの雑記(http://eraitencho.blogspot.com/)

・えらいてんちょうのnote(https://note.com/eraitencho)

(4)しょぼい起業についてのインタビュー

・日経Xトレンド 元手がなくてもビジネスが始められる「生活の資本化」とは
(https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00151/00013/)

・起業.JP( https://xn--q6vt28e.jp/)

・ベンチャーネット 「コロナ禍におけるしょぼい起業の生き残りかたについて」
(https://www.venture-net.co.jp/virtualblog/18356/)

(4)YOUTUBE

・えらてんチャンネル 矢内東紀
(https://www.youtube.com/channel/UC8sqFN_BPTa-m0sO_mpnVhg)

・やうちはるき えらいてんちょう
(https://www.youtube.com/channel/UCiC4rOaTxrUxarmUnC56AmQ)

(5)しょぼい政党

 しょぼい政党のホームページは削除された。また、しょぼい政党関係でえらいてんちょうが自身のチャンネルにアップロードしたYouTube動画も現在は非公開動画に設定されている。しょぼい政党のデータはYouTubeの他のチャンネルやブログなどに散逸している。大手マスコミに対する記者会見動画はYouTube上に残っている。


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